
昨日は、お友達の誕生日会だったのですが、
その人が、周りの人たちにとても愛されているんだなということを感じて、
幸せな気持ちが昂じて、メランコリーな気分に駆られてしまいました。
さだめなき世は なかなかに、
さだめなき世は なかなかに、
憂きことやたのみ なるらん。
これは、最近読みかじった謡曲の一節ですけれども。
その本当の意味は、不勉強でよくわからないし、
前後の文脈をまったく無視して、勝手に引用させていただきますが。
留まることなく流れる時間のなかで、何も頼りにならない世界のなかで、
「憂きこと」だけが却って確かな、拠りどころになるということならば、
すごい生命力にあふれてる言葉だと思います。
一瞬時間が止まってしまっているような、幸福なときがあって、
その幸せの熱と、その瞬間がいつまでも続いて欲しいと思うなんか悲しい願いと、
いっしょくたになって、居所がなくなってしまう。
そんなとき、胸が灼けるような憂鬱がこみあげてくるのだと思うのです。
幸せが、時間の流れと一緒に消えてしまうような気がするから、憂鬱なんでしょうか。
留まるものではないから。
で、その憂鬱っていうのは、まるで「情熱」ってものに似ていて、
めらめらと燃え上がるような、時間の流れよりも早く走って幸せを追っかけたいような、
居てもたっても居られないような、そんなメランコリーだと思ったのでした。
そんなメランコリーが、ともかくも生きてみる原動力だったりするのかも。生命力。
メランコリーがめらめら、燃えて、熱くて、やむにやまれず、走り出しちゃうような。
そんな、めらめらめらんこりーな夕べがありました。
ちなみに写真は、猫のあまりに幸せそうな寝顔に、
やっぱり、めらめらめらんこりーになったある昼下がり、です。
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