2009年2月アーカイブ


電車の広告で、「あなたに会えないままに終わりたくない」という
コピーにやられてしまい、チケットを奪取し観にいきました、劇団四季・キャッツ。

ミュージカルは変な感じがして、劇団四季も輸入物ばっかりだから、これまで
観ることはありませんでしたが、ミーハー心に火がついてしまい、五反田駅
からキャッツシアターまではもう猫の気分でした。

ストーリーはぜんぜん分からなかったのですが、最後クライマックスの
歌が「猫は犬に非ず?、猫は犬に非ず?、猫は犬にあら???ず??」
で終わっており、衝撃を受けました。

愛を語らず、「猫は犬に非ず」。
メッセージを絞るだけ絞り、行き着いた先が「猫は犬ではない」。
それもまた愛と言うのでしょうか。完敗です。
浅利慶太氏のすごさをみせつけられた気分でした。

まだ観ていない方は必見かと思います。幸いなことに、千秋楽が延びました。
ロングラン!

Wholesale Galvanni 09/06
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以前に、時代劇について語っていく、と宣言したのに、
まだ一回も記事を書いていなかった。
今日は、記念すべき第一回ということで、予告どおり、

高橋英樹さん主演の『ぶらり信兵衛?道場破り?』を、ご紹介します!


◆あらすじ
タイトルを見れば大体設定はお分かりいただけると思います。
高橋英樹さん演じる、プー浪人の信兵衛は、長屋をぶらぶらしてるだけなんだけど、
実は剣がものすごく強くて、たいていの剣術の師範(道場主)は歯が立たないほどなのです。

信兵衛さんは、普段は弱くて無能の呑べえのフリをしているんですが、
誰か困った人をみつけると、その人を放ってはおけず、
「"商売"に出かけてくる」と言い残して、酒の入った竹筒片手に、長屋を飛び出していきます。

そして、道場に殴り込みを掛けます。
もちろん信兵衛さんは強いので、大抵の道場主は、大勢の生徒の前で窮地に立たされます。
そこで、信兵衛さんは道場主に、こっそり八百長を持ちかけるのです。
つまり、わざと負けて、道場主の顔を立ててやる代わりに、口止め料を要求するのです。
そうやって手に入れた小判で、信兵衛さんは困っている人を助けてあげるのです。

◆「弱さ」で生き抜く
このドラマが出色である所以のひとつは、「とにかく解決策は金」というテーマだと思います。
大抵の時代劇は、剣の腕が正義を振るう、ぶっちゃけて言えば暴力至上主義ですが、
それで問題が解決されるのは、せいぜい、悪代官の金儲けや、大商人の抜け荷(密輸入)。
最下層の庶民の前で、悪い奴を斬り捨てたところで、誰のお腹もいっぱいになりません。

結局、助けてくれるのは人情と金なんだなあ。
そもそも、信兵衛さんは、刀も質に入れてしまって、
腰に下げているのも、竹光(竹を削いで刀にみせかけた偽物)なのです。
強いことは強いんだけど「強さ」で勝ち抜くのではなく、
「弱さ」(わざと負ける)で勝つ。負けて、生き抜く。

そういう、ある意味シビアな世界観でもって、徹底的に庶民(長屋)の生活を中心に
描いているところが、原作にも共通する、この作品の背骨だと思います。

◆脇役が主役
加えてTVドラマでは、信兵衛さんの住む長屋の、お隣さんたちのキャラクターが
ものすごく生き生きと、力強く描かれています。

ここでは、お隣さんたちのキャラクターをいちいち紹介すると、読むのも大変なので、
このドラマのすてきな主題歌を紹介したいと思います。

信兵衛さんの長屋は十六軒
鶴とふたりで ぶーらぶら
むこう三軒両隣 小舟さんたら 左褄
重助じいさん 夜鳴きそば
おぶんは十八 孫娘
十手片手に 以三は子守りで
籠は金太と銀太でね
(1番のみ)

これだけで、貰い子の鶴坊、芸者の小舟、そば屋の重助じいさんとその孫・おぶん、
岡っ引の以三、駕篭かきの金太&銀太の2人組、が登場しています。
2番では信兵衛には全然触れず、子沢山の夫婦とか、居酒屋の看板娘とかが紹介されます。

