タウンズビル日記

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今日はドラマリーディングの打ち合わせ・稽古を途中で抜けて、私の脚本を翻訳してくれるJunさんとの打ち合わせ。全部は時間的にも無理なので、あらすじと最終場だけ翻訳してもらうことに。彼は中学まで日本に居て、アデレードのハイスクールに進学し、いまはこの大学の医学部で勉強している2年生。貴重な冬休みに急なお願いをしたにもかかわらずとても親切で、脚本全体のコンセプトや登場人物のバックグラウンドも丁寧に聴いてくれる。ここでの打ち合わせを踏まえて、Junさんが夕方までに翻訳を仕上げてくれるという。その後改めて細かい台詞や地名や固有名詞をどう訳すか検討することにして別れる。

午後からはワークショップ。チューターは夜明けという綺麗な名前を持つロンドンのディレクター・Dawn。登場人物をイメージして書き落としていく過程、その人物の行動や台詞、外観にそれがどう表現されていくかといったことを、practiceを通じて確認していくような作業。彼女は戯曲家ではなく演出家ということで、ワークショップの内容も演出的な観点からつくられているというか、演出的な作業(つまりすでにある戯曲を読み込んでいく作業)を逆算したような内容だと思った。
でもそれは、戯曲と稽古場という距離を考えるとき、すごく重要なことだと思いました。これはむしろ、個々の脚本家・演出家よりも、ひとりで脚本・演出を兼ねている人にとって有効かもしれない、なんてことも思った。ト書きをどこまで書くのかとか、登場人物をどこまで具体的に(たとえば演じる役者の身体性まで想定して)描くのかといったことを考えるのに役に立つかも。

夕方から少し時間ができたので、水を買いに生協まで歩いていってみる。「時間が出来たので」というのは、キャンパスがとても広く、生協まで行くなら往復で30分かかるのは覚悟しないといけないから。でも店はすでに閉まっていて、自動販売機も壊れている。そのまま帰るのは口惜しいので無駄にクリップとか買ってみる。帰ってきたら疲れ果てて、Junさんとの約束の時間まで転寝。

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(晴天也)

夕方に部屋に行くと、ひととおり翻訳が終わっていた。4時間かかったというけれど、4時間ですよ。すごいです。彼はplaywrightではないから直訳になると思うけど、と事前に言われていたけれど、午前中の打ち合わせがしっかり反映されている内容でスバラシイ。Junさんは音楽や読書が好きと言っていたけれど、かなり勘がよい人だと思う。私の分かりづらい脚本も、拙い説明も、よく理解をしてくれていたよう。リーディングのリハーサルのため時間がなく、また夜に会う約束をして、劇場に走る。

夕食後は私のグループのドラマリーディングのリハーサル〜本番があった。とはいえ、私は翻訳打ち合わせで稽古にもなかなか出られなかったし、言葉も得意でないので、残念ながら台詞のある役ではありません。「戦争で負傷して倒れて死ぬ人」です。学芸会とかでこういう役どころの子っていますよね。あんまり目立たなくて成績は中くらいでドッジボールではすぐ球に当たって外野に行くタイプみたいな。

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(リハーサル風景)

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(別のグループの発表)

ドラマリーディングは前半・後半で休憩を挟みつつ、2つのグループが全メンバーの作品を舞台上でリーディングする。勿論、演者の配置や簡単な動き含め、ある程度の演出はグループにゆだねられています。
私たちのグループは比較的、マオリやアボリジニといった人種的な問題を扱っていたり、どちらかといえば悲劇的な話だったり、シリアスなテーマの作品が多かった。あと、台詞がポエティックだったり、動きを含めてシンボリックなシーンが多いかも。アボリジニ出身のDalenの作品は、アボリジニたちが白人文化に侵食されている様を描いたコメディー。たとえばシャーマンがケンタッキーの骨で(しかもご丁寧にテイクアウトのボックスから取り出して)占いを始めたり、ディスコミュージックがかかったりと、かなりスノッブな雰囲気。スラングが多くて細かいところはよく分からないけれど、侵略された人たちの様子をこれだけコミカルに皮肉たっぷりに描くというのは新鮮。登場人物が阿呆らしく描かれていたりと、アボリジニ全面肯定でなく、というか被害者的な位置づけじゃないのが興味深い。
とは思いつつも、それってすごく「当事者の特権」的だとも感じてしまった。当事者じゃなきゃ、なかなかこんな風に書けないと思う。そのことの価値を否定するわけじゃないけど、当事者じゃない立場からどれだけ踏み込めるか、どれだけ別の視点を抱え込めるかということに私は興味がある。自分のフィールドにいるうちは、なんでもいえるから。と自戒をこめて。
その意味で、ニュージーランド出身のミリアの脚本にある、マオリ族のモノローグはとても気になる。彼女は果敢にもアジア人、インド人、マオリ、パケハ、サモーンといったいくつもの人種から登場人物を総動員してるのだ。ゆうこさんがアジア人女性の役を演じていたのですが、コミカルで会場からも笑いが出ていた。

本当はちょっと台詞を言ってみたかったけれど、その分、「倒れて死ぬ」芝居には否応なしに気合が入る。リハーサルでは見せられなかった本気の芝居を見せてやる。なんだそれ。その割にちょっと地味な芝居しちゃった。
終わってから、何人かに褒められる。何故。いい死にっぷりだったね!だって。死ぬシーンしか出てないからそこしかコメントされないのは当然なのだけど、妙に恥ずかしい。

終わってから、まっすぐJunさんの部屋に。いくつかの言葉遣いの変更点や日本語脚本にはないけれどJunさんが言葉を付け加えてくれた意訳的な台詞などについて確認する。明日の午前中、ディレクターのキャサリンに確認してもらって、午後には皆に稽古してもらい、明晩にはリーディング本番。楽しみだけど怖い。

Junさんは20歳という年齢に似合わず(?)とても落ち着いていて気遣いのある方です。おしゃべりが楽しくて、結局1時近くまで喋りとおしてしまった。しかも70年代の歌謡曲が好きなところとか、妙に趣味があう。脚本の説明をしているときに、「ここは、『17歳』という歌をうたったんですけど・・・」と言うと、「あ、南沙織ですね」と言ったから、よく知ってるなあと思ったのですが。因幡晃をオーストラリアの大学のキャンパスで聴くことになるとは思いませんでした。
寮の部屋で「22才の別れ」をギターで弾き語ってもらって、なんともいえないすごい気分です。もしかしたらオーストラリアに来て一番すてきな時間だったかもしれない。

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