拝啓、鯉のぼり様

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交通事故に遭いました。
生まれて初めての事故です。
土砂降りの中を走ってたらバイクと正面衝突したんですけど、
雨水の流れる路面で転がってたら救急車が来てくれて、
レントゲン撮ったら骨折どころか骨密度高そうなすごく立派な骨でした。
そんなわけで一日入院。片脚引きずりながら、即退院。

病院からの帰り道、バスの窓からずっと、鯉のぼりの数を数えていました。
田舎道には立派な鯉のぼりがたくさん、おもしーろーそうにおよいーでる。
電線にひっかかって上手に泳げない親子の鯉のぼりを眺めながら、
ふと遺言書のことを思ったのです。
髪の毛はぼさぼさだし、お化粧もしてないし、トレパンだし、
寝汗(病院は暖かすぎる)でくさい自分のからだを抱えながら、
拝啓、鯉のぼり様。とはじめる遺言はどうだろうと考えました。


拝啓、鯉のぼり様。
私が死んだら、お葬式で拍手してください。
いやーよかったよ、泣ける話だったね、と言って拍手で見送ってください。
でも鯉のぼり様、あなたには手がありませんね。
ヒレは短すぎて叩こうにも届きませんね。
しょうがないから青空で泳いでてください。
私の煙を吸い込むくらいしか能の無い鯉のぼり様。
この役立たず。
あなたの取り柄といえば、
でっかくて、四六時中見開いているけど、
一粒の涙もこぼれない目玉だけ。
私が死んだら火葬場の煙突に縛りつけてやろうか。


知人が事故に遭ったときは、毎日お祈りするくらい心配したけど、
自分の場合はかえって落ち着いてしまいます。というのは、
たいしたことがない怪我だったから言えることなんですけれども。
だからといって、この程度で遺言書のことを考えるなんて馬鹿みたいと笑われるかもしれません。
でも、人は一回しか死ねないのだから、死ぬことについてたくさん考えたほうがいい気がするんです。
ペピンの芝居はどうしていつも人が死ぬんだ、と叱られたり悲しまれたりするんですけど、
たしかにフィクションって簡単に人を殺せてしまうから、安易に使うことはよくないと思うんですけど、
なんだか私には、すべての行為が死ぬことのシミュレーションに思えるんです。
そんなの当たり前田のクラッカー、哲学的にはうんぬんかんぬん。とか言わずに、
きちんと自分の残すべき言葉を残す練習をしたほうがいいと思うんです。えーと、実践的に?
「等身大」って言葉は死のためにあるんじゃないか、と思うくらいです。

お芝居じゃなくてもいいんですけど、
縁起でもない、なんて言わずに、いちど遺言書を書いてみると、いいかもしれません。


もしも私が春に死んだら、
真っ青な空で面白そうに泳いでみやがれ。
私と同じくらい役立たずの鯉のぼり様。
敬具。


実はこんな乱暴な手紙じゃなくて、
ほんとうに遺言書を書いてみたら、べたべたのラブレターみたいになってしまいました。
恋は死ぬことの練習だから、遺言書ってきっとラブレターなんですね。
生きているうちに見たものすべてへ。バスの窓から数えた鯉のぼりへ、PS. アイラブユー。

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