2005年4月アーカイブ


もうけっこう前になりますが、
ひとりで南の島に行ってきました。といっても国内です。
日本で一番南に位置する島に、旅してきました。
どこか、果てまで行きたかったんです。
でも世界は丸いし、果てを目指しても同じ場所に戻ってきちゃうから、
どこかで区切るしかない。
とりあえず地図上で区切られる境界線まで、果てを目指して。

船を降りた瞬間、生暖かい風に巻き上げられるように、
獣の匂いがただよってきました。
だから最初から、そんな予感はしていたのですが。

その島は、自転車で大体2時間くらいあれば一周できる大きさで、
不精で観光とか面倒な私は一周しなかったんですけど、
道に迷う心配がないのを幸い、とりあえず日中は自転車でひたすらデタラメに走り回っていました。
その間、たくさんの山羊に会いました。
人間にもたまに会うんですけど、はるかに上回る数の山羊に出会いました。

島の人に訊いてみると、野生の山羊はいないらしいんですけど、
ほとんどの山羊はひろーい野原に放し飼いにされていて、
道を曲がるといきなり顔を出すから轢きそうになったり、
とにかくたいていの山羊は自由に歩き回っているんですけれど。
時々、つながれている山羊もいました。
そして不思議なことには、つながれている山羊はたいてい、ものっすごく短い紐で杭につながれていました。
大体、1〜3mくらいの紐。
野に放たれる山羊とつながれる山羊を区別する基準が何なのか、ちっとも分かりませんでした。
その山羊たちは、なんだかあまり理由もなく、たまたま紐につながれちゃったように見えました。
小さな空き地(車だったら3台停められるくらい)や、道端の窪みなんかに、
つながれた山羊が立っているんです。
半径1〜3mの円の中で、一日中ウロウロしたり、草を食んだり、
少しだけ高いところに登って木を眺めたりしています。
それで、全然人馴れしてなくて、近づくとすごく急いで逃げ回るんです。
半径1〜3mの円の中を。
追いかけると、さらに焦って、尻尾なんか巻いてしんから恐ろしそうに逃げるんです。
でも、紐がピンと張るところは一度も見なかった。
少しだけ離れたところに移動して、じっと後ろを向いている。
半径1〜3mの円の中で、彼(女)らの行動は充足しているんです。

その、山羊を見ていたら、なんだかとても侘しいような気分になって、
愛しくなって、その刹那、恐ろしいことに気づいて戦慄しました。
自分と山羊が「=」でつながりました。
ああなんて狭いところで走り回っているんだろうって。
そしてその狭さに気づかないでいる。
その紐を食いちぎって、この空き地から出て行きたいって、そんな発想さえなくて。
紐をめいっぱい引っ張って、その不自由さに気づくことさえなくて。

あとね、近づいても、後ずさりもできずに、おびえたように顔を背けるだけの山羊もいました。
逃げないのか?逃げないのか。
近づきたい気持ち半分、逃げて欲しい気持ち半分、
私もどうしてよいか分からなくて、ただ突っ立っていました。

それで、それから毎朝毎昼毎夕、山羊を眺めに行きました。
何も反省も、自戒も、否定も肯定もしていません。
ただ山羊を眺めていました。
南の強い太陽に曝されて、あるいは雨交じりの冷たい潮風に吹かれて。

動物は、本当に面白いです。

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沈丁花が咲いて、散って、桜が咲いて、散って、水たまりがピンク色に染まっています。
時の流れるのは早いですね。
たいへん遅ればせながら、
『伝説』にご来場いただいた皆さま、本当に、どうもありがとうございました!
今後も、はりきって胸に手当てて心には太陽を唇には微笑みを、
手に手を取り合って精進してまいりたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

昨晩、医者から「余命が1〜2日しかない」と宣告される夢を見ました。
というか、余命が「1〜2日」っていう期限設定は細かいんだかアバウトなんだか、よく分かりませんが、
「あと1年間」と言われた場合の1日と、1〜2日のうちの1日では、24時間の重みが違うと思うんですが、
とにかくそんな、人生最後の時間を過ごす夢を見ました。

