2009年1月アーカイブ


ブログ?

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手紙かー。僕は書き初めるにあたってブログのことを考えてた。

わりかし自由な職場で、毎朝あらかじめブラウザにブックマークされたブログたちをチェックする。RSSは使っていない。時代遅れかもしれないけれど、それはそれで一個一個ポストを開くような楽しみにもなっている。

大先輩なご高齢キュレーターのブログがある。日常のあれこれを五・六行、ささっと書かれているのだけど諸行無常。わりと毎日の出会いと別れについて語られる、たびに読んでるこちら側が一喜一憂してしまう。今日は泣けた、いや泣いた、今はもういない旧友のお話だった。

ふと我が身を重ねてしまう。周囲の皆々様の顔が僅かばかり頭をよぎり、もし誰かがそうなってしまったらなんて縁起でもないことを考えて身は捩れる、鼻が詰まる。僕は幸か不幸か、ここ20年そのようなシーンにあまり居合わせたことがない。慣れないせいもあるのか、はからずも極度の既視感を感じてイメージは風船のように膨らんだ。

話は変わるがこのブログというもの、読む一方でこうして書き始めてむず痒さを感じてる。
確かにお前はかんたんに複製も記録もしてしまう。携帯からでもほぼ見れるよ、誰にでも読めるよ。便利だよ。けれども、なんというか、その、軽躁に思えてならない。思い浮かばれる様々がカオティックに文字を通して形に残り並ぶ。事実はもちろん、文法や話法の間違いを孕んで散乱する。べつに論理的で響きよい「うつくしい日本語」を求めたいわけでもないが、言葉がインフレーションを起こしてしまうようでむず痒いのかもしれない。無数の言葉の中に、想いを埋めてくれるな、ブログたちよ。自戒もこめる。

書き手がいて、その先に相手がいる。感情を宿して、肉声になる。届く言葉は、そうしたリアリティを帯びた気持ちの表れが強いイメージを聞き手に喚起させる。そう思うとラブレターなんて、正に真剣勝負か。そんな勝負、したことあったかな。どうだったか。

うーん、ブログにむず痒さを感じ、言葉をすこし想ったら、愛やら恋やら考えるようになってしまった。少し気恥ずかしくなってきたのでそれはまたどこかでにする。

そういえば、昔のJRスキーキャンペーンでこんなコピーがあった。
「愛に雪、恋を白」やー、広告的ー。でもどこかいさぎよくて、好きだ。

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上野呑み

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上野を中心にした数少ない友だちと前々から集まって呑みましょう、
と話してからかれこれ1年くらいが経ち、昨日ようやく「上野呑み」が実現しました。

路地を入っていったアレンモクという韓国料理屋さんで(柄にもなく)お互いの
恋愛観の話になりました。

s20090128082.jpg
その友達曰く、「下ちゃんは、自分のことが相当好き」ということらしく、
うーん、確かに自分のこと大好きかもしれないです。
ですから、相手が私に向けてくる好意が、自分が自分に向けている好意
よりも低いと思うとめちゃくちゃ残念でなりません。相手の自分に対する
評価がすべてだと思う節があります。

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いかに自分がダメかっていうことについて考えてばかりで相手が自分に
よせている好意に鈍感になってしまうのはもったいない。

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友達が放ったこの言葉にKOされました。

うーん、友達っていいな。

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レター教室に関して、もうひとつ気になっていることは、
「言霊」(ことだま)ということです。
それは、手紙というモチーフだけじゃなく、
"リーディング"という上演形式にも関わっています。

ドラマリーディングって、何?
と訊かれると、正直うまく答えられなくて困ってしまいます。
そもそもは、戯曲(台本)のブラッシュアップのために
戯曲を朗読し、そのうえで更に手を加えて作品を磨く?
というのが、ドラマリーディングの役割らしい?です。
というくらい、「?」だらけです。私も。

今回は、決してブラッシュアップされることのない作品を読むわけだから、
(作家はすでに加筆も修正もできないから)
その本来の目的とは違う"リーディング"なのです。
でも、いずれにせよ書かれた言葉を、「書かれた言葉」として、読む。
ということが大事なのかな、と私は思っています。

でもそれが、もともと声に出される予定の戯曲(台本)ではなく、
小説のように、黙読が前提とされていて、音読は想定されていない形式の場合、
この"リーディング"っていったい何のためにやるのさ?と我ながら思います。
まず作品から期待されていない。たぶん作家にも。
声に出して読んで欲しい人がいるのか?
声に出して読んだほうが、なんかおもしろいのか?
声に出さなくても完成しているのに、なんでわざわざ?

しかも、内容が「手紙」というプライベートな、ふつうは人前で
声に出して読まれることのない言葉をあつかっている以上、
二重に「期待されていない」行為なのじゃないだろうか。

これって、誰からも必要とされてないんじゃないかな・・・
私って、誰からも必要とされてないんじゃないかな・・・
そんないじけた気持ちにも、なってしまいます。


そんなとき、ふと思い浮かんだのが、「言霊」ということでした。


最近目にした、手紙について書かれたエッセイの中で、
「手紙は、手書きで書かれているから言霊がこもりやすい」
みたいなことを言っていて、
(これ自体、眉唾だけど、それはどうでもいい)
それよりもおもしろいと思ったのが、

