2004年4月アーカイブ


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ちかごろいいお天気が続きますね。新緑が炎も出そうに燃えています。ボーボー。
「拝啓、鯉のぼり様」を書いたあとに、知り合いの方からメールをいただいて、
「死を通して世界を見る」という言葉に当たりました。
私は、いくら想像してみても、死の側から世界を見るのは難しいけど、
ふと感じたのは、「なんで生きてるんだろう」という問いを考えたことは少ないけれど、
「なんで死なないんだろう」という疑問はよく感じるな。ということでした。
自慢になりませんが(実際、自慢する人もいる)私は自殺したいと思ったことがありません。
たぶん、自殺したいと思う人は、「なんで生きてるんだろう」という問いを立てることが多いんじゃないかと想像するんです。なんのために、と。

それで、ある詩を思い出したのです。(詩の話が続いてすみません)
中原中也、『別離』。


さよなら、さよなら!
いろいろお世話になりました
いろいろお世話になりましたねえ
いろいろお世話になりました

さよなら、さよなら!
こんなに良いお天気の日に
お別れしてゆくのかと思ふとほんとに辛い
こんなに良いお天気の日に


天気の良い日に、きまって思い出す詩です。雨のそぼ降る別れではなくて、一点の翳りも無い晴天の別離。それは、今まさに引きちぎられていく縁をみつめるではなくて、すでに引きちぎられた縁のしっぽ(もしも縁が、ロープみたいな形をしてるとしたら)を遠くから眺めやるようなまなざしだと思いました。
別れを通して、いま隣にいる人を見るまなざし。
それは、「死を通して世界を見る」よりは諦観していないけれど、ほんの少し、死に近いと思ったんです。そうした瞬間は、日常のなかに沢山みつけられます。恋人から差し出されたプレゼントに一瞬躊躇し、「あとくされ」という言葉が胸に浮かんで茫然とするとか。例が俗っぽすぎて自信がありませんが、そのとき自分が微笑んでるのなら、たぶん少し死に似ていると思うんです。
そこには、まだ大丈夫終わらないという安心感があるけれども。

こんな風に「死を通して世界を見る」ことの対極にあるな、と思ったのは、
よく取り上げられている通り、アニメ『アンパンマン』主題歌の倫理的な歌詞です。


何が君の幸せ 何をして喜ぶ
分からないまま終わる そんなのはいやだ
忘れないで夢を こぼさないで涙
だから君は飛ぶんだ どこまでも


ものすごくストイックですね。中也が引きちぎられたロープのしっぽを眺めて「じっと手を見る。」並に悄然としているとしたら、アンパンマンはマッスル隆々に大地を踏みしめて綱引きしてる感じです。
けれどメロディなしで歌詞を読めば、そこにある不吉なにおいを感じられると思います。
死を見ている。
アンパンマンは死を見ているのです。
たぶん、「生を通して」。

アンパンマンは、基本的に絶対死にません。顔が腐っても、不死身です。
青空に、エンドレスな生を飛びながら、永遠に「何が幸せ」と考えている。「何が幸せ」は生きる力がみなぎっているように見えて、死に向かいつづける問いです。
死に向かって、「君は飛ぶんだ、どこまでも」。

シンプルな言葉で、ここでの話題に結論づけてきれいにまとめるのは遠慮しておきますが、
実際に生きていることと死ぬことの間にグレイゾーンがなくても、
そうやってひとはグレイゾーンを作り出すんでしょうね。死を通して世界を見たり、生を通して死を見たり。突き詰めたら同じこと、とも思うし、両方が交替で顔を出すのかもしれない。それでもって、人工的なグレイゾーンはきっと、天気の良い日にやってくるのです。あけがたや黄昏の方が(生と死のグレイゾーンとして)ムーディーだけど、


さよなら、さよなら!
あなたはそんなにパラソルを振る
ぼくにはあんまり眩しいのです
あなたはそんなにパラソルを振る


残念ながら、突き抜けるような青空で、緑が燃え上がりそうにきらきらしていて、汗ばむような真昼間、
恋人はパラソルを振り、アンパンマンは空を飛ぶ。
何もかも訳が分からず、涙をこらえながら、きっと、こんなに良いお天気の日に。

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交通事故に遭いました。
生まれて初めての事故です。
土砂降りの中を走ってたらバイクと正面衝突したんですけど、
雨水の流れる路面で転がってたら救急車が来てくれて、
レントゲン撮ったら骨折どころか骨密度高そうなすごく立派な骨でした。
そんなわけで一日入院。片脚引きずりながら、即退院。

病院からの帰り道、バスの窓からずっと、鯉のぼりの数を数えていました。
田舎道には立派な鯉のぼりがたくさん、おもしーろーそうにおよいーでる。
電線にひっかかって上手に泳げない親子の鯉のぼりを眺めながら、
ふと遺言書のことを思ったのです。
髪の毛はぼさぼさだし、お化粧もしてないし、トレパンだし、
寝汗(病院は暖かすぎる)でくさい自分のからだを抱えながら、
拝啓、鯉のぼり様。とはじめる遺言はどうだろうと考えました。