で、とにかくこの人たちのキャラクターが濃い。信兵衛さんを食っちゃってしょうがないのです。
ちなみにそば屋の重助さんは、かの有名な浅草のデン助(大宮敏充)さんが演じていますが、
相当すごい芝居をしています。
私は初めて見たとき、こんな人がテレビ出ていいのか?!と仰天しました。
(※途中で降板)

原作は、山本周五郎さんの『人情裏長屋』に収められた短編ですが、
この小説を、こんなに愛すべきドラマにしてしまったTVの人たちはすごいと思う。
小説にはなかったこれほどの魅力は、脇役である長屋の人たちの魅力を
これでもか!と膨らましきったところに生まれたのだと思います。

とにかく、主題歌が、このドラマのスピリットを余すところなく表現していると思います。
脇役たちが全員登場するって、なんて素敵な主題歌なんでしょう。
しかもこれ、歌っているのが「ボニージャックス」なんですよ。
ピンのスター歌手ではなく、ハーモニーで魅せるアカペラグループですよ。(すみません)


まさに全員野球。それが、このドラマの魅力だと私は思っています。


ほかにも、毎回必ず、コスプレ的な妄想シーンが挿入されたり、
高橋英樹さんが後年「越後製菓」のCMで発揮するバカっぽさが満喫できたり、
楽しい見どころ満載のドラマです。
機会があれば、ぜひ見てみてください!

東口 祐子 12/21
石神 夏希 12/24
。。 12/25
石神 夏希 01/04
Wholesale Galvanni 09/06
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以下に、下ちゃんも記事をアップしてくれていますが、
無事、横濱リーディングコレクション、2日間の公演を終えました。
ご来場いただいた方、また応援メッセージをくださった方、
本当にどうもありがとうございました!

もしご感想やご意見があれば、ぜひ以下のメールアドレスまでお寄せください。
作品だけでなく、企画全体や当日の会場等についてのご意見でも構いません。
応援だけのメッセージも、もちろん大歓迎です!!
info@pepin.jp

200902261532000.jpg

最近、何か困ったことがあると、ある方法で解決することにしています。
公演中に写真のネックレスを紛失したので同じようにしたら、無事みつかって、うれしい。
とにかく金(ゴールド)が大好きで、あと円が大好きなのですが、実はこれは2代目で、
1代目は、お風呂の排水溝から七つの海へと旅立ってしまいました。

でも、失くし物は、それはそれで縁のひとつの形だったりもする。
失くした方がいいということもある。
そうすると、代わりに新しいものがやってくる。たぶん。
失くす勇気を持てればいいですが。
あるいは、失くしたことを受け容れる勇気。

ちゅうちょ 02/27
石神 夏希 02/27
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昨日、直前の稽古場にお邪魔してきました。

手紙を朗読するという日常生活ではなかなかない行為ですから、
自分が演者だったら大変だなぁと思いました。

今回の作品、私はとてもわかりやすいと思っています。
『三島由紀夫レター教室』は文語で、聞き慣れない言葉も
出てきますが構成に注目!です。

稽古場が閉まった後も夜遅くまで公園で演技に磨きをかける。
そんなとても前向きな稽古場の雰囲気に上演がとても楽しみになりました。

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いよいよ今日から2日間限定で、
横濱リーディングコレクション開幕です!

この企画、今回が最終回ということもあり、ぜひぜひ目撃していただきたいです。
これまで、この作品について書いた演出ノートや、製作過程の紹介は、
画面右の「タグクラウド」から、レター教室、という言葉をクリックしていただければ
まとめて読むことができます。

三島作品が好きという方はもちろん、ミシマは苦手、という人こそ、
ぜひ観てみていただきたいです。
いわゆる一般的な「三島由紀夫」イメージとは違う、
色んな三島さんを楽しんでいただけると思います。

『レター教室』、揚げたてのコロッケみたいに、アツアツほくほく、幸せな味ですよ。

劇場でお会いしましょう!