「言霊は、手紙が投函されたあとではなくて、書かれた瞬間に相手に届く」

と言われていたことでした。


書かれた言葉であるということ。
レター教室は、それが三島由紀夫が書いた言葉であると同時に、
(三島由紀夫が演じる)5人の登場人物たちの書いた言葉です。
ダブル言霊ってことかしら。

そして、そのダブル言霊は、先のエッセイの主張に従えば、
書かれた時点ですでに私たちに届いているわけです。
そして今も、たくさんの人たちの心を動かしている。


ここで、少し頭を切り替えて、そもそも「言霊」って何か、ということに立ち戻ってみます。
「言霊」という言葉からすぐにイメージするものは、一般的に、
書かれた言葉よりも、喋った言葉、口にした言葉に宿っていると
思われる"パワー"とか"意思"とかみたいなものかな、と思うんです。
たとえば、縁起でもないことを言うと、実際に悪いことが起きてしまうとか、
逆に願いことを口にしていることで、それが叶うとか。

で、書かれた言葉の言霊が、「書いた瞬間」に発動するのに対して、
口にされた言葉の言霊はきっと、「声に出された瞬間」に発動するんじゃないかと思うんです。

だとすれば、「声に出して、読む」って、書かれた言葉自体が本来持っていた言霊を、
よみがえらせたり、新しい言霊を吹き込んだりすることで、
その言葉が本来持ち得る力そのものを、体感するってことなのかなあって。


だから三島さんが、5人の登場人物を通してこめた言霊は、それはそれとして、
今回の"リーディング"で声に出して読むことで、三島さんの書いた言葉には
別の言霊がこめられて、別の意思を持って、別の方向へ私たちを動かすかもしれない。
三島さんの書いた言葉は、三島さんのこめたものを超えていくんだろう。
それが、言葉の力、それこそ「言霊」っていうことなのかもしれない。
三島由紀夫、5人の登場人物、声に出して読む私たち。
それぞれに言葉を発する当人たちの意図を超えて、事態を動かしていく言葉の力。
そういう言葉の力、または「言霊」を体験することが、
今回の横濱リーディングコレクションのような企画の、ひとつの意味なのかもしれない。


なんて偉そうに。すみません。
でも、「言霊」のこと考えて、作ってみたいと思っているであります。
今回のリーディング。
よかったらいらしてください。
■チケットのご予約はこちらからどうぞ。>>> 予約ページ

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レター教室』について、
「じりじり、やきもき/レター教室」という記事を書いたんですけど、
実際に、これについて知人からメールをもらいました。

その中で、印象的だったフレーズを、本人の許可を得て、抜粋引用します。
ちょっと長いかもですけど、おもしろいのでお付き合いください。

---
そもそも自分が出した手紙が相手にいつ届くのかすらアバウトだった。
手紙はやっぱり遠距離の相手に送ることが多かったから。
投函時間によっては到着は3日後か、週末を挟んだらもっと?みたいな。
宅急便が発達するまでは、郵便局の配達期間ってかなりばらついていたと思う。

そんなわけだから、自分が出した手紙の返事がいつ来るかなんていうのは、
だいたい忘れた頃にやってくる、くらいの感覚だった。
送受信ボタンを押してメールの返事を確認するようには、郵便受けをチェックはしなかった。
だから、返事はいつもDMの束の間から「思いがけず」って感じで見つかる。
(中略)

でも、だからこそ、手紙が届くってことは少し特別なイベントだった。
---

このメールをもらってから、「待つ」ということを考えていました。
私は結構、短気で、いつも、何かが起きたり
何かの結果が分かるのを待ちきれずに苛々してるようなところがあります。

たとえば、これは最近、気がついたことなんですが、
恋愛においては、付き合ってる相手に対するハードルを(心の中で)すごく上げてしまうことが多い。
でも本当は、そんなに高い条件を相手に求めているわけではないんです。
実際、付き合う前はそんなにハードル高くない。

どうしてこんなハードルを上げてしまうのかなあと考えたところ、分かったのは、
私は無意識のうちに、「相手に失望するとき」を引き寄せようとしていたみたいなのです。

じゃあ何故、相手に失望するときを引き寄せたいのか?
それは、「結論」を待てないからです。早く答え(結末)が見たいからです。
自分でそのことが分かったときは、愕然としました。
そんな理由で、恋愛関係をぶち壊しているとは信じられなかったからです。

「待てない」。
別の言い方でいえば、自分で関係をコントロールしたい。
たとえそれが「恋愛関係の終わり」という形であっても、
自分の力で、結末を「捕りに」行きたい。
自分のコントロール外のことが起きるのを、待つことが出来ない。


生易しいことじゃない。
『ゴドーを待ちながら』って待つだけのお芝居が出来るくらいだもんね・・・


「待つ」というのは、自分の意志や力ではコントロールできないことを、
そのままに受け容れる、ということなのかな、と思います。
だからこそ、「それ」が自分の目の前に姿を現したときに、
「思いがけず」という驚きが生まれる。

でもそれは、まったく予期してなかったわけじゃない。
自分が書いた手紙の返事ならなおさら、届く可能性は、考えていたはず。
それでも、期待しない。ある意味では、「待たない」。願わない。
だけど、現れることを望んでいる。のぞみ。
祈り、という言葉だと、誤解されてしまうかな。

届いたらうれしいけど、届かなくても構わない、って気持ちに限りなく近いけど、
そうして言葉にしてしまった途端に、「届かない」ってことを肯定してしまった途端に、
ほろほろと崩れてしまうような、繊細でもろい、ねがい。
なんだか、卯の花みたいな感触の。

