夏のポエム

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今日、過去に送付した公演案内を閲覧していたら

2004年『ポエムの獣』のお知らせで、自分が

お客さん全員に自作の詩を送りつけていたのでびっくりしました。


どうやら、「恥ずかしい私」という作品テーマにちなんで、そんなことをしたようです。

大胆ですね、2004年の私。

でも詩を書いて送るのが恥ずかしいあたり、まだ青いですね。


ちょうど、季節柄ぴったりだと思うので、こちらにも載せます。

夏のポエム。


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「夏」

私は長い間バスに揺られていた。稲妻に脱色された空はゆっくりと乾いて、青ぶくれの夏が隣に座った。青ぶくれは私に「ほくろを数えろ」と言った。ぶくぶくと膨れてまことに気味の悪い顔だ。バスが揺れ、数えるたびにほくろの数は変わるので、私は「どうしようもない」と言った。

 

青ぶくれは運転士に「左に曲がってパーキング」と言った。けれどもバスがパーキングに止まるわけはない。私はずいぶん急いでバスから降りたのだけれど、青ぶくれはついてきてしまった。

 

夕飯の時間、青ぶくれがうるさく話しかけるので箸で口をつまんでやった。

風呂の時間、青ぶくれが窓からのぞいていけないので目玉に石鹸を塗りつけてやった。

寝る時間になっても青ぶくれがうるさいので、ベランダに締め出してやった。

青ぶくれはガラスのむこうでむくむく膨れたほっぺたに涙を流した。

 

その晩は雨が降った。

夢の中で青ぶくれが雷の音におびえて泣いていた。

ほくろはみんな、雨に流されてきれいになくなってしまった。

 

朝、目が覚めると、ベランダにもくもく膨らんだ青ぶくれの夏がいた。

布団のうえから青ぶくれが私を踏みつぶした。

万力のように私を押しつぶした青ぶくれの体温はまことに高かった。

青ぶくれは私に「ほくろを数えろ」と言った。

どうしようもない。

私は泣いてしまった。

 

ほくろがあるのではありません。それは

鉛筆の芯がささったまま大人になってしまっただけですよ。

それはただの夏の思い出ですよ。

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悲しい話

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全然書かなさすぎて、誰かまだ見てくれているのか、なぞです。
あれですね、やっぱりツイッター書いてるせいですかね。
でも、最近思うけど、ツイッター書くからブログ書かないっていうのは変なリクツな気がします。
だって全然、書くものが違うからね。

だからブログを更新していなかったのは、単に忘れていただけです。
どなたか、思い出して見てくださる方がいることを願います。

気づいたらもう来週末が本番!
http://pepin.jp/stage/multimedia/

まあ、来週末が本番と思うと、
たいてい「ぎゃー」とかですね、感想は。
でも今回は、「ぎゃー」とも思うのだけど、とても寂しい気がする。
そうかもう2週間くらいで終わってしまうのかと思うと、名残惜しいです。

それは多分、今回のチームが私とても好きで
あとこのお芝居が、とても自分自身の核にかかわっているからだと思う。
このお芝居を、一番必要としているのは自分かもしれないと思う。

ストーリーそのものは、私個人とはあまり関係ないのだけど
(再演だし、2003年初演時の事情はぜんぜん持ち越していないから)
そこにある「悲しさ」が、自分にとって今とても大切で。

今回は書く前から、悲しいお話になるだろうと思ったんだけど、
その悲しさは、自分や、できたら他の誰か(お客さん)を
癒すものになればいいと思っていました。
そんなのギリシア悲劇の昔から、変わらないことかもしれないけど
悲しいお話が人を癒すということが、ようやく腹に落ちた気がしています。最近。

で多分、一番癒されるのが私なんだろうな。
「癒される」というのは、「受け容れる」とか「理解する」とかとほぼ同意義で
何かを噛み砕いて呑みこむために、物語はあるんだろうなと思います。
それはやっぱり、世界ってどうしてこぉなっちゃってんだよ(岡村ちゃん)という訳分からなさがあって
それとなんとか折り合いをつけて、明日もちゃんと目を開けて誰かと言葉を交わそうという、
そういう決意と力を手に入れるためだと思います。

