こんなにお天気のよい日に

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ちかごろいいお天気が続きますね。新緑が炎も出そうに燃えています。ボーボー。
「拝啓、鯉のぼり様」を書いたあとに、知り合いの方からメールをいただいて、
「死を通して世界を見る」という言葉に当たりました。
私は、いくら想像してみても、死の側から世界を見るのは難しいけど、
ふと感じたのは、「なんで生きてるんだろう」という問いを考えたことは少ないけれど、
「なんで死なないんだろう」という疑問はよく感じるな。ということでした。
自慢になりませんが(実際、自慢する人もいる)私は自殺したいと思ったことがありません。
たぶん、自殺したいと思う人は、「なんで生きてるんだろう」という問いを立てることが多いんじゃないかと想像するんです。なんのために、と。

それで、ある詩を思い出したのです。(詩の話が続いてすみません)
中原中也、『別離』。


さよなら、さよなら!
いろいろお世話になりました
いろいろお世話になりましたねえ
いろいろお世話になりました

さよなら、さよなら!
こんなに良いお天気の日に
お別れしてゆくのかと思ふとほんとに辛い
こんなに良いお天気の日に


天気の良い日に、きまって思い出す詩です。雨のそぼ降る別れではなくて、一点の翳りも無い晴天の別離。それは、今まさに引きちぎられていく縁をみつめるではなくて、すでに引きちぎられた縁のしっぽ(もしも縁が、ロープみたいな形をしてるとしたら)を遠くから眺めやるようなまなざしだと思いました。
別れを通して、いま隣にいる人を見るまなざし。
それは、「死を通して世界を見る」よりは諦観していないけれど、ほんの少し、死に近いと思ったんです。そうした瞬間は、日常のなかに沢山みつけられます。恋人から差し出されたプレゼントに一瞬躊躇し、「あとくされ」という言葉が胸に浮かんで茫然とするとか。例が俗っぽすぎて自信がありませんが、そのとき自分が微笑んでるのなら、たぶん少し死に似ていると思うんです。
そこには、まだ大丈夫終わらないという安心感があるけれども。

こんな風に「死を通して世界を見る」ことの対極にあるな、と思ったのは、
よく取り上げられている通り、アニメ『アンパンマン』主題歌の倫理的な歌詞です。


何が君の幸せ 何をして喜ぶ
分からないまま終わる そんなのはいやだ
忘れないで夢を こぼさないで涙
だから君は飛ぶんだ どこまでも


ものすごくストイックですね。中也が引きちぎられたロープのしっぽを眺めて「じっと手を見る。」並に悄然としているとしたら、アンパンマンはマッスル隆々に大地を踏みしめて綱引きしてる感じです。
けれどメロディなしで歌詞を読めば、そこにある不吉なにおいを感じられると思います。
死を見ている。
アンパンマンは死を見ているのです。
たぶん、「生を通して」。

アンパンマンは、基本的に絶対死にません。顔が腐っても、不死身です。
青空に、エンドレスな生を飛びながら、永遠に「何が幸せ」と考えている。「何が幸せ」は生きる力がみなぎっているように見えて、死に向かいつづける問いです。
死に向かって、「君は飛ぶんだ、どこまでも」。

シンプルな言葉で、ここでの話題に結論づけてきれいにまとめるのは遠慮しておきますが、
実際に生きていることと死ぬことの間にグレイゾーンがなくても、
そうやってひとはグレイゾーンを作り出すんでしょうね。死を通して世界を見たり、生を通して死を見たり。突き詰めたら同じこと、とも思うし、両方が交替で顔を出すのかもしれない。それでもって、人工的なグレイゾーンはきっと、天気の良い日にやってくるのです。あけがたや黄昏の方が(生と死のグレイゾーンとして)ムーディーだけど、


さよなら、さよなら!
あなたはそんなにパラソルを振る
ぼくにはあんまり眩しいのです
あなたはそんなにパラソルを振る


残念ながら、突き抜けるような青空で、緑が燃え上がりそうにきらきらしていて、汗ばむような真昼間、
恋人はパラソルを振り、アンパンマンは空を飛ぶ。
何もかも訳が分からず、涙をこらえながら、きっと、こんなに良いお天気の日に。

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