否定も肯定も、言葉にできないような、ねがい。
待っていたことを、忘れてしまうような「待つ」。
だけど、ちゃんと思い出す。
いつも見えている。見えているけど、見ていない。

だから、届いたときは、知っていたのに「思いがけず」発見する。
同時に「私は知っていた」と思う。


手紙を出している側も、そう。
メールなら、送信ボタンを押した瞬間に届いている、
届いた瞬間を、(手触りはないけど)確認することができる。
でも、手紙はいつ届くか分からないし、その瞬間を見届けられない。
(今、「郵便的」って言葉を思い出したけど、不勉強なのでわかんないや)
だから、届くのを「待つ」。

私の知人もメールで書いているように、以前は日本の郵便も不安定だった。
私は昨年、中国から日本の友達へハガキを出したけど、
6通出して6通、全部、どっかへ消えてしまいましたよ。
中国の郵便、恐るべし。


私たちが、手紙というものに出会う瞬間て何が起きてるのかな。
そしてその手紙を読む、って、どういう行為なのかな。
そう考えたら、

「待つ、待たれる、手紙」 >>> 「待たない、待たれない、手紙」
「ねがい」

ということを心に置いて、『レター教室』やりたいな、と思いました。


なんかさ、手紙ってやっぱ、スペシャル感あるじゃん。
てうちの妹が言うような、その気持ちを、形にしたいよ。

中澤 大輔 01/28
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石神さんが私にお手紙を書いてくれたようです。
郵便受けに届く日を待っております。

手紙と聞いて、そういえば最近は手紙をほとんど書いていないなと
思いました。

しかし、私の日常はメール・メール・メールのやり取りが続きます。


大学生のころだったか、至極私的なメールを誤って別の人に送って
しまい、送信ボタンを押した瞬間に、あっしまった!と思い、次の瞬間には、

戻れ戻れ戻れぇぇぇ!

と、じたばたしたことを思い出しました。

いま、思い出すと、身体がびくっと反応して、あの時のもぞもぞっと
した感じが蘇ります。身体に電気が走るというか、もぞもぞっと、
じたばたしてしまう。

「記憶のスイッチが入ってしまって、『あの時』が蘇ってくる」と言えばいいのか。

ぜんぜん種類は違うけれど、反応の出方としては、胸キュンに似ています。

そういう衝撃が身体に走るたびに、なんかすごく嬉しくなるんですよね。
楽しくなるんです。部屋で独りきり。ちょっと気味悪いですけど。

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今週末は、横濱リーディングコレクションで上演する、『レター教室』の稽古でした。
『レター教室』は、5人の老若男女の手紙がくんずほぐれつしながら、
物語が進んでいく仕立て。

今日は稽古の中で、全員がそれぞれに、身近な人への手紙を書いて持ち寄り、
他の人がそれを朗読する、というワークをやりました。
一週間前から出していた宿題だけど、書く相手だけで結構悩むもので。
ふたを開けてみれば、肉親へ書く人がいたり、
顔も見たことのない尊敬する人へ書いた人もいました。


手紙のなかの自分って、なんか普段のキャラの一部が
ちょっと強調されて、オーバーアクションで振舞っているみたい。
ネット上で別人格を持ってる人いますけど、それとはまた違う。
そこには居ない相手へ投げかける言葉であっても、
ペンを持って紙に向かっている書き手、の物質的な存在感が
書かれた文字や便箋から、しつこいくらいにおってしまう。
残り香どころか、脱いだばかりの下着を嗅ぐくらい直接的だよ。


だから、自分の手紙を聞くのはやっぱり相当、気恥ずかしいです。
なんか、自分が汗くさくないか、気になるみたいな感じです。
そして、他の人の手紙を読むのは、かなり緊張します。
書き手の思いや、手紙の中に流れている時間に圧倒されます。
心が動かされます。


そういうの、当たり前のようなことかもしれませんけど、
体験できたのでとてもおもしろかったです。
ちなみに私は、ぺピンメンバーの下田くん宛に書いてみました!
もちろん、本人には言ってませんけど。


『レター教室』については、またお話したいことがあるので
数日のうちに、あらためて書きます。
■チケットのご予約はこちらからどうぞ。>>> 予約ページ

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薬指の長さ

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なっちゃんの話の続き。
世の中的には草食系男子、というのでしょうか。
増えているらしいですよ、草食系。モグモグ。

男気のある人を探すなら、薬指が長い人を選んだほうがおすすめ、かも。
外資系金融に向いている人は薬指が長いらしい。

薬指の長い人は稼ぐ トレーダー調べると7800万円差

僕もこの記事のことを聞いて、思わず自分の手を見てしまった
とっても浅はかな男の子の中のひとりです。
まあ結論としては、外資系金融に向いているというよりも、自信やリスク指向性、
ねばり強さがある人が薬指が長いということみたいです。男気もありそうです。

下ちゃんの話で、運命?に導かれているみたいな話があったけど
そういう運命って、たとえば、薬指が長い、みたいなことで
決められているんだろうか。
薬指が長いと、外資系金融に就職するっていうのも運命?
シンデレラが王子様と出会い、后になれるっていうのも運命でしょうか。
朝のテレビ番組の占いで、ラッキーアイテムは「帽子」と言われ
帽子をかぶってたら、鳥のフンが髪の毛に直撃しなくて助かった・・
みたいなことも、やっぱり運命でしょうか。