■チケットのご予約はこちらからどうぞ。
>>> 予約ページ
当日券もご用意しています!
お電話で、関係者または下記事務局までお問い合わせください。
045-319-2150 /横浜SAAC事務局(相鉄本多劇場内)

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駅前、ハイエースの選挙カー。街頭演説の周りには多くの野次馬が溢れて人ごみ、何やら騒々しく何かを喧伝している。くもり空でグレー、ちょいちょい寒い。大きな国道に歩道橋はかかっていて、周囲にはタワー型の高層ビルが立ち並んでいた。おそらく、ほぼ品川駅・高輪口で決まりだろう。

騒がしい人ごみには、先日の閉館騒ぎがあったホテルのニュアンスも入っていたんだと思う、ヒトが団結の下に何かを動かしてやろうという旧弊な革命思想の風がピュッと吹く。

歩道橋した、だれかの背中のどアップ。紺色の長い毛織物・ロングコート。がっつりうなじは刈り上げて、肌は褐色、鼻の先っちょくらいまでコパトーンの匂いがする。寄りによって、やっとここちらを振り向いた。黒人だった彼は、笑顔から白い歯をこぼし僕に何かを訴えかけた。自分より背は高く、目が合うが見下ろすような表情ではない。言葉にはなりきらないテレパスのような眼力。十年来の友達のようにわかりあえた気がした。

ほぼ、オバマだった。

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鎌倉には秋から冬になるとリヤカーを引いて
やきイモを売りに来るおじさん(今はもうおじいさん)がいる。

鎌倉は観光地だから外を散歩する観光客にやきイモが
とても売れるのだ。地元の人も買うけれど、最近はもっぱら、
観光客を相手にしているように思う。

僕は小さい頃からずっとおじさんのやきイモを買ってきた。
ずいぶん長い付き合いだから、おじさんに顔を覚えられている。

おじさんのやきイモはちょっと高いのだけれど、イモはどろ?っと
していて甘くて熱い。

おじさんは、僕がお金を渡すと、たいていおつりを多く返してくれた。
「おつりー、500円ナ」と言うんだけど、手のひらにはなぜか700円くらい
渡されていた。それは一度や二度ではなくほとんど毎回だった。

おじさんは、多分地方から出てきているんじゃないかと思う。
方言がきついからだ。そして、おじさんは、秋から冬にかけて
ほんの数ヶ月だけ鎌倉に来る。

おじさんは、もう「おじさん」と呼べないくらいの年齢で、耳は遠いし、
「おじいさん」に近くなっている。というより、おじいさんだ。

おじさんは来年も来てくれるのだろうか。
冬の最終コーナーで、僕はいつもヒヤヒヤする思いでおじさんの
到来を願い、春を迎える。


Galvanni 09/06
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レター教室、と銘打っておきながら、あんまり関係ないかも。

下ちゃんのエントリーに影響されて、それから今日はバレンタインデーだから、
小学生のとき、初めて男の子に告白したときのことを思い出した。

人生初めての告白は、バレンタインデーだった。
手紙で愛の告白をした、(今のところ)人生唯一の体験でもある。
相手は、家が同じ方向で、いつも男女混合7人くらいで
一緒に帰っていたグループの中の男の子。
背が高くてスポーツのできる、かっこいい子だった。

チョコレートを持って、彼の家まで行った。
口から心臓が飛び出そうっていうのは、ああいう状態のことを言うんだと思う。
なんかもうほとんど、具合が悪かった。
チョコに添えたメッセージカード、渡すのをやめようかって何度も思った。

なんでか覚えてないけど、もう日も落ちてだいぶ暗くなった時間帯で、
玄関ホールのやけに黄色い門灯だけ浮き上がって見えた。
超緊張しながら鳴らしたインターホンに、出てきてくれたお母さんは
「今、(彼は)夕飯食べてるの」って言った。

あまりに緊張していて、彼の顔を見れそうになかったので、
お母さんにチョコレートとカードを託してそのまま帰った。

カードには、『わたしは、あなたが「好き」です』と書いた。
なんで「好き」と、かぎ括弧をつけたのかは、全然思い出せない。
でも、かぎ括弧をつけたことだけは鮮明に覚えている。

なぜなら、ホワイトデーに、彼からもらったカードにも
『ぼくも「好き」です』と書かれていたから。

たぶん私も彼も、なんでかぎ括弧つけるのか、よく分かってなかったと思う。
ただ、単に友達として「好き」っていう感情とは違うんだってことを言いたくて、
でも彼氏とか彼女とか"付き合う"とか、まだよくわかんなかったから、
他に言葉もみつからなくて、括弧をつける以外なかったんだと思う。