たとえば「失恋」は、恋を失うと書きますが、
別れたときではなくて、相手を好きじゃなくなったときが本当の失恋だと思います。
私は、大好きな人の顔も、恋が終わるとすぐに忘れてしまいます。
そのことに自分で悲しくなります。
すごく好きで、すごく幸せだったはずなのに
その気持ちもぜんぜん思い出せなくなります。

まだ好きで、忘れられないなら、それは失っていないと思います。
それは辛いかもしれないけど、悲しいのとは違う気がする。
本当に悲しいのは、思い出せないことだと思います。
戻れないのは自分。
取り戻せないのも自分。

今回の『マルチメディア』は、忘れてしまった愛しいもののお話です。

たぶんこれから、もっと忘れっぽくなるんだろうし
覚えていることより忘れたことの方が多くなっていくんだろうけれど(今もか)
そうやってどんどん先へ進んでしまう自分がたくましくて悲しいです。
だけどそうやって生きていくんだろうと思います。

アゴラのセミ 08/17
石神 夏希 08/17
hibiki-c 08/18
石神 夏希 08/19
さちこ 08/22
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 ちょっと(かなり)遅くなりましたが、「あの日の俺のマルチメディア」を
お届けします。

 直感的にマルチメディアというと、小学生のときに初めて行った横浜の
ヨドバシカメラと、そこで買ったビデオデッキを思い出す。

 私の実家は鎌倉で、月に1度くらい親に連れられて横浜に行っていた。
家族の休日のちょっと贅沢な過ごし方は横浜での一日だった。

 鎌倉にはマルイや高島屋のようなデパートはないし、大型家電量販店
もない。鎌倉は商店街とちょっとしたスーパーがあるだけだったから、
横浜の「都会っぽさ」に刺激を受けた。

 小学生のとき、父親に連れられてビデオデッキを買いにヨドバシカメラ
に行った。

 ずら~~っと並んだビデオデッキ。他のフロアにはスピーカーやら
オーディオアンプやらがあった。とにかく、フロアはやたらにぎやかで、
自分には分からない横文字をしゃべる大人たちがいた。

 あの機械に囲まれた状況が、なんだか「マルチメディア」を感じさせて
くれたように思う。機械に対する漠然としたあこがれもあったのだと思う。

 でかいダンボールに入ったビデオデッキを片手に父親と帰宅した。
テレビの裏側にケーブルを差し込んだりしていて、何をやっているのか
さっぱり分からなかったけれど、赤白黄色のケーブルにかっこよさを感じ
たし、テレビとビデオデッキがつながっていく様子は、何か新しいものの
登場をおおいに期待させた。

 最初に見たビデオは確か、「サウンドオブミュージック」だった。普段から
テレビを見ていたから、ビデオで映像が流れたって大したことはないはず
なのに、すごく興奮した。ビデオにカセットが吸い込まれていくのがすごかった。
テレビを入力切替して、真っ暗な画面の中で、再生ボタンを押したらカラーの
映像が流れていくのがとにかくすごかった。

 表現力が乏しくて「すごい」しか言えなかったけれど、あの興奮には、
確かに手ごたえがあった。

 ビデオデッキの登場は、私にとってのマルチメディアだった。

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ちょっと長くなるけれど、あの日の俺のマルチメディアを
小学生のころから、もう一度、たどってみました。長くなりますがご一読ください。

僕が初めてパソコンを使ったのは、確か小学校5年生のとき。
学校に一太郎・花子がインストールされたNECのパソコンがあったけど、
当時はまだワープロが主流の時代だった。
僕は父親が買ったもののあまり使っていなかった東芝のワープロ「Rupo」を使って、
新聞記者よろしく学級新聞をつくり、自分のクラスで勝手に配っていた。
イラスト入りの手書きの新聞には興味がなかったけど、
ワープロを使うと新聞記者になれた気がして、僕は得意げだった。

中学に入って僕はコンピュータ部に入った。コンピュータルームには
富士通の「FMタウンズ」が入っていて、僕は部員たちとゲームづくりに夢中になった。
剣道部と兼部していたから、部活は週1日しか活動できなかったけど、
家に帰ってからもプログラムを書き、翌日友だちとフロッピーでお互いのゲームを交換した。
そういえばそのときゲーム交換していた友だちは、大学のときに自殺してしまったけど、
その時は毎日ああだこうだといいながら、スクウェアよろしくゲーム作りに励んだ。

