馬は走る

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素朴な疑問なんですが、「走馬灯」って本当にあるんでしょうかね。
私は死んだことも、死にそうになったこともないので、ぜんぜん分からないのですが、
以前からちょっと気になっています。
無いなら無いでも、構わないんですが、できたらあってほしいな。

死ぬ瞬間に、誰の顔が見えるのか。
思いもよらない人だったりするのかな。小学校の校長先生とか、
子供の頃、社宅に住んでいたときに一緒に遊んだ子とか。
引越しのときにトラックにピアノを積み込んでいた運送屋のお兄さん。
電車の中でラブレターをくれた知らない男の子。
好きで好きで仕方なくて、いつも遠くからみつめてた、ふたつ年下の女の子。
通学途中にいつも挨拶してたのに、或る日突然いなくなった柴犬。

誰の顔が見えるか、分からないんだけど、
やっぱり然るべき人の顔が見えて欲しいって思うのです。
然るべきっていうのは、期待している、っていう意味になってしまいますが。
でもそんなもの見えたら、死ぬのがイヤでイヤで仕方なくなってしまうかな。

ちなみに私は、最後に見えるのはきっと、まだ生きている人じゃないかと思っています。
自分よりも先に死んだ人(たとえば、三途の川の向こうで死んだ人たちが待ってるとか)は
登場する気がしないんですよね。どうしても。というかして欲しくない。
前世とか、まともに信じたことはないけど、
子供の頃からずっと、自分は死んだ人の代わりに生まれたって思っていました。
あー戻ってきたんだなー、って。
だから、死んだ先には天国とか別に何もなくて、みんなこっち側に戻ってくると思ってました。

「走馬灯」って、彼岸に属するものじゃなくて、「生」の此方がつくってる気がする。
未練がましいものじゃないかって思う。死ぬのが楽になるための、気休めなんかじゃなくて。
どうせなら未練たらたらで死んでいきたい。
死ぬときに後悔したくないなんて思わないです。

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