90年代の苦さ

user-pic
0

大事なことはみんな月カドから教わった。

なんていうのは冗談ですが。
古い荷物を整理していたら、「月刊カドカワ」が何冊か出てきました。
頁を開いてみなくても覚えているのは、
岡村靖幸や忌野清志郎の特集とか、しりあがり寿の挿絵とか、
たまのイラストエッセイ、あと岡崎京子の漫画。
ちなみにいま手元にある1993年5月号は「槙原敬之特集―『ぜんぶ僕だからしょうがない』」です。
「岡崎京子からいとうせいこうへの52の質問」なんて記事があったりもして、胸が騒ぎます。
当時は、大槻ケンヂの『グミ・チョコレート・パイン』が連載していました。
仲井戸麗市もエッセイを書いているし、ミュージシャンの文章が多かったんですね。
小室哲哉の「TMNの再生」という文もあります。

私がこれを買って読んでいたのは、小中学生のころだったから、
ちょうど90年代が始まるか始まったかという頃です。
その中にいるときは、子供だし、前後のこともわからないし、
どんな時代かなんて認識していなかったけれど、
2000年代が半分過ぎようとしている今、改めて見返すと、
なんだか眩しいような、苦いような気持ちが沸き起こります。

いまドリカムを聴くと、なんだかモジモジしてしまうというか、
「思春期」という言葉の気恥ずかしさそのままに、照れてしまいますが、それとは違う。
懐かしいのでもなく、きらきら輝いているのでもなく、
なぜだか胸が痛みます。
最近すっかり痩せたサンプラザ中野を見たときの気持ち、とでも言いましょうか。

そこに登場する大人たちが、その当時も一生懸命がんばっていて、
何かきらきらするものを追いかけていたんだということが、わかるからかもしれません。
今は駄目だというわけじゃありません。
確かにいま、私たちは岡崎京子の新作を読むことはできないけれど。
岡村靖幸はずいぶん太ってしまったけれど、まだ踊れるし、
いとうせいこうや忌野清志郎は今だって大活躍しているし。

この苦い気持ちの正体はなんだろう、と考えてみたのですが、
そこに「10年間」という時間が、リアルに流れているからかもしれない、と思いました。
実際以上に短くもなく、長くもなかった10年間。
10年間分の、いろんな人の「一生懸命」と、10年間分の変化。
きっと、この当時、ここに載っている大人たちは、10年間でもっともっと遠くへ跳ぼうとしてた
んじゃないかと、そう感じます。ずっと遠くへ、もっとキラキラしたところにいけると信じて、がんばってた。
だけど10年間分相応なんです、当時リアルタイムで私が読んでた月カドと、現在の距離が。
相応っていうのも変かしら。なんでしょう、「10年間ってこんなものか」という気持ち。
よく、「歳をとればとるほど、1年経つのが速くなる」なんていいますが、
確かにそう感じるときもあるにはあるのだと思いますが、
時間の速さは、ほんとうはいつも同じ。
リアルな時間のスピードを感じるから、苦いのかもしれない。

私はまだ20年と少ししか生きていないから、
時間を10年ごとに区切って、「こんな時代」「あんな時代」とかって、
相対化したり、名前をつけたりすることはできない。較べるものがないから。
だけど、私の目がまともに開き始めて、大人たちのがんばってる姿を見れてこれた10年間は、
まだ「90年代」しかないので、やっぱり少し、特別です。
そして、その「90年代」は、実際の10年間以上に遠くに跳べた時代ではなかったみたいです。
「楽しい時間は速く過ぎる」なんて、そんなものではなく、
ごく当たり前に10年間=3650日が過ぎた時代だったのかもしれない。
そんな感想が、この苦い気持ちの正体だと思います。
だって、これから10年間で、ずっと遠くに跳ぼうとしているからね。やっぱり私たちも。

華やかだったと聞く「80年代」も、80年代を生きた人にとっては、やっぱりリアルに10年間なのかしら。
先輩諸氏に訊いてみたいところです。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://blog.pepin.jp/mt/mt-tb.cgi/44