家では親が小さい頃から貯めてくれていたお小遣いをはたいて、
NECのパソコン「PC98」を買い、ニフティのパソコン通信に没頭した。
インターネットがちょうど出てきた頃で、28.8kbpsという超低速の回線。
3分待ってやっとページが全部表示されて、リンクをクリックするとまた3分待ち。
FMタウンズもPC98も、「マルチメディア」を売り物にしていたけど、
それはやがて訪れるかもしれない未来の話で、僕はそんな未来に期待しながら、
3分待ちのホームページが表示されるのをずっと待っていた。
ずっと待ちながら、ときどきパソコンで曲をつくったりした。

高校に入ってから新しいパソコンを買った。
今度は秋葉原で材料を買ってきて自分で組み立てた。
NECは相変わらずマルチメディアを謳っていたけど、自分でパーツを買ったほうが
同じ値段で1.5倍くらいの性能のものが手に入ったから、
もうNECに頼るのは止めにしようと思った。
演劇部のホームページや裏サイトを作って後輩たちと盛り上がったけど、教師に止められた。

大学(SFC)に入ると状況は一変した。大学の敷地内はWiFiが飛んでいて
大学生はいつもノートパソコンを片手に授業に出たりご飯を食べたり、
芝生に寝転がってメールを打ったりしていた。
パソコンを使って画像や映像を編集するのは当たり前。
学内のコンサートはインターネット中継されており、
アメリカに留学中の学生からは、ライブの感想が送られてきていた。
それは、NECが夢見たマルチメディアが現実となった世界。
スーパーコンピュータを持つ大学が、大学が時代の先端を走っていた時代。

きっと、マルチメディアが夢見た未来に、現実が追いついてきた時代なんだろう。
でも、未来が現実となったのに、幸福感よりも、不安感が強かった。
夢見た未来は満たされていて、何をやったらいいのか分からない焦燥感。
僕がペピンをやめて、見えない何かを探して旅だったのもこの時期だった。
見えない未来を探す旅。新しい未来を作る旅。

話は飛んで今年の話。5月の終わりに仕事で、
ボストンのマサチューセッツ工科大学(MIT)に行ってきた。
久しぶりに訪れた大学。「MITメディアラボ」という研究所の研究成果を聞き、展示を見て、
教授や学生たちとミーティングをしながら思ったこと。

IT企業、ベンチャー企業が、今の時代の先端を走っている。
その企業やベンチャーたちが追いかけているのは、人の生活だ。
未来のコンセプトを提示する時代はもう古い。人の生活がどのように変わっていくか、
人が心地よいデザイン、人間中心のデザイン。その先頭を走るのは、私たちの生活だ。
iphoneやipadが、時代の最先端であり、現実でもある、という時代。

小学校、中学校、高校、小さい頃に夢見たマルチメディアを、今では現実が追い抜かしていて
今は私たちの生活そのものが、未来であり現実なんだ。
僕が明日の行動を変えれば、未来はすぐさま形を変える。

僕らのまわりには、そうやって未来を変えていく人たちがたくさんいる。
そしてどんどん有機的につながっていて、スティーブ・ジョブズも、
たぶん友だちの友だちの友だちくらい。
企業と消費者という立場も、もはや時に曖昧だ。

中学生の頃、僕の地元、閑静な住宅街に突然現れた、あなたの近所の秋葉原、サトームセン。
ある日、サトームセンがあの交差点から消え、
そしてサトームセンはヤマダ電機に買収され、やがて消えていった。
あの日の俺のマルチメディアは、憧れであり、苦悩であり、現実となり、
そして今では僕らそのものだ。

Our future is ourselves.

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ペピンでは、作品づくりの過程で、よく役者さんやスタッフさんに作文を書いてもらいます。
今回、自分にとって「マルチメディア」という言葉から思い出す記憶について、書いてもらっています。

題して、『あの日の俺のマルチメディア』。
というわけで、私もここで作文を書いてみようと思います。

「マルチメディア」という言葉を聞いて、私がつい思い出しちゃうのは
七色の光です。

無意識のうちに言葉と結びついてしまった記憶、というのがあります。
たとえば
私は「主婦」と聞いて思い出すダイニングキッチンのイメージがあるのですが
どういうわけかそれが、幼馴染の「ゆきちゃん」の家のキッチンだということに
つい先月気がつきました。
小学校3年のときに引っ越していったゆきちゃんの家のダイニングキッチン。
確かにゆきちゃんのお母さんは主婦だったけど、でもゆきちゃんの家族はそこには居ない。
ただ白いスチールラックが掛かったキッチンと、ダイニングテーブルの風景を思い出します。
全然ゆきちゃんのお母さんと関係のない、たとえば「主婦のお小遣い稼ぎ」とかって言葉を聞いただけで
その場所の景色が思い浮かびます。

