言霊リーディング/レター教室

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レター教室に関して、もうひとつ気になっていることは、
「言霊」(ことだま)ということです。
それは、手紙というモチーフだけじゃなく、
"リーディング"という上演形式にも関わっています。

ドラマリーディングって、何?
と訊かれると、正直うまく答えられなくて困ってしまいます。
そもそもは、戯曲(台本)のブラッシュアップのために
戯曲を朗読し、そのうえで更に手を加えて作品を磨く?
というのが、ドラマリーディングの役割らしい?です。
というくらい、「?」だらけです。私も。

今回は、決してブラッシュアップされることのない作品を読むわけだから、
(作家はすでに加筆も修正もできないから)
その本来の目的とは違う"リーディング"なのです。
でも、いずれにせよ書かれた言葉を、「書かれた言葉」として、読む。
ということが大事なのかな、と私は思っています。

でもそれが、もともと声に出される予定の戯曲(台本)ではなく、
小説のように、黙読が前提とされていて、音読は想定されていない形式の場合、
この"リーディング"っていったい何のためにやるのさ?と我ながら思います。
まず作品から期待されていない。たぶん作家にも。
声に出して読んで欲しい人がいるのか?
声に出して読んだほうが、なんかおもしろいのか?
声に出さなくても完成しているのに、なんでわざわざ?

しかも、内容が「手紙」というプライベートな、ふつうは人前で
声に出して読まれることのない言葉をあつかっている以上、
二重に「期待されていない」行為なのじゃないだろうか。

これって、誰からも必要とされてないんじゃないかな・・・
私って、誰からも必要とされてないんじゃないかな・・・
そんないじけた気持ちにも、なってしまいます。


そんなとき、ふと思い浮かんだのが、「言霊」ということでした。


最近目にした、手紙について書かれたエッセイの中で、
「手紙は、手書きで書かれているから言霊がこもりやすい」
みたいなことを言っていて、
(これ自体、眉唾だけど、それはどうでもいい)
それよりもおもしろいと思ったのが、

「言霊は、手紙が投函されたあとではなくて、書かれた瞬間に相手に届く」

と言われていたことでした。


書かれた言葉であるということ。
レター教室は、それが三島由紀夫が書いた言葉であると同時に、
(三島由紀夫が演じる)5人の登場人物たちの書いた言葉です。
ダブル言霊ってことかしら。

そして、そのダブル言霊は、先のエッセイの主張に従えば、
書かれた時点ですでに私たちに届いているわけです。
そして今も、たくさんの人たちの心を動かしている。


ここで、少し頭を切り替えて、そもそも「言霊」って何か、ということに立ち戻ってみます。
「言霊」という言葉からすぐにイメージするものは、一般的に、
書かれた言葉よりも、喋った言葉、口にした言葉に宿っていると
思われる"パワー"とか"意思"とかみたいなものかな、と思うんです。
たとえば、縁起でもないことを言うと、実際に悪いことが起きてしまうとか、
逆に願いことを口にしていることで、それが叶うとか。

で、書かれた言葉の言霊が、「書いた瞬間」に発動するのに対して、
口にされた言葉の言霊はきっと、「声に出された瞬間」に発動するんじゃないかと思うんです。

だとすれば、「声に出して、読む」って、書かれた言葉自体が本来持っていた言霊を、
よみがえらせたり、新しい言霊を吹き込んだりすることで、
その言葉が本来持ち得る力そのものを、体感するってことなのかなあって。


だから三島さんが、5人の登場人物を通してこめた言霊は、それはそれとして、
今回の"リーディング"で声に出して読むことで、三島さんの書いた言葉には
別の言霊がこめられて、別の意思を持って、別の方向へ私たちを動かすかもしれない。
三島さんの書いた言葉は、三島さんのこめたものを超えていくんだろう。
それが、言葉の力、それこそ「言霊」っていうことなのかもしれない。
三島由紀夫、5人の登場人物、声に出して読む私たち。
それぞれに言葉を発する当人たちの意図を超えて、事態を動かしていく言葉の力。
そういう言葉の力、または「言霊」を体験することが、
今回の横濱リーディングコレクションのような企画の、ひとつの意味なのかもしれない。


なんて偉そうに。すみません。
でも、「言霊」のこと考えて、作ってみたいと思っているであります。
今回のリーディング。
よかったらいらしてください。
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