運命に導かれている、って思えたら
それはとっても素敵なことなのだ、と僕は思います。

占いを見たおかげで、フンに直撃されなくてラッキーだった、と思えたら
鳥のフンが落ちてきても、逆になんだか得した気になるし
シンデレラの物語を読んで、いつか私にも王子様が来るかもって思えたら
つらい仕事が待っていても少しは気持ちが軽くなるかもしれない。

ちなみに僕は、右手の薬指はかなり長く、左手はそれより少し短めです。
片方だけなので、外資系金融のエリートは無理かもしれませんが
平社員くらいなら勤められるかもしれないです。
あるいは、右手だけで仕事をすれば、エリートになれるのかもしれません。

Galvanni Shop 09/06
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小学校1年の作文で、「自分の将来」を書くものがあって、
そのときすでに「野菜を育てる人になる」とはっきりと書いていた。
うちは農家ではないのだけれど、土から何かが生まれ、それが
食べられるということに感動した。

それから20数年。そのときの作文が導くかのように、
畑や土や農に比較的近い位置にいる。
何かに引っ張られていたり、導かれているような感じ。

本当は自分が駒になっていて、誰かがスゴロクの紙の上で
その駒をうごかしているんじゃないのか!?

それが神様とか異界のものではなくて、今すれ違った普通の
格好をした女の人だったら、なんだかその女の人のあとを
ついていきたくなる。

女の人が家に着いたらリビングにスゴロの紙が広がっていて、「今日は
どう動かそうかしら」って紅茶をすすりながら駒をいじくっている。

そしたら、僕は言いますね。
「僕はここにいますよ!駒をいじらなくてもあなたの後ろに
いますから。あなたに導かれるようにここに来てしまいましたよぉ。
よろしく!」って。

あぁ、でもきっとそんな格好よくは言えないんだよな。きっと。

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中澤くんの逆玉の話を読んで、思いついた結婚の話。
結婚とお金の話。


同年代のなかに、結婚した友人も増えてきた今日この頃。
とはいえ、やっぱり晩婚化が進んでいるのか、
「まだまだ・・・」という人も、特に男の子には多いみたい。

よく、晩婚化の要因として、女子の経済的自立がいわれてますが、
同時に、いわゆる会社員として働くのとは別の形で、
夢や自分のライフスタイルを追求する男子が増えたのもあるんじゃないでしょうか。
ある人に言わせれば、ニート。
またある人に言わせれば、求道者。

でね、そういう男子が(たぶんそういう人じゃない人も)口をそろえて言うのが、
「今は無理。経済的に安定したら・・・」っていうこと。
なんか、夢を追っている一方で、すごくまじめだなあというか。
ちょっと意外な感じがします。

そういう、昔気質っていうか、堅い考え方、私は好きです。
いいと思います。男子として、その覚悟がいい。
それはすっごい大事だと思う。

だけど一方で、できないことを、お金のせいにするのは、
(私も、しがちだけど)なんか、いまいちだと思う。


ところで、
私の理想のプロポーズは、
「オレと一緒にびんぼうしてくれ。絶対しあわせにするから」
です。

RCサクセションが歌っている、こんな歌詞もすてきです。

ずっとこれからも ぼくを好きでいれば
もっと もっと 幸福になれるよ
なぜならぼくは いまにもうけて
大金持ちに なるからさ
(『エミちゃんおめでとう』より抜粋)


嫁と子供を養わなくちゃ、って思ってるまっすぐな男子たちに、
周りを見てちょうだい、と言いたい。
この世の中、景気がいきなり急降下したり、食べ物が足りなくなったり、
地球の形が変わったり、いろんなことがあるわけで。
旦那さんひとりの稼ぎが安定したところで、たいして「安定」した生活じゃないですよね。
単純に、会社がつぶれたら、それだけでその小さな「安定」は瓦解してしまいます。

だからね、現在のちっぽけな安定なんかより、男子に求められることは、
「なんかあったときにサバイブできる力」だと思うんです。
何でもいいよ。小屋が建てられるとか、火をおこせるとか。
薬を飲まなくても病気が治せるとかさ。恥を捨てられる気合とか。

そして、どんな状況でも「幸せになれる」と信じて突っ走れるポジティブさ。
そのポジティブさを支える、夢や目標。 ←これは、「求道者」なら得意なはず!
「今はびんぼうだけど、いつか大金持ちになるからさ!」って言える力。
それがあれば、嫁だって子供だって、ついてくるよ。きっと。

だから、勇気を持って。男子。
びんぼうでも、何でも、好きな人と好きなときにえいやっ!って一緒になれなきゃ、
出来婚作戦か婚活か不婚しか、選択肢がなくなっちゃうよ。
あ、あと「逆玉」(中澤君談)。それは確かにありそうな話だ。
女子からの逆プロポーズとか、増えてるのかな。
でも、なんかいまいち、ロマンチックじゃないな。

なんて言ってる私は、まだ結婚とお金について、リアルにわかってないのでしょうか。


ひとりより ふたりのほうが ちからもち   夏希 なんつて

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逆玉狙っている後輩、P太郎君、談。
最近、合コンして欲しいという女の子からのオファーが急激に増えているらしいです。
それは彼曰く、不景気だからだそうで。
前は、合コンやろうよ、と彼から女の子たちに声をかけることが多かったらしいのですが
ここ2、3ヶ月で流れが変わってきているらしい。

不景気だと儲かる業種(あるいは会社)があるといいますが
男の子は、不景気好調業種、なのですね。
男ども、これはチャンスです。
不景気こそチャンス。ガルルル。

昨年は熱海の海岸が混雑したとか、オリエンタルランドが最高益だとかあったし
占いをやってる会社が儲かってたり。あと韓国では不景気でコンドームが売れているとか。

韓国でコンドーム販売好調 不景気で子作り控える?