閑話休題。
「マルチメディア」の七色の光は、プリズムを通った光みたいな虹。
生まれて初めて見た、CDの裏側。
水たまりに浮かんだガソリン。
大事に抽斗にしまったままだったオーロラ折り紙

というか、オーロラ。(死ぬまでに絶対に見に行きたい)
LSDをやった人が見る幻覚。(この映像はイメージです)
秋葉原の、電気街のネオン。(マルチメディアの近くに戻ってきた)
サトームセンやオノデン、石丸電機のCMで、
背景をビュンビュン光が流れていきますよね?
あんな感じ。

と思ってYouTubeで確認してみたら、
まったくそんな光は入ってませんでした。まったく。
記憶ってほんとにいい加減だ。

これは、以前に部屋の窓からみつけた二重の虹。

IMGP0968.JPG

子供の頃読んだ、『にじにのるおとこ』という絵本を思い出します。
世界の始めの頃、ひとりぼっちの男が、流した涙を集めて投げて
空にかかった虹に乗って、"向こう側"へ行き、ともだちに出会うという話です。
(たしか)

Somewhere over the rainbow, way up high
There's a land that I heard of once in a lullaby

初演『マルチメディア』には、「マルチメディア・ランド」というテーマパークが出てきます。
「マルチ」という言葉は、たくさんの、とか複数の、とかって意味だそうだけれど
どこか私にとっては「すべて」とか「完全な」とか
「多」よりは「全」というイメージがあるようです。
というか、「多」であって「全」。「一であって全」とは違うかも。
必ずしも、一つの全き宇宙じゃないのです。
そこには私とあなたがいて、こちら側とあちら側があって、此処と、此処ではない何処かがある。
虹色の光のイメージも、どこか超越的なものや体験と結びついているように思います。
彼岸であり、未知の世界であり、届こうとして届かなくて、それでも届きたい場所。
もしかしたら、特定の時代の、特定の社会だけの限定的なイメージかもしれないけれど
私が子供の頃聞いた「マルチメディア」という言葉には、そんな憧れが結びついている気がするのです。
オーバー・ザ・レインボー。

IMGP0970.JPG

That's where you'll find me... てなもんだこりゃ。


今後、ペピンメンバーを中心に
できたら役者さんやスタッフさんの作文も、こちらで紹介していきたいと思います。
お楽しみに。

さちこ 07/04
石神 夏希 07/11
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以前にも同じようなことを書いたんだけど、
同じネックレスをまた失くして、そしてまた発見した。
正確に言うと、前回(紛失1回目)ブログに書いたときから今回までの間に
さらに一度失くしている。実に3回目です。

2回目は、自然に糸が切れてペンダントトップだけ紛失したのだけど
(↑前回記事の写真にある、金の円の部分)
排水した後のバスタブの中で、奇跡的に流れずにいたのを発見したのです。
それ以降、切れにくい金のチェーンに替えて、身につけていたのですが。

もう今度は、「みつからなくてもいいや」と思ったのです。
とても気に入っているし、自分にとって特別な意味を持っているネックレスでした。
贈り物とかではなく、自分で選んで自分のために手に入れたものだし、
ある意味、自分の心の中心を、象徴的に首からかけているような。
だけど今回は、失くしたというより、ネックレスが自分でいなくなったのかな、と思って。
人でも、ありますよね。自然と縁が切れるというか。別のところへ流れていく。
潮時というか、何か別のものをみつけたり、手に入れたりするタイミングなのかな、と思って。

前回(2回目)、糸が切れて紛失したときも、
偶然にしては出来すぎたようなタイミングで、他にも色々と失くした日だったのです。
そのくせ、ブラックホールのような喪失感の中から、
こいつだけが生還したのは、何かしら意味深い気がしたのでした。
迷信とか、ジンクスとか、あまり信じないんだけど
生活の中で起きるシンクロニシティはわりと信じる方です。
で、さっぱり生まれ変わるというより、自分にとってこれはまだ学ぶことがあるんだなと、
腰を据えてしっかりこの課題に向き合っていこうと思って、チェーンに替えたのでした。