だから、そうやって両想いになっても、
別にデートもしなかったし、「付き合う」とかってこともなかった。
今までと同じように、他の皆とグループで帰っていた。
ただ、彼の家のそばで、彼がみんなと別れて道を曲がるとき
(私の家は、グループの中で一番遠かったので、みんなを見送る形だった)
私と彼は、一番最後に、こっそり目を合わせることだけが、秘密のサインだった。

誰にも気づかれないように、何にも言わないんだけど、
彼は、他のみんなに、バイバーイって言ってから、最後に私を見る。
私も彼の目を見て手を振る。
なんか、「一番最後」っていうのが、特別だったの。
ただそれだけだったけど、やたら幸せだった。
いま思えばあれば、官能の芽生えだったような気さえする。

そういうのが、「好き」です、っていうことだったのかなあ。


大人になってから、同窓会で彼とその話をしたとき、
「チョコ持ってきてくれたとき、俺、カレー食べてる途中だったんだけど、
 ドキドキしすぎて食べられなくなって、トイレで吐いちゃったんだよ?」
と言っていた。
たしかに、小学生男子だったら、吐くかも。
私も、口から心臓出そうだったし。


またあんな風に、吐くほど恋するラブレターを書いてみたいです。

レター教室、1週間後に2日限りの開幕です!
『レター教室』は、土曜の夜と、日曜の昼にご覧いただけます。
■チケットのご予約はこちらからどうぞ。>>> 予約ページ

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このブログに何かを書こうと思うとき、
書きたいテーマがあって書くよりも、
ブログにログインしてから書くことを考えている。
思い出すのはどういうわけか小学校のときの記憶が多い。

そこで、今日はそのときの話をひとつ。

小学校6年生のとき、運動会でリレー競争があった。
リレー競走に出るメンバーを選考するために体育の時間に
50メートル走のタイムを計り、脚の速い人から選ばれるのだ。

ぼくは小学校のとき、脚にはけっこう自信があったけど
リレーの選手になれるかどうか微妙なライン上にいた。

ライバルは3人か4人くらい居たと思う。

脚の遅い人にとってはただの体育の時間だけれども、
ぼくにとってはオリンピック選考レースに近いものがあったと
いまでも思う。

ここに学年一脚の速い宮崎くんというのが居て、彼は顔も
かっこいいし、脚も速いし、なおかつサッカーまで上手だった。
だから、宮崎くんはモテた。ぼくは別に宮崎くんに嫉妬し
なかったけれど、脚が速いのだけは本当に羨ましかった。

そんな宮崎くんが、順番待ちをしているとき、そっとぼくに
近寄って耳打ちしてきた。

「運動会のリレー出たいんだろ。俺、力抜くからさ、お前勝てよ。リレー出ろよな。」

よーい、ドン。ぼくと宮崎くんを含めた5人はスタートラインを切った。
ぼくは宮崎くんに勝てる。宮崎くんは力を抜くからだ。いける。

でも、ゴールテープを切ったのは宮崎くんの方だった。
宮崎くんは実際には全然力を抜かなかった。と、思う。
もしかしたら、宮崎くんの本気はマジすごくて、それでも力を
抜いたのかもしれないけれど、ぼくは追いつけなかった。

宮崎くんは本当に速かった。リレーの選手は宮崎くんが選ばれた。

ぼくはあの時負けた。校庭で呆然と立ち尽くす。慢心を覚えた12歳だった。

でも、なんで宮崎くんはあの時、耳打ちをしてきたのだろうか。
あのとき、ぼくはレースに夢中でそんなこと不思議にも思わなかった。
そんな宮崎くんは、いま、テレビ会社のディレクター見習をしている。
その両足にぼくはいつか追いつけるだろうか。

はるか 02/14
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白やぎさんから お手紙ついた
黒やぎさんたら 読まずに食べた
仕方がないので お返事書いた
さっきのお手紙 ご用事 なあに

黒やぎさんから お手紙ついた
白やぎさんたら 読まずに食べた
仕方がないので お返事書いた
さっきのお手紙 ご用事 なあに


この1番と2番が、永遠に繰り返されて、
白やぎさんと、黒やぎさんは、仲良く文通を続けるのだけど。
この歌はもしかしたら、「手紙」というものの本質を、
ものすごく鋭く突いているんじゃないか、と思う。

