2004年10月アーカイブ


今回は写真祭りです。
ではなくて、お祭りの写真です。

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近所のお寺でやっていたお祭りの様子です。
上の写真は、私の知る限りかれこれ15年以上、このお祭りに毎年やってくるガラス細工屋さんです。
おじいさんが一人でやっているのですが、この15年フォーマットが一切変わりません。
どの店も賑やかで明るい雰囲気(お祭り気分ってやつ)をアピールしているのですが、
この店の前だけはほの暗い、青白い光を発していて、ガラスの動物たちが、しん、と輝いています。
それはまるで水の中のような透明感なのですが、同時に「アヤシ」、という言葉が浮かぶような祭りの後ろ暗さを感じさせます。
屋台のうしろの幌をあげたら、イケナイ見世物小屋の木戸が見えるんじゃないか、なんて。
なぜか中国の民話の、男をたぶらかして饅頭を食べさせ、馬に変えてしまう美女の話を思い出します。
おじいさんは本当は、悪い人なのかもしれません。
いつも、おまけしてくれるんですけどね。

射的。あんまり景品が落ちないので、子供たちが屋台ごと揺らして落とそうとしていました。おばちゃんが凄い剣幕で怒鳴りつけていました。「店ごと揺らせば落ちる」ってすごい発想です。

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祭りの始まりのほう。つまり本堂から一番遠いところ。

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一番賑わうメインの通り。でもまだあまり人が集まっていません。

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金魚すくい。金魚の命は一夜の夢のように儚い。と思ったら意外と何年も生き延びたりする。

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ガラス。ではなくて水飴。四角い大きな氷があって、10個くらいある窪みにこれがひとつずつ収まっているのを、ルーレットが当たったら2個もらえます。後ろに写っているのは流行っていない射的の店、店番のおっちゃん。

近年出てきたものでは、「横須賀風お好み焼き」っていうのがあって、ベーコンと目玉焼きが乗っています。「ベーコンエッグ=ベー・・・グン=米軍=横須賀風」らしいです。なななんかすごい由来ですよねそれ。

このお祭りは、「法要祭」という名前で、お寺主催で大々的に仏様を供養するお祭りです。
本堂に行くと、お坊さんたちが読経をしています。「声明」というやつなのかな。
でも多分、殆どの人が、そういう祭りの趣旨をよく知らないで集まっていると思います。
「地域のお祭り」というやつで、おそらく市外から人が集まるような観光的なものにはなり得ていません。
ですが、小学生の頃から通っている20〜25歳くらいの地元の子達が、ちゃんと集まってくるのですね。
「人が集まる」とか「足を運ぶ」っていうのは、コンテンツだけに惹かれてくるんじゃなく、なんだかんだいって関係性で集まってくるんじゃないかと思います。それから、蓄積された記憶。
だからね、やっぱり長くやらないと。長くやりたいです。

「毎年行く」場所って、みんな持っているんでしょうか?
今日はなんだかただの日記みたいになってしまって、すみません。

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先日、といっても既に一ヶ月近く前になりますが、
仙台に行ってきました。
仙台はすごしやすくてとてもきれいな町。若者はすごいお洒落。
東京の感覚ではすっかり秋の涼しさだけれど、皆さん元気に半袖。
セーターなんか着込んでしまった私はすっかり小さくなって、こそこそと牛タン屋さんに急ぎました。
ちょうどバッティングしたSTREET JAZZ FESTIVALで、市街は大賑わいでした。

仙台を拠点に活動しながらも、東京・大阪などへツアーもなさっている「三角フラスコ」さん、
東京国際芸術祭リージョナル・シアター・シリーズでご一緒した「きらく企画」さんをはじめ、
彼らにご紹介をいただいたいろんな劇場・稽古施設の方たちと、お話してきました。
町の中心部に位置する小劇場、エル・パークさんや、
子供みたいに(?)ユニークなアイディアでぴちぴちしている演劇工房10-boxさんなど。
皆さん、すごく高い意識(&エンジョイ魂)を持って活動されていて、どきどきしてしまいました。
彼らに、神奈川でもやっていただきたい。(東京でもいいのですが、ちょっとはずしてみたり)
ぜひぜひ、わたしたちもいつか彼の地で芝居をやってみたい。
ついでに、いまペピンの下田くんが修行をしているタイでもやってみたい。
ペピン結構設計「仙台−タイ−横浜」ツアーなんてどうだ。訳分からないルートじゃないか。
そんな、妄想のような夢をあてもなくむくむくと膨らませながら、帰ってまいりました。


(そしてここからは、別の話)
仙台に向けて、高速道路で、ちょうど東京と埼玉の間くらいを走っている頃、
たくさんのマンション・団地が見えました。
小さい頃、社宅に住んでいたので、なんだか妙に懐かしかったです。
億ションとかではなく、豆腐のような四角い建物が、肩を寄せ合うように並んでいて、
そのたくさんたくさんの四角い窓に、ひとつひとつ灯りがともっていて、
そのひとつひとつの灯りの傍に、家族や、夫婦や、子供たちや、ひとりぼっちが暮らしていました。
それはちょうど、金曜の夕飯どきで、
もしかしたら明日は息子のサッカーの試合かもしれないし、
お母さんは家族そろった食卓にいつもよりちょっと豪華な食事を用意しているかもしれない。
お父さんは早く帰ってくるのかしら。残業かしら、飲み会かしら。
娘は塾じゃないかしら。ほんとはデートしているのかしら。渋谷に朝までいるかもしれない。
夕飯はカレーかしら。
麻婆豆腐かしら。コロッケかしら。焼き魚かしら。
スーパーのお惣菜かしら、コンビニのお弁当かしら。

私の乏しい想像力では、そこにいる数限りない人たちの個性は見えなかったけれども、
灯りがついていて、きっとそこには誰かがいて、たぶんお腹が空く時分だろう。

そのとき、たまたま『星の王子さま』を持っていたせいか
闇の中にきらきらと浮かぶ団地の灯りが、星の瞬きに似て見えました。
王子さまが、自分の星に帰るとき、主人公の飛行士に言う台詞。

僕の星はちっぽけだから君の目からは見えないけど、あの星のどれかに僕はいて、笑うんだ。だから君は寂しいときは星空を眺めればいい。あの星のどれかで僕が笑っていると思えば、全部の星が君に笑いかけているように見えるだろう。

だいたい、そんなようなことを言います。
『星の王子さま』ほど、ロマンチックにはなれないけど、
誰かが居るんだなあ、とか、
何食べてるんだろうなあ、とか、
何が楽しくて生きてるんだろうなあ、とか。
遠くの遠くの、ここからは見えない場所の、窓の灯りを想像するのは楽しいですね。
夜景は、キレイさよりも、誰かが居るという体温を伝えるから、魅力的なんじゃないかしら。
私は、絵画に描かれた窓のなかにも、誰がいるんだろうってつい想像してしまいます。
何が楽しくて生きてるんだろうとか、大きなお世話だけれども、
おせっかいは承知の上で、想像して勝手に心配していたいと思います。
おーい、誰ですかぁ。
何が楽しくてやってるんですかぁ。

そうしたら、
あの窓のどれかで、家族や、夫婦や、子供たちや、ひとりぼっちが、
笑うかもしれないし、笑わないかもしれないし。

次のペピンのお芝居は、とても短い、小さなお芝居です。
『何処かの王子さま』という名前がつきました。
もしよかったら、このひとたち何が楽しくてやってるんだろうなあとか、思いながら、見てください。

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