男性は「売れる」けど、精子は「売れない」ということでしょうか。どんまい精子。
ベビーカーとコンドームをつくる会社をつくったら、リスク分散できていいかもしれない。

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今日=水曜日はマガジンとサンデーの発売日で、
1週間の中で最も充実した1日です。
1週間は月曜日のジャンプ&スピリッツに始まり、
木曜日のヤングジャンプ&チャンピオンで終わっていきます。
週刊誌を買ったことは一度もありません。
いつも帰り道にコンビニに寄って立ち読みをさせてもらいます。
ありがたや。

中学生から始まった習慣です。小学生のころは週刊誌を全然読まなかった。
中学受験して地元から距離のある中学に通うことになって、
小学校の友達とは疎遠になっていきました。地元で友達に会うと、
変に意識しちゃってうまく話せなくなりました。

 

部活以外で放課後の時間をうまく過ごせなくなり、
月曜にはジャンプが、水曜にはマガジンとサンデーがそばにいてくれる
ようになりました。

 

今日も帰りにコンビニに寄ります。
立ち読みしてごめんなさい。
最近は償いとしてチョコを買うようにしています。
感謝を込めて。

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ペピンブログ、4人ではじめました。
ということで最近読んだ本を紹介。

アラブの大富豪

オイルマネーとアラブの王族(大富豪)たちについて書かれた本なのですが
もうちょっとイメージできない、というかそんな感じです。

筆者の試算によると、自国民一人当たりGDPは
UAE14万ドル、カタール17万ドル。
日本の一人当たりGDPは3万6千ドルなので、4倍?5倍くらいでしょうか。
しかもアラブの産油国はオイルで潤っているので国民から税金をとる必要がなく
所得税なし、消費税なし、医療教育は無料。
国民の大半は、経営者か公務員かプータローでお金に困っていない。

最近でこそ、ドバイの超高級ホテルの話とか話題に上がってきていますが
アラブ諸国=豊かな国、というイメージがあんまりないのは
やはり売っているものが「オイル」だからでしょうか。

僕の後輩は逆玉狙って日々合コンを繰り広げたりしているようですが
そんなアクセクせずに、もうドバイにいっちゃえよ、って感じです。
ちなみに逆玉は逆玉の輿の略。
玉の輿が「玉」だけになるとやたら違和感を感じるけど、まあいいか。

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全員ブログ

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ぺピンブログが変わります。

これから、ぺピンの他メンバー(里見、下田、中澤)も参加して、
全員でぺピンブログを書いていくことにしました。
書きたいときに書きたい人が書くので、かなりランダムで、福引みたいな感じです。
ガラガラポンです。よろしくお願いいたします。

おそらく、毎日誰かしらが、新しい記事をアップするんじゃないかと。
その全体から、ぺピンの雰囲気を感じていただけたら、幸いです。
たぶん、楽しいです。


うちの犬が、最近キティちゃんに似ています。
犬なのにな。

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なんかピースとかすると、途端に緊張感がないね。

再設計会議も第4回(うろおぼえ)に突入しました。
まったく話がまとまる気配はないまま、終電の時間。

ようやく、だんだん、全員共通の認識が言葉になってきたかなという感じです。

たぶん私たち、相当、会議が好きです。
「ぺピンをやっていて楽しいとき」という話でも、
全員が、話し合いの時間(ミーティング、企画会議)を挙げてました。

いつもファミレスで会議をしていると、
やっぱり考え方とか、発想とか、議論の流れとかに
ファミレス的な傾向が強く現れる、ということは考えられるでしょうか。
ファミレス的偏りが生まれるというか。

ぺピンは、結成のときから、ファミレスでミーティングしているので、
よく考えたら、団体名も藤沢のすかいらーくグリルで決めたので、
ファミレス生まれのファミレス育ちです。
大丈夫でしょうか。
時々、オイスターバーとか、野原とか試してみたほうがいいかもしれません。
去年の忘年会を、銭湯でやって、やっぱり場所の力って大きいなと思ったので。

いずれ、ミーティングの開催場所にも、こだわっていきたいです!

石神 夏希 02/05
haruca 02/06
石神 夏希 02/06
yousakana 02/07
石神 夏希 02/08
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ピンク

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うちの甥っ子はピンクが好きです。
ぬり絵をしていても、ピンクのクレヨンばかり使って、
虎をピンク色にしてしまいます。
電車もピンク。
キャンディーもいちご味が好き。

いま3歳ですが、性格は男の子らしい、暴れん坊のわんぱく坊主なので、
いずれ幼稚園に入ったりして、社会に交われば、
自然と、青とかみどりとかばかり、選ばされるようになるんでしょうか。

彼がいつか、ピンク色を好きだったことを忘れてしまうのが
なんだか悲しいです。

あと、彼はおどろいたときに、
「わあっ、ぶっくりした!」って言うんですけど、
いつかそれも、正しい言葉を覚え直してしまうんでしょうね。

生きてくのに、別に何の問題も無いのにね。
そういうの、ほんと面倒くさいっていうか、うざいですね。
彼がピンクを好きなまま、「ぶっくりした」って言ってるまま、
大人になれたらいいのにね。