文通はexchange、つまり手紙の交換ということになるわけだけど、
意思の疎通と、手紙の交換そのものとは、別の物事なのだ。
白やぎさんの用事が黒やぎさんに了解された瞬間に、
文通は終わってしまう。
白やぎさんの意思や想いが、黒やぎさんに届かないからこそ、
ふたり(二頭)の文通は続く。
そしてきっと、白やぎさんの用事は、永遠に黒やぎさんに届かない。
なぜなら、食べちゃうから。

いやいや食べないでしょ人間は。ふつうに。読むでしょ。
というツッコミに応えて、言い換えると、
文通は意思の疎通じゃなくて、思い込みの交換なんじゃないかな。
私たちは、読んだつもりになっているけど、読んでない。
ただ、味わっているだけだ。
そしてそれは素敵なことだと思う。
美味しい手紙ほど、相手の意図を読み取るのは難しい。

お互いの言いたいことが、ちっとも、全然伝わっていないのに、
むしろ、伝わっていない、永遠にお互い分かり合えないからこそ、
手紙のやりとりが、対話が、ふたりの関係が続いていく。
そういう歌なんじゃないかと思う。


それからこの歌は、白やぎさんが、しびれを切らして
黒やぎさん家に直接、用事を言いに行ったりしないところも印象的だ。
子供のときは、この白やぎさんはだいぶ怠け者だと思っていたけど、
もしかしたら、白やぎさんには、行きたくない理由があったのかもしれない。

自分が書いているときに、相手がそこに居ない。
相手が読むときに、自分がそこに居ない。
自分が返事を受け取るときに、相手はそこに居ない。

そういう、"不在"と"不在"との間を行き来するのが、「手紙」なんだと思う。
そこに「"不在"がある」からこそ、私たちは手紙を書く。
相手の居ない時間に、相手の居ない場所で。
だから手紙は、「あなたが今、ここに居ない」って事実そのものだ。


白やぎさんは、黒やぎさんに、「会いに来てください」って書いたんじゃないかな。
自分から会いに行くんじゃなくて、会いに来てほしかったんだ。
その想いは、永遠に届かないんだけれども。
二頭の不在の山羊は、たぶん私たちです。
私たちはいつも大切なところに、居そびれるんだね。


でも、手紙は続くよ どこまでも


『レター教室』いよいよ来週末20日(土)・21日(日)です。
ぜひ、これまで書いた手紙、もらった手紙のことを思い出しつつ、
劇場へ遊びにいらしてください!!
■チケットのご予約はこちらからどうぞ。>>> 予約ページ

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私のうちは、三人姉妹です。

一般的によく知られている「シンデレラ」のお話では、
彼女のうちもまた、三人姉妹です。
彼女は末っ子で、2人の姉は血のつながらない、継母の連れ子です。

「シンデレラ」に限らず、昔話や神話では兄弟姉妹という関係性が
ドラマの仕掛けとして重要な役割を果たしているケースが少なくない。

それは、すごく醒めた言い方をすれば、
「実験」や「仮説と検証」にたとえられると思う。
何かを確かめるためには、知りたいこと以外の条件を揃えることが必要になる。
たとえば、朝顔を育てるために、ある肥料が成長を促進するかどうか確認する場合、
肥料を与えるサンプルと、与えないサンプルとでは、朝顔の品種は同じでなくちゃいけない。

それに、環境も揃える必要がある。
たとえば、片方は日向なのに、片方は日陰にいたら、
何が成長の進度に影響したか分からなくなる。

兄弟姉妹は、育つ環境も、DNAも、ある程度共有しているから、
それ以外の何が、彼らの運命を左右したのかが分かりやすい。
というか、本当は何が原因だったかなんて、
そんなこと、赤の他人はもちろん、本人たちにも絶対分からないのだけど、
少なくともあれこれ推測しやすくて、ドラマになりやすい。
「仮説」を立てやすい。

なんでか分からないけど、やっぱり私たちは、
理由や原因を知りたがる。
どうしてそんなことが起きたのか知りたがる。
何故、不幸になったり幸せになったりするのか、
この世界はどういう仕組みなのか、知りたがる。
だから経験や見聞きした情報を総動員して、「仮説」を立てる。
それによって、失敗を避けようとしたり、幸せになろうとしたりする。