で今回失くしたので、これはそろそろ卒業かな? なんて思っていました。
ところがまた還ってきた(まだ手元には届いていないのですが、発見してくれた人がいた)ので、
そう簡単には、終われないようです。
だけど今回紛失して、「失くしてもいいや」と思えたのは2回目からの大きな変化で、
あまり執着していないとか、流れを受け容れるとか、そういう状態になっているのかもしれない。

ペピン初期の『蜜の味』というお芝居で
「失くしものなんて、これからまだまだいっぱい失くすのに。」という台詞があったり
ペピンのお芝居は、いつも誰かがいなくなるお話だよね、と言われたりするのですが
自分にとって「失くしもの」というテーマ、さらにいえば、
「生活という営みを続ける中で、失くしものとどう折り合っていくか」という問題は
結構デカイです。結局ずっとそれを考えているかもしれない。
それは、死んじゃった犬とか、もう全然好きじゃない初恋の人とか、
外国の寝台列車に忘れてきたパジャマとかも、全部。

喪失感というのがいつも先にあって、
その上で夢を見たり恋をしたりご飯を食べたりしている。という気がする。
もう思春期から、もしかしたら子供の頃から、ずっと。
それが幸せかどうかを考えることが出来ないくらい、当たり前になってしまっている。
だから何かを失くしたときはいつも、「ああ、また」と思う。
またこの感じだ、とか、この感覚知ってるよ、って思うんだけど、
それは喜びとか満足とかよりずっと馴染み深くて、自分の中心に戻ってきたよって感じがするんだ。
そのくせ毎度、けっこう悲しいんだけど。
あ、このペンダントの金の輪っかも、真ん中が空洞ですね。
皆さんはどうですか?
失くしものには慣れてますか?

「ポケットの中にはビスケットがひとつ、ポケットをたたくとビスケットが2つ」
という歌があるけど、なんかビスケットって幸せみたいなもののこと、という気がしていて、
だけど実はポケットに穴があいてて、ビスケットのかけらがぼろぼろこぼれ落ちている気がするんだ。
ビスケットをたたいて増やして、そのたびに穴からこぼれて落ちていくものがある。
こぼれていくビスケットのかけらは、しょうがないじゃん、とはまだ言えなくて。
まだ、というか、いずれ言えるようになるとも思えなくて。

「何も失くしてない」という境地に至る、みたいなことが答えなのかな。
失くしたと思ったら還ってくる、このペンダントは
「失くすけど、大丈夫」って伝えてきてるような気もする。
失くした、というのがオチじゃない。
喪失感は喪失感のままで、だけどいずれ、ちゃんと還ってくるから。そんなことを。

この感じが、消えてなくなることもいつかあるのかな。全然、想像つかないや。

石神 夏希 05/24
。。 05/24
さちこ 05/30
あずき 05/30
石神 夏希 06/01
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ものもらいになった。

空に散らばる星の間に、線を引いて、
何かの絵姿を浮かび上がらせるような。
私は「運命」は信じないけれども、
いくつかの偶然の間に、大きな意思を感じることがあります。
それを解き明かしたい、という衝動にも駆られます。

今は、自分の人生というか生活に
人とのご縁含めて、色んな新しい風が吹いていて
失敗も多いんだけど、なんか展開が速い。

イメージとしては、変なたとえなんだけど
空港の出発ロビーで、搭乗30分前に
急いでお土産を買って回ってる感じ?笑

待ち時間であると同時に、何か今いる場所から持って行くものを
限られた時間で取捨選択しなくちゃならなくて、駆けずり回っている。
あの人にはこれ、自分のためにはこれ。この土地の思い出に相応しいのはこれ。
焦って変な土産物を手に取っちゃうこともあれば、思わぬ宝物を発見することもある。
でも、もうそんなに沢山は持っていけないし、予算も限られてる。
搭乗時間を知らせるアナウンスが聞こえている。
しかも乗るのは帰国の便ではなくて、次のポイントへの新しい出発という感じなのです。

で、いよいよテイクオフ!ってなったら
実は乗っていたのが鈍行列車でした、てなこともあるかもしれないけれど。
気持ちとしては、ばびゅーんと雲を突き抜けて、
これまでいた場所を俯瞰で見ることになるのだろう、と。