成長するとかうまくなるとかって、どういうことなんでしょうね。
愛されなくなることと同じだったら、成長したりうまくなったりしたくないな。
まだ遅くないかな。

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おいしいおまんじゅう

は人を幸せにしますね。


全然関係ないけど、
子供の頃読んだ『窓際のトットちゃん』のなかで、
トットちゃんのクラスで流行ってるなぞなぞがあって、
「こわくて、くさくて、おいしいもの何だ?」っていうやつ。
(うろおぼえ)

答えが、
「鬼が、トイレで、おまんじゅう食べてるところ」
というんだけど、それがおかしくて、当時、椅子から転げ落ちるくらい笑った。


おいしいおまんじゅう。
いい言葉だなあ。

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今週末は、COLUMBA次回公演(4月)『シンデレラ(仮)』のための
顔合わせ兼ブレスト新年会を開催しました。
COLUMBAメンバーでよく行く、野毛のいわし料理屋さんにて、つみれ鍋をフウフウしつつ。

スタッフ・役者・支援者(?)混合で約10名が集まり、今回は以下のようなトピックスのなかから
自分の話したいことを選んで、1人ずつ話していく形式をとりました。
といっても、スピーチじゃなくて、そこからみんなで話題を広げたり
他の人が割りこんだりもしょっちゅうなので、けっこう時間がかかります。
ぺピン結構設計名義での公演でも、脚本を書いたりタイトルを決めたりする前に、
こういうブレストをよく行っていました。

1.最近の状態と、気になっていること
2.最近、変えようとしている/変わりつつある/変わってきたこと、
  考えていること、発見したこと(気づいたこと)
3.これ、『シンデレラ』っぽいなあ、と思う物や事
4.自分の信仰について(有無、有るならどんなものか、無いならその理由など)
5.そのほか、みんなに聞いて欲しいこと、教えてあげたいこと、伝えておきたいこと


畑で何かを育てることにたとえると、畑を耕して、土質とかを観察するような感じでしょうか。
ここにどんな種をまこうかとか、どんな風に育てていこうかとか。
稽古が始まると、役者さん同士はよく会うけどスタッフさんとは疎遠になったりするので、
私がみんなのことをわかる、というよりも、お互いがお互いの「感じ」をわかることも大きいです。
それは、一人一人が各自の日常から素材を持ち寄ってみんなに伝える、という形をとるので、
懇親では分かりづらい、もうちょっと踏み込んだところの「感じ」になります。


こういうワークって、簡単なようなんだけど、
本当にまじめに取り組んでくれる人たちと一緒にやらないと、全然おもしろくないです。
ちゃんと自分の頭と体に見合ったことを喋っているかどうか、すぐにばれてしまいます。
今回は私は時間がなくて、自分では喋らなかったのですが、
私自身、つい話が大きくなりすぎて自分の頭と体から離れていってしまうので、びくびくです。

話者が、ちゃんと自分の頭と体を使って喋っていなくても、
みんな優しいから、ツッこんだりいじったりして何となくおもしろい空気にしてしまうのが、
ちょっと、不満ですが。


今回は、なかなか歯ごたえのある感じでした。
なかなか噛み切れないイカみたいです。て美味しくなさそうだけど。
ここで話したことを足場にして、これから脚本製作に入ります。

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1月9日の記事は、予想外の形で問題が解決したため、削除いたしました。
この寒空の下、見も知らない私たちのために、奔走してくださった方のおかげです。
お忙しいなかご尽力いただいて、本当にどうもありがとうございました!

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横濱リーディングコレクションでやる、『レター教室』について
もやもやと、考えていること。
これを見ていた誰かが、意見をくれたらうれしいなあ、なんて期待もこめて。
あと、観に来てくださるお客さまが、これをきっかけに自分の体験を思い出したり
想像を膨らましたりしてから、劇場へ足を運んでいただければ、うれしいなあ、と思いつつ。

一番うれしいのは、観に来てくださるお客さまが、意見をくれちゃうことなんですけど。


『レター教室』は、全体が5人の男女のやり取りする手紙で構成されている、という設定で、
基本的には、最初から最後までずーっと手紙が並んでいる。
5人が5人それぞれに、全員と絡みがあって、それがもちゃもちゃ交錯しながら進んでいって、
恋をしたり悪いことしたりする。だましたりだまされたりする。という様子が浮かんでくる。

すごくテンポもよいし、どんどん引き込まれていくので、
1日あれば充分読めてしまうような感じ。

でも実際に手紙をやりとりするときって、
返事を待っている時間が、けっこう長いんだよね。と思った。
それは、小説だとやっぱり、あんまり感じない。というか、読者が想像力で補うほかない。
「数週間後」っていう設定でも、読者が続けて読めば「ハイ次!」って感じで読めるから。
しかも面白いから、つい先が読みたくなって、どんどんスピードが上がって、
だから読むスピードと一緒に物語の展開も速くなっていって、
読みやすいといえば読みやすいし、軽いといえば軽い。
好きなところから拾い読みできるくらい読みやすい。

返事を待っている時間は、楽しみな場合もあるだろうけど、結構しんどい。
自分が手紙を出した瞬間から、いつ届くだろうってやきもきしたり、
相手からの返事を待ってじりじりしたり、もう何もかもやめたくなったり。
どんな返事を出すか迷って、何日も机の上に放っておいてしまったり、
相手に好意をさとられたくなくて、わざと返事を遅らせてみたり、
雨だから、今日はポストに入れるのやめようって、投函を先延ばししたり。