たぶん、そういうのが「物語」の原型で、
昔話や神話や伝説がやろうとしていたことなんじゃないかと思う。


「シンデレラ」の話に戻ります。


その1。
シンデレラは、三人姉妹の末っ子だった。
一番立場も弱くて、他の2人とも血がつながっていなくて、いじめられていた。
にもかかわらず、自分一人だけ美しくて、優しくて、働き者だった。
だから、幸せになれた。

その2。
シンデレラは、三人姉妹の末っ子だった。
自分だけ、お母さんが早くに死んだおかげで、魔法使いに可愛がってもらえた。
「かわいそう」な境遇に居て、同情を誘いやすかった。
だから、幸せになれた。

その3。
シンデレラは、三人姉妹の末っ子だった。
だから、幸せになれた。
だって、昔話って、たいてい末っ子が幸せになってハッピーエンドでしょ。

たとえばこんな風に、
私たちは、昔話からその「仮説」を読み取る。
というか、昔話は、何らかの「仮説」を読み取らせるように出来ていることが多い。
だから何も「仮説」が読み取れない物語に触れると、私たちは混乱する。
「この話は何が言いたいのか分からない」と言ったりする。

その不満は、「何が言いたいのか」(仮説)=メッセージがもともとあって、
それを伝えるために、物語は作られ語られていると前提するところから生まれている。


だけどここで、昔話や神話や伝説を、「伝承」という面から考えてみる。
その物語が生まれたとき、おそらく何かが実際に「起きた」と考えられる。
それは、今私たちが知っているお話とは、全然違うことが起きたのかもしれない。
でも、何かしら起きて、それを誰かが経験することがベースで「仮説」は立てられているのだから、
たぶんなんか起きたんだろう。
そしてそれは、誰も理解できない、意味不明の出来事だったんだろう。
「何が言いたいのか」どころじゃない。理由も意味も全然わかんない。
だからみんな、「なんで?なんで?」ってすごく悩んだろう。

だから誰かが知恵を絞って、あるいは皆で話し合って、
「これは、こういうことだったんじゃないか」って仮説を立てたんだろう。
それを伝える必要を感じたんだろう。生きていく上での知恵として。

それは、私たちが、大きく育った朝顔と、枯れてしまった朝顔の鉢を見比べて、
「何が善かったのか/悪かったのか」と原因をあれこれ推測することと同じだろう。


シンデレラが、三人姉妹の末っ子だったことも、美しかったことも、かわいそうだったことも、
全部、推測された原因に過ぎない。
ただ、私たちが理由を知りたがっただけだ。
事実はただ、
「ある女の子が、他の女の子たちとは違う運命を歩んだ」
という、それだけなんじゃないだろうか。
他の女の子たちとは、決定的に違う運命を歩んだ、ひとりの女の子。
普通の女の子として、本来なら歩むべくもない運命を歩んだ女の子。


私、きっと、シンデレラと、それ以外の女の子たちは、
よく似た女の子だったんじゃないかと思うのよ。
三人姉妹に仕立てても、不自然じゃないくらい。
もしかしたら、本当に姉妹だったかもしれない。
そうだとしたら、たぶん三人ともよく似た人生を送っていて
何が彼女たちの運命を分けたのか、誰にもわからなかったんじゃないかな。
だからこそ、推測する。想像する。「物語」が生まれる。

絶対に負けたくないって思っているのに、
「やっぱり顔が似てるね」なんて言われると、なんだか涙が出てしまう。
私の方が幸せになるって決めているくせに、
突然いとおしくて堪らなくなって、身を投げ出しても助けてあげたいなんて思ってしまう。
姉妹ってそういうものじゃない。


4月に、『シンデレラ』という新作のお芝居をやります。
横浜の運河のほとり、BankART NYKというところで。
それは、私たちのよく知っている話だけど、知らない話です。
よかったら、遊びにいらしてください。
そして、このお芝居が生まれるまでのプロセスを、
ここで一緒に見守って、あるいは参加して、ください。

はるか 02/11
石神 夏希 02/12
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自分の好きな本とか、読んで面白かった本を
ブログで紹介するときに、Amazonにリンクすること、ありますよね。

アフィリエイト、という仕組みがあって、皆さんご存じかもしれませんが
誰かがリンクをクリックして、Amazonで本を買ったりすると
リンクをはっているサイトは少しだけお金がもらえる。
そういう、仕組みです。実際はなかなか儲からないみたいだけど。