そんな調子の5月は、だから多分すごく忙しくて、
疲れてものもらいにもなるし、だけど次へ持って行きたい宝物が沢山みつかるだろう。
そんな気がしています。

だから5月は好きさ。

.. 05/11
石神 夏希 05/12
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アキちゃん

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ブログ更新、ずいぶんご無沙汰してしまいました。

いまぺピンメンバーは、次回公演「マルチメディア」に向けて
基礎練をしたりしています。

初演時のマルチメディアは、とある商店街に住む幼馴染を中心に
話が進んでいきました。

マルチメディアを考える上で、「幼馴染」、特に私にとっては
小学校時代の思い出が鍵になっているように思います。

小学校低学年の頃、私は隣に住むアキちゃんとよく遊んでいました。
アキちゃんとは毎日いっしょに通学していました。毎朝、アキちゃんの
家に行き、「あ~き~ちゃん」と呼んで、眠たそうに出てくるアキちゃんと
学校に行っていました。

放課後の遊び相手も、もっぱらアキちゃんでした。
アキちゃんは物静かで活発な子どもではなくて、でも、家にファミコンが
ありました。アキちゃんはファミコンが得意でした。

私の家にはファミコンがなくて、親にも買ってもらえなくて、
ファミコンを持っているアキちゃんの家に行って遊んでいました。

でも、アキちゃんがファミコンで遊んでいるのをじぃっと見ているだけ。
私自身がプレイしたことはありませんでした。

放課後3時間くらい、ずっとファミコンをプレイしているアキちゃんを
見ているだけ。それが小学校低学年のときの私の遊びでした。

小学校4年のとき、父から誕生日にスーパーファミコンを買ってもらいました。
それからというもの、アキちゃんの家でファミコンをすることはなくなりました。
あの頃から、アキちゃんと通学しなくなっていきました。

いま思い出すと、あの頃、アキちゃんと私をつなげていたのは、
ファミコンだったのかなと思います。

自分がファミコンを手にしたとき、アキちゃんを手放してしまったようにも感じます。


いまもアキちゃんは私の実家の隣の家にいます。
時々顔を合わせるけど、なんだか、話すこともなくて軽く会釈して別れます。

それでも私はアキちゃんがまだ隣の家にいてくれていることをうれしく思うのです。

。。 05/11
下田 05/15
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春デート

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私は夏が好きです。多分、名前のせいではなくて
白黒はっきりくっきりしている感じが好きなのです。
夏は日差しが強くて、影が濃くなるし、
まぶしくて暑くて考える前に汗がどんどん出てしまうのもいい。

何が言いたいかというと、春がきらいだという話です。
もう春なんて、もやもやして、胸のあたりに霞がかかって重たくて、むずむずして、
そのくせ桃の花がきれいで、ぼんやり眺めているうちに真綿で首を絞められて
気づいたら息止まっていました。みたいな
はっきりしなくて、「も」行の多い感じが、すごくイヤだ!!!
やりきれない、やる瀬ない。というのは、こういう気分を言うのだろう、と思う。
そりゃ猫も、夜っぴてニャンニャン遣らないではいられないだろう。

泉鏡花の『春昼・春昼後刻』の中で、
この春の苦しい感じについて、非常に的確な描写がありますので
共感する、という方はぜひご読んでみてください。

そして本題なのですが、
今週末、次回公演の出演者さん&スタッフさんとの出会いを目的とした
ワークショップを開催します。
未経験の方も歓迎します。
※出演、公演参加を希望されない方の参加も可能です。

● ● ● ● ●

『昭和が夢見た素敵なサムシングを探しに行くワークショップ』
詳細は、以下のチラシをご覧ください。↓
http://pepin.jp/pepinWS2010.pdf

※予定人数を上回るご応募をいただいたため、締め切らせていただきました。(4/30)
お申し込みいただいた皆さま、どうもありがとうございました!
いっぱいになってしまい、ご参加いただけなかった方、申し訳ありませんでした。
お会いできなくて残念です・・・よろしければ是非また次の機会に、
参加をご検討いただければ幸いです。今後ともよろしくお願いいたします。


【開催概要】
ワークショップでは、チームで行うメニューを中心に上演台本をベースにした
簡単な創作も行います。このWSはいわゆる「オーディション」というより、
「お付き合いを前提としたデート」のようなもの。

