2004年8月アーカイブ


『ポエムの獣』、無事中盤を過ぎ、残り2回となりました。
観に来てくださった方、ありがとうございます!
まだいらしていない方もぜひ。お目にかかれれば幸いです。
きっと、素敵な場所でびっくりしますよ。

今回は、ポエムの獣だけに、ひとつ詩を紹介させていただきます。
たった2行の詩です。宮澤賢治、「報告」。


さつき火事だとさわぎましたのは虹でございました
もう一時間もつづいてりんと張つております


宮沢賢治は、「風の又三郎」や「銀河鉄道の夜」など童話作家として有名ですが、
根本的には詩人なんじゃないかと私は思っています。
詩も書く作家、なのではなくて、童話も書く詩人なんだと思います。
今回のお芝居の、クライマックスのシーンは、「報告」というこの詩を意識しています。

先日読んだ本で、面白いことが書いてあって、
中世の荘園時代の刑法では、村(地域のコミュニティ)に犯罪者が出ると、
彼を追放することに加え、犯罪者の家を焼き払ったそうなんです。
それだけではなく、加害者の家、犯罪者が途中で立ち寄った家まで焼き払ったそうです。
つまりこれは、「刑罰」という以上に、「祓い」の意味が強い。
ケガレ、悪、というものを、それが触れたところを焼き払うことで抹消して、
「無かったこと」にする。清める。
そうやって、村/コミュニティ/地域の安全を守っていたそうです。
治安=ケガレから守ること。

悪というものは、ごく日常的には倫理的に許されがたいことをイメージしてしまいますが、
たとえば「病気」というものを一般的に私たちが「悪いもの」として考えているように、
それが「悪」に含まれるのであれば、
ほんとうは「悪」って私たちの生活やからだや精神を、正常な道筋から逸脱させるものだったり、
生きていくことを侵害する、侵略してくる、大きなパワーを持った何者か、なのかもしれません。
それこそ「ケガレ」に近い。
何が善か、何が悪か、ひとつの基準でははかれない相対的な世界に私たちは生きているから、
戦隊ヒーローものを見ていて悪者に同情したり肩入れしたりしてしまう私たちだから、
「悪」は必ずしも忌み嫌われるものだけではなく、時として魅力ともなりうる大きなパワーを
持ったものなんじゃないかと思います。

少し話がそれましたが、
そういった大きなパワーを持った「悪」を焼き払う、そんな火が、
ときとして虹に見えたりするんじゃないかしら。
雨上がりに、ある角度から、ある時間だけ見える幻のような。
きらきら輝く、夢のような明るい光。
逆に、虹が火事に見えることもあるかもしれない。美しいもののなかに「悪」を見る。
燃え上がる幻。

宮沢賢治がどんな虹を見たのか、私には知るすべがありませんが、
美しいもの(たとえばそれも、「善」と呼ばれる)と
「悪」が混沌としてともに燃え上がるような"ポエム"を、
彼の「火事」という詩には感じるのです。

ちょっと抽象的な話になってしまいましたが、
そんな「火事」あるいは「虹」を、
横浜でお見せできたらいいな、なんてだいそれたことを思っております。

皆様のお越しを心からお待ちしています。

コメントを書く

8月になりました。暑いですね。何が暑いって、頭が暑いです。太陽に一番近いところが、黒髪なんですものね日本人は。いっそスキンヘッドにしてしまいたくなる暑さですね。
あんまり太陽の光が強くて、万力で締めつけられてる気がします。陽射しにからだが押しつぶされてぺしゃんこになってく気がします。
皆様はぺしゃんこじゃないですか。ちゃんと頭で天を支えて仁王のように立ってますか。

今日はそんな、8月の真昼のような暑くるしい思い出話をします。
高校生のころ、電車の中吊りで詩集の広告を見たことを覚えています。
相田みつをの「にんげんだもの」だった気がします。
そのコトバは、大戸屋みたいな筆文字で(大戸屋が相田みつをみたいなのか)
デカデカとぶら下がっていました。
それを見た当時ミニスカートにルーズソックスの私は、
なんだかとっても憂鬱になって、学校へ行くのもイヤーな気分になって、駅に着くまでシートに座って狸寝入りしました。ふつうですけど。
それ以来、「相田みつを」にお門違いの恨みを抱きつづけてきました。

なぜそんなにイヤーな気分になったのか、制服を着ていない今ではあまり思い出せないけれど、
なんだかそのコトバが私に向かって両手を広げてる感じがしたから、
「許してやる、いいよそのままで、許してやる」って言ってる感じがしたから、かもしれません。
だけど私には自分自身がたいへん受け入れがたく、
そして「私がだめなことは私が一番わかってる」という不遜な考えを持っていたからかもしれません。
その裏側に、「私はほかのひとと違う」というごくまっとうな驕りがあったからかもしれません。
どんなにみつをが「そのままでいいよ」って言ったって、いいわけあるか!って思ったんじゃないかしら。みつを、あんた何様?みたいな。

いまはもう少し、自分のことは自分には結構わからないもんだ、と嘯くようになったし、
自分がだめなときは、誰かに「大丈夫だよ」って言われて涙が出るほどほっとするなんてこともあるくらい、表向きは謙虚になったけれど。
でもやっぱり言われたくないです、「にんげんだもの」なんて。
だって、にんげんだもの。
その他大勢にはなりたくないんだもの。
自分だけは特別なにんげんだと思いたいんだもの。
そんな、その他大勢の、ひとりのにんげんなんだもの。

そんな、青春のたそがれの「私」ループのなかにいつまでとらわれていても、
けっこう順調に歳は重ねていくし、
もうみんなと同じ制服は着なくていいけど結局ユニクロとか着てるから、


そんな自分を「にんげんだもの」と開き直ってもいいんですけれども。
そろそろ、みつをと仲直りしてもいいかなって思ったんですけれども。


8月の陽射しにぺしゃんこにされながら、なんでこんなに暑いのかなあって
小学生並みの疑問を口にしたら、
ふいに「毛だらけだから」って声が聞こえました。
そうそう、私って毛だらけだったんですよね。スキンヘッドは思いとどまっても、
人並みに水着の恋をするには、こまめに毛を剃らなきゃいけなかったりするんですよね。
獣って、「毛物」なんですって。全身毛に包まれている動物。
歳を重ねれば重ねるほど、恋人のひげは濃くなっていくし、
ユニクロ以前に人類共通のユニフォームは「毛」ですよね。
だから、「にんげんだもの」って開き直るかわりに、
「けものだもの」って開き直ってみることにしました。

毛って何故か恥ずかしいですね。
でも、その他大勢の、ひとりのにんげんとして、自分を受け入れるためには、
生まれたまんまの、裸の自分を受け入れるためには、
裸で毛だらけの自分を、まずは受け入れなくてはいけない気がしました。


8月19日から横浜にて、ぺピン結構設計『ポエムの獣』。
皆様どうぞいらしてください。太陽が翳り始めた、夕暮れから始まるひとときです。
この季節、日中は暑いですから。
けものだもの。

コメントを書く