あと、遠くに住んでいてめったに会わない人たち同士じゃない限り、
やりとりの最中にも、相手と会っちゃうかもしれない。
実際に顔を見て話すことと、手紙で書くことが違ったり、
顔を見たら手紙を書くのをやめたり、逆に会わずに書いたり、
会ったからこそ、手紙を書きたくなったり。

そうなると、手紙の内容を、直接会って話したっていいわけだから、
手紙で知らせる、ということ自体に意味が生まれるし、
手紙のやりとりをする仲、ということ自体がちょっと意味深だったりする。

学生時代以降、連絡手段はほとんどメールだけど、
メール文通みたいなことをしたことが幾度かある。
大抵は、一定期間会えないからメールでやりとりするしかなくて、
結果的に文通になっただけだけど。

やっぱり、書かれている内容よりも、
いつ返事が来たかとか、毎日来たかとか、今日は来なかったとか、
そんなことばかり、気になって仕方なかったなあ。
手紙だと、そのへんもっと寛容になれるんだろうか?

メールだと、送った瞬間に届いてしまうから、
返事を「待つ」という心のゆとりがなくなってしまって、
相手が何時に書いたかとかまで分かってしまって、残酷だと思う。
そういう意味では、手紙のほうが、恋する女性には優しいと思う。

そういえば、最近読んだものの中で、
「冷めてしまった恋人の心に火をつけるには、メールの頻度を減らす。
内容はあくまで優しく、でも短く。返事は1日おいてから、出すこと」
って書いてありました。
やっぱり、内容よりも、相手の「返事を待つ時間」を伸ばしたり縮めたり
上手にさじ加減できた人が、勝者になるわけですね。
勉強になります。

あ、横道にそれた。

とにかく、
手紙の返事を待っている時間っていうのは、
手紙の内容そのものと同じくらい、影響力が大きい。という話でした。
ちょっとそんな風に、『レター教室』読んでいきたいと思います。
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Wholesale Galvanni 09/06
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昨日のつづきのような、そうじゃないような話。
欲望について。


私は、けっこう欲が強いです。
特に、食欲が強く、独占欲が強いです。

きょうだいが多く、よく食べ物が火種でもめたせいかもしれません。
たとえば大学生の頃まで、ペピンの男子と焼肉とか行くと、
みんなのスピードに追いつけないのが悔しくて仕方なかったです。
「みんなばっか食べてずるい!!」と内心憤慨していました。
食欲に関しては、ほぼ危機感に強いです。
人が自分より多く食べていると、焦ります。
切り分けた誕生日ケーキのサイズがちょっとだけ違っても見逃しません。
恥ずかしいので、バイキングやビュッフェでは、特に自分を抑えるよう気をつけています。

「いやしい」という言葉は、なんだかとても悲しいので、あまり使いたくないですが、
正直、自分のことながら、そんな言葉が浮かんで、ときどき悲しくなります。

自分の欲について、特に心に残っている思い出があります。
数年前、母が、食後のデザートに、ロールケーキを買ってきたんですけど、
家族がみんなお腹いっぱいで、私だけ別腹がちょっと空いてたんです。
で、「じゃあ先に食べていいよ」みたいに言われて、私だけ食べたんですけど。
そしたら、そのロールケーキが、衝撃的においしかったのです。
ほんとに、私の人生のロールケーキ史上、最高においしかったです。
ロールケーキの概念変わるくらいおいしかったです。

私がロールケーキ食べ終わっても黙ってるので、
母が、家族みんなの前で「おいしかった?」って私に訊いたんですけど、
そのとき、なんで私が黙っていたかというと、
「おいしいって言ったら、みんな食べたがって、あっという間になくなってしまうから、
おいしいって教えない方がいいんじゃないか」と危機感を感じていたからです。

我ながら悲しいです。だって、ロールケーキです。
史上最高だったけど。

そのときは、もう大人だったので、激しい葛藤を乗り越え、なんとか自分を律して、
「独り占めしたくて、おいしいってみんなに教えたくないくらい、おいしかった」と
正直に告白しましたが、本当につらかったです。
あのときほど、「私、えらい」って心から自分を誉めてあげられたこと、なかったです。
でも、もし母から訊かれていなかったら、きっと黙っていたと思います。


もっと、他の人に与えられる心を持ちたいです。


これだけ食料自給率の低い国で、もしも将来、食糧危機が起こったら、
そのとき私は、人間として、立派に生きられるんだろうか。
そのとき自分に子供がいたら、隣にいる人がおなかを空かせていたら、
見も知らない人が飢えそうになっていたら、どうしよう。
冗談ではなくて、本当に自信がないです。
本当に不安で仕方ないので、そのときが来る前になんとか、自分を改めたいです。

Galvanni Shop 09/06
Wholesale Galvanni 09/06
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今日、欲しいと思ったもの。


ダイヤモンド。


人生で初めて、ダイヤ欲しいって思ったかも。
欲望って、唐突ですね。


それで、ふと思ったことなんですが、実際のところ、
愛 と 欲望 は両立するのか、ということなのですが。

つまり、たとえば恋人同士が、「愛してる」とか言うでしょう。
所有欲のある愛は、それは愛と言い得るのか?
ということなのですが。


どうなんですか?