1日を一緒に過ごして、お互いをよりよく知り合える時間にしたいと思います。
ちょっとでも「ときめき」を感じた方は、どうぞペピンに会いに来てみてください。

【日時】 2010年5月2日(日) 11時-17時
【会場】 急な坂スタジオ
【料金】 500円

【参加対象】
・2010年8月再演『マルチメディア』(2003年初演)への出演を前提とした参加
※出演を希望しないが、WSに参加したいという方はお申出ください
・役者未経験の方も可/性別・年齢不問

【歓迎します】
平成生まれの方 / 昭和生まれの方 / ペピン結構設計の公演を観たことのある方
横浜で演劇活動をしている方 / 演劇以外のアート、創作活動に携わっている方

【お申込み方法】
宛先:info@pepin.jp
件名を「ペピンワークショップ申込み」として
下記項目を明記の上、宛先までお送りください。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
・お名前 ・年齢 ・所属 ・電話番号 ・メールアドレス
・ペピン作品の観劇経験 ・応募動機(簡単なもので結構です)
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

次回は、こまばアゴラ劇場「夏のサミット」参加作品で
2003年に横浜STスポットで上演した『マルチメディア』という作品の再演です。
簡単な公演の紹介がペピンwebでご覧になれます。
(TOP→これまでの公演)
http://pepin.jp/

【初演あらすじ】
寂れた商店街で古い映画館が取り壊され、「マルチメディアランド」が
できることになった。商店街で育った若者たちはこの取り壊しに反対して、
子どもの頃みんなで観た「ドラえもん映画祭」を
自分たちの手で開催しようとする。

天皇が死んで「素敵なサムシング」がやってくるまでの、
平成最後の一ヶ月を描いた物語。

● ● ● ● ●

まだ若干の空きがありますので、
ご興味をお持ちの方は、お気軽にご連絡ください。

→応募を締め切らせていただきました。沢山のご応募ありがとうございました。

皆さんとお会いできるのを、心待ちにしております。

早く新緑のまぶしい季節になってほしいものです。

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先日は、『スピードの中身』にお運びいただいた皆さま、どうもありがとうございました!
三渓園(横浜)と、航空発祥記念館(所沢)では、だいぶ違うお芝居になっていて、
全ステージ見ていた私も毎回ほんと楽しかったです。
来てくださった皆さまも、楽しんでいただけようでしたら嬉しいです。


お知らせ続きで、すみません。
今週26日(金)に、BankART Studio NYKで開催される公演で、
アフタートークにゲスト出演(生意気に!)することになりました。
あえて稽古も、もちろん本番も拝見していないのですが
公演webを拝見しても、なんとも胸騒ぎのするお芝居なので、
よかったら、私も居る初日に、ぜひ遊びにいらしてください。

COLLOL
『このままでそのままであのままでかみさま』
2010年3月26日(金)~30日(火)
平日20:00 土日17:00開演 上演時間65分
BankART Studio NYK / NYKホール

昨年2月、「横濱リーディング」という企画でご一緒させていただいた
COLLOL(読み方:ころーる)という劇団さんです。
主宰の田口アヤコさんは「演出家劇作家女優」で、
つまりは作演出をしながら出演もされています。
(あ、私も一応そうですね。そんなお話もするかもしれません)
劇団山の手事情社、指輪ホテルなどを経て、
ご自身のユニットCOLLOLを立ち上げたとのこと。
---
俗でなまなましく
血のかよったあたたかく
色彩ゆたかにかぐわしく
夢みるようにうつくしく

(オフィシャルwebより)
---
そして今回は、旧約聖書の『ヨブ記』を題材にした作品なのだそうです。
実は私も、COLLOLの本公演を拝見するのは初めてなのですが、
ちょっと、なんだか、観るのが怖い気もします。
春の夜、ふわふわと酔ってどこかへ魂が飛んでいきそうな。
そんな気がします。

トークの後は、PUBで一緒に酔っ払いたいです。誰かと。
だから誰か居てください。


COLLOL 『このままでそのままであのままでかみさま』
http://homepage2.nifty.com/taguchiayako/god/

※ちなみにこれはホットニュースなのですが、
今夏、韓国での国際フェスティバルに招聘されることが決まったそうです!
東京でも上演されるそうで、今から楽しみです!

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