あと少ししか時間がないということで、
店で食事を頼んでもなかなか出てこなかったら「もういいです」って言って出て行こうとしたり、
全体に駆け足で移動していたり、
私はなんだかとても生き急いでいました。
でも、急いでいるはずなのに、歯ブラシをじっくり選んで買ったり、レジの長い行列に並んだり、
貴重な時間を使って、何してんだろ?という行動をしていました。
喫茶店で頼んだホットケーキがやたら遅くて、待ちきれずに出て行こうとしても、
ウェイトレスから「これはオススメですから!自信作ですから」と言われて、
それならぜひいただきましょう、と(焦りつつも)待ってみたり。

そして、待たされても、長い行列の最後尾にいても、何故だか私はとても幸福で、
駆け足で移動している間も、すれ違う人すべてに感謝していて、
なんだかみんなが愛しくてたまらなかった。
死ぬ前って、自分の大事な人だけと、しっかり時間を過ごしたいものじゃないかと思っていたんですが、
夢の中では誰でもよくて、普段親しくしている人たちとか古い友人とか誰も出てこなかった。
だけど初めて会った人も、言葉を交わさないまま過ぎていく人も、
みんな優しくてきらきらして微笑んでいるように見えました。
そしてみんなが、私がもうすぐ死ぬことを、心から祝ってくれているように感じました。
まるで、ゴールを目前にしたマラソンランナーを応援するみたいに。
そして私は、応援してくれる見知らぬ人たちに「ありがとう」と応えるみたいに手を振っていました。
でも決して高揚感があるわけじゃなくて、ごく日常的な、愛情のやりとりだった。
駅で落し物をしたときに、拾ってくれた人と交わすような笑顔。
平熱の愛情。

もうすぐ、宣告された時間が終わろうとしていて、
からだが少しずつ、動きが鈍くなっていって、階段とか昇れなくなっていて、
「ああもうすぐ死ぬんだ」ということを理解しながら、
それでもウェイトレスに勧められた、なんてことのないホットケーキを頬張りながら、
やっぱり駆け足でみんなとすれ違いながら、
幸福な晴れやかな気分で死を迎える前に、目が醒めた。
雨が降ってた。

朝の新橋駅は、傘を提げたたくさんの見知らぬ人たちであふれかえっていて、
人波の中を私は半分駆け足で、やっぱり急ぎながら、
頭は妙にぼんやり、のんびりしていました。
すれ違う人たちの顔はちっともきらきらしていなかったし、私に笑いかけてもいなかったけど、
地下道は曇り空も見えなくて、地面が灰色に光っているだけだったけど、
でもよく言われるほど、都会は殺伐としていないじゃないの。
とっても、普通じゃないの。
平熱の愛情が、やっぱりここにも流れているじゃないの。
みんなすごく幸せなわけじゃないけど、誰かをすごく愛してるわけじゃないかもしれないけど、
でも普通に、自分の速さで歩いているだけじゃないの。
少しだけ急いで。

私は、「自分で幸せだと感じることができれば幸せだ」とは思っていません。
つまり「幸福って絶対的なもの」じゃなくて、「相対的なもの」だと思っています。
世界には、幸せ者ランキングがあって、それを誰かがちゃんと測ってると信じています。
(ちなみに、神様ではない。測っているのは、鬼だと思っている。
空を見上げると、やたらもくもくとうずたかく積もった雲が空の高いところに固まっている
ことがあるでしょう。
あの向こうで、鬼が見張っていると思っているのです。私が生まれてから死ぬまでを)

そのランキングの存在を信じてしまったが最後、どうやってもあがいたり、急いだりするんだけど、
でも、そのランキング競争のなかに平熱の愛情が流れている。
まるでみんなが同じ音楽を聴いてるみたいに。

「テムポ正しく握手をしませう」とうたったのは朔太郎だったでしょうか。
皮肉半分、残りの半分は、愛情のような気がします。
ちょっと素早すぎて、一瞬だから気づかないけど、
すれ違う人と人が握手をし合っているような、
そんな風に世界が見えました。
そんな、自分が死ぬ夢を見て目が醒めた朝でした。

これからこのブログは、もうちょっと頻繁に更新していきますね。
今までみたいに長いのだけじゃなく、短いのと、時々すごく長いの。
そんな風に、続けていこうと思います。
どうぞ末永くよろしくお願いいたします。

追記:おっと、テムポ正しく握手をしませう、は中也でした。失礼しました。

Galvanni Shop 09/06
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