今考えてみて、両立しないと思った人は、
恋人に「愛してる」って言わない方がいいですね。
うそになるから。

こういう問題について、一度は考えたことあっても、
ちゃんと、本当のこと、言ってないでしょ。

欲望 でも 愛 でも、別にどっちでもいいですけど、他人事だから。
でも、うそはよくないですよ。
たとえその言葉で、相手を慰めることが出来たとしても。


と、いうのが私の考えです。

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 今日、大学のときの先輩からいただいた年賀状に、
「お汁粉は、『飲む』というべきか、『食べる』というべきか」
ということに関する文章が載っていました。
なんでも、お汁粉を『飲む』というのは、比較的新しい言い方なんだそうです。
私は、『飲む』と言っている人に会ったことはないですけど、
確かに、そういう人もいそうですね。むしろ、古い人が言ってそうなイメージ。
「煙草を喫む」みたいな感じで。

で、その文章を読んでいて思い出したのは、
「プリンは『飲む』ものか『食べる』ものか」ということでした。

高校生のとき、学校前のバス停そばの自動販売機で、
「プリンシェイク」っていう缶入り飲料が売ってました。

缶の中に、固形のプリンが入ってて、シェイクするとそれが
(ご想像のとおり)ぐしゃぐしゃに砕けて「飲料」になる、という商品だったようなのですが、
私は買ったことないので、実際にどうだか知りません。
でもどうやら、カラメルソースも入ってるらしいです。

でも、同じ部活に、そのドリンク大好きな後輩がいて、
よく部活の帰りに、バスが発車する前にダッシュで買いに行っていたので、
好きな人は好きなんでしょうね。

私は、プリンは自分で作るくらい、大好きですけど、
流動体のプリンを飲まされたら、絶対「おえっ」てなると思います。
なんかそれは、たとえ味が同じでも、それか味が同じだからこそ、受け入れられないです。
だから、絶対プリンは、『食べる』ものだと思います。

でも、さっき言った後輩と一緒に、先輩もダッシュで買いに行ってたから、
「プリンは『飲む』ものだ」っていう人は、一定数以上存在するんじゃないかと思います。

ちなみに、食べてるうちに溶けちゃったアイスを『飲む』のも、きらいです。
だってもうそれ、アイス"クリーム"じゃないじゃん。
ていうか、なんかそれ、アイスクリームに対して失礼じゃん。


と、いうのが私の考えです。

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再設計会議のため、かなり最初の頃に退団した初期メンバーも迎えて、
約5時間のロングミーティングをしました。
ファミレス万歳。

  IMGP2588.JPG

5時間もかかるミーティングなんて、ろくなもんじゃないって
社会人をやったことが一度でもあればみんな知ってるだろうけど、
「効率的にやろうよ」って全然思わないミーティングって、
それならそれに越したことはないと思いました。

楽しいー。

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大吉

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あけましておめでとうございます。
2009年もよろしくお願いいたします。

初詣は行きましたか?おみくじ引きましたか?
私、実は一昨年くらいから、おみくじを引くと、かなり高い確率で、大吉です。

と、いうより、ほとんど、大吉引くときしか、おみくじ引かない。
大吉を引くときは、先に分かるのです。

何故かというと、おみくじが呼ぶからです。
通り過ぎようとしても、なんだか足が止まって、引いちゃうんです。
「あ、今日おみくじ引かなきゃ」って思って、そのためにお寺に行くこともあります。
どんだけ暇人やねん。てツっこまないでください大阪の人。
で、おみくじに呼ばれたときに引くと、ほぼ必ず大吉なのです。

しかもそういうときは大抵、何かにチャレンジしようとしていたり、
大きなイベントを控えていたり、身辺が不安定だったりする時期が多いです。

呼ばれてないのに引くと、大吉じゃないこともあります。
そういうときは、引く前から「ああ今日は引かない方がいい気がする・・・」
というイヤーな気がします。すっごく迷います。
それでも、気が弱ってるときとか、周りの空気に流されてとかで、
なんとなく引いてしまうと、やっぱり大吉じゃありません。
で、私は気が弱いので、悪い結果が出ると落ち込んでしまうから、
呼ばれてないときは出来るだけ引かないようにしてしまいます。

でも、それだと、おみくじの意味ないじゃないですか?
普通、おみくじって運勢占うために引きますよね?
「大吉のときしか引かない」って、なんかおみくじとして用途間違ってますよね?
でも呼ばれるから、事前に分かっちゃうから、仕方ないんです。
「今日、引いてけよ!大吉だから」っておみくじが言うから。そう言われちゃうと、ねえ。

それで、考えたんですけど、
たぶんこの大吉はエールなんだと思うんですよね。神様からの。
「がんばれ!」とか「お前、いま、いいよ!」とかっていう、なんていうのメッセージ?
励まそうとしてくれてるんだと思うんですよね。何かが。おみくじを通して。

だから、大吉もらうと、運が良いというより、
「励ましてくれてるんだなあ」としみじみありがたく感じます。
なんか背中を後押ししてもらってるような気がします。
神様が私にむかって親指立ててウインクしてるような気がします。
愛を感じます。

何の話かというと、
おみくじって、運勢を占うためだけのものじゃないらしいよ。という話です。
誰に聞いたってわけじゃないけど、あえて言えば、神様の様子から察すると。

ちなみに、今年の初詣でおみくじを引いたら、大吉でした。
実は、年末にも別の場所でおみくじを引いたら、大吉でした。
今年も応援ありがとう。

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