拝啓、鯉のぼり様。
私が死んだら、お葬式で拍手してください。
いやーよかったよ、泣ける話だったね、と言って拍手で見送ってください。
でも鯉のぼり様、あなたには手がありませんね。
ヒレは短すぎて叩こうにも届きませんね。
しょうがないから青空で泳いでてください。
私の煙を吸い込むくらいしか能の無い鯉のぼり様。
この役立たず。
あなたの取り柄といえば、
でっかくて、四六時中見開いているけど、
一粒の涙もこぼれない目玉だけ。
私が死んだら火葬場の煙突に縛りつけてやろうか。


知人が事故に遭ったときは、毎日お祈りするくらい心配したけど、
自分の場合はかえって落ち着いてしまいます。というのは、
たいしたことがない怪我だったから言えることなんですけれども。
だからといって、この程度で遺言書のことを考えるなんて馬鹿みたいと笑われるかもしれません。
でも、人は一回しか死ねないのだから、死ぬことについてたくさん考えたほうがいい気がするんです。
ペピンの芝居はどうしていつも人が死ぬんだ、と叱られたり悲しまれたりするんですけど、
たしかにフィクションって簡単に人を殺せてしまうから、安易に使うことはよくないと思うんですけど、
なんだか私には、すべての行為が死ぬことのシミュレーションに思えるんです。
そんなの当たり前田のクラッカー、哲学的にはうんぬんかんぬん。とか言わずに、
きちんと自分の残すべき言葉を残す練習をしたほうがいいと思うんです。えーと、実践的に?
「等身大」って言葉は死のためにあるんじゃないか、と思うくらいです。

お芝居じゃなくてもいいんですけど、
縁起でもない、なんて言わずに、いちど遺言書を書いてみると、いいかもしれません。


もしも私が春に死んだら、
真っ青な空で面白そうに泳いでみやがれ。
私と同じくらい役立たずの鯉のぼり様。
敬具。


実はこんな乱暴な手紙じゃなくて、
ほんとうに遺言書を書いてみたら、べたべたのラブレターみたいになってしまいました。
恋は死ぬことの練習だから、遺言書ってきっとラブレターなんですね。
生きているうちに見たものすべてへ。バスの窓から数えた鯉のぼりへ、PS. アイラブユー。

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本日快晴の東京タワーです。うそです。うちの前の電信柱です。
すっかりご無沙汰してしまいました。
石神夏希です。
『東京の米』終了から早1ヵ月半。劇場で皆さんとお目にかかれて、本当に幸福でした。

いま、ペピンは、あのキラキラする時間を乗り越えて、
新たな銀河系に向かって旅立ちの準備をしております、キャプテン。
そんなわけで、このブログを続けるか否か、まだわからなかったのですが、web masterとも相談のうえ、続投させていただくこととしました。
ここで「さようなら」を言わなくてすんで、嬉しさ半分、
席を立ちかけて中腰で呼び止められちゃったような、気恥ずかしさ半分。


『東京の米』について最後に書くので、ちょっと個人的な感想を。
稽古場で読んだ詩をお送りします。
萩原朔太郎、「旅上」。

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。

がんばれよって感じですね。ふらんす、行けよ。
けれどもふらんすに行かずに、ちゃぶ台の上に腰掛けてみる楽しさ。
ほんとうはふらんすへ行きたくはないんだろう、ここにいたいんだろう。
「ここ」への愛情は、いつも「ここではないところ」へ向かっていく。
本当はふらんすに行きたい訳じゃない。
本当は東京がいやなわけじゃない。
あなたがいやなわけじゃない、私がいやなわけじゃない。
もっとちゃんと、ここにいる、あなたと私になりたい。
台風起こしたいのは、今ここなんだけど、
でも口をついて出るのは「ふらんすへ行きたい」という言葉だけ。
ぜんぜん、コミュニケーション取れてないよ。愛が伝わっていないよ。
愛情をうまく表現できなくて、黙って鼻息ふいてる人。

この前、生まれた町に行ってみました。東京都練馬区江古田。
思い出なんか、まったくよみがえってこなくて、私の見知らぬ町でした。
でもそれは、「東京」だと思いました。東京は見知らぬ町。
私の生まれた町じゃない。
けれどもそのことに、「東京を知らない」ということに、少しほっとしました。
『東京の米』は、東京や米について、知らない人の芝居でよかったんだと思うんです。
あなたを愛してる、という言葉の意味を、ぜんぜん分かってない人の愛情の話でよかったんだと思うんです。
どうもありがとうございました。

次に皆さんにお目にかかるまで、またここで書いていきますので、
時々遊びに来てくださいね。
待ってます。

桜のあとの春がやってきました。
桜のあとの春は、発情期の猫の小便の匂い。

「なの花にまぶれて来たり猫の恋」 一茶

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