このペピンブログでも、Amazonにリンク張って本の紹介したりしてるけど
これを「アフィリエイト」にしてみて、細々とお金を貯めながら
貯まったお金で何をするか、考えてみるってのも楽しいかもしれない。

うまくいっても1年に500円くらいかな。貯まるのは。
でも500円で何をするか、って考えても
いやあ、色々できるよ。

石神 夏希 02/17
ともこ 02/22
中澤 大輔 02/28
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今日の帰り道、下り電車の中で茶番劇を見た。

詳しい説明は、煩雑なので省くけれども、

たぶん二十歳くらいの、女の子と、男の子が、
完全に女の子が仕組んだであろう諍いのあとに、
(そして彼女の意図は、おそらく男の子にも了解されていた)
お互いが、それが茶番であることを分かりながら、
都合の悪いアクシデントには目をつぶり、
それはいわば、馬脚をあらわす的失敗だったんだけど、
それでも、それぞれの役割を演じきって、ハッピーエンドにこぎつけていた。

途中で、一緒に居た友達の男の子を、
2人の世界から締め出した(電車から降ろした)んだけど、
それは完全に、残り2人が暗黙のうちに示し合わせて差し向けたようなもんだった。
たぶん本人は「じゃあ、俺帰るわ」と言うしかなかっただろう。
電車を降りたあと、2人は付き合うことになったみたいだった。

本人たちにとってはロマンチックな思い出になるかもしれない小一時間。
たぶん自分たちでも、滑稽だって分かってるんだろう。
だけど止められない。嘘だって分かってるけど演じてる。
お互いが了解して、だまされてる。
分かっててわざと罠にかかりにいくような、そういう共犯関係。
なんかさ、そういうのって、こそばゆいけど、めくるめくよね。眩暈みたいだよね。
でも、他人から見ると、やっぱり茶番でしかないね。
だから、いとおしいのかね。


ちなみに、乗降口そばの2人席に、その女の子と私が座っていたので、
(男の子たちは、私たちの前に立っていた)
完全に私は、嵐のど真ん中に巻き込まれた体で、
「困って寝たふりしてるんだけど、耳をそばだてちゃう赤の他人」の役を演じきりました。
もちろん、男の子と女の子は、それも分かってたよ。
私も共犯だったのでした。

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はじまりは、明るいながらも全体を覆う雲がまだ晴れきらない空模様。見下ろせば、ゆるやかに曲がった二車線道路に貨物をのせた中型トラックやハイエースが行き交っている。国道や県道にアクセスするための小さな産業道路に小さな小屋があった。

学生時代の殆どは駅からバス通学だった。パチンコ屋やコンビニ、昔ながらの個人商店が入り交じる地方の街中から、丘を切り崩した勾配のあるアップダウンを経て、徐々に林や団地群、大型スーパー、そして空が広がる。田舎とは言い切れない、小規模な農地や住宅地がマーブル状に混ざったニュータウン。その深部にキャンパスがあった。でも、よく授業はサボっていて、僕にとっての通学路は、登校時間でないバスが迂回するローカルや、行程の真ん中あたりでわざわざ途中下車して遅刻する獣道だった。キャベツ畑から富士山をみていた。

ちょうどカーブした道路の真ん中あたりにその小屋はあって、気がつけば鮨屋のような店内、5・6席程度のカウンター側に着席している。一つだけ席が空いているが、以外は縁のある若い演出家たちがいまかいまかと料理を待ち座っている。カウンター越しの料理人は、いままさに5・6口あるコンロで親子丼の玉子を一斉にとじんとする所だ。ふいに玉子のアップ、スローモーションで殻が割れ、白身越しに黄身がこぼれ落ちる、ズドン。

あっという間に彼らの目の前に親子丼は並び、お先に失礼します、と食べはじめる。まだ自分の丼はなく、「そうだよな、ここは(座っている演出家の一人)○○君の実家だもんな」と、納得した気になった途端、店の奥側らしい仄暗い洞窟のような空間に移っていることに気づく。かまぼこ型にしなるアーチ天井、コンクリートの地面にはうっすらと枯山水様式の砂紋が敷かれている。相変わらずカウンターのように一列に並ぶ演出家たちと自分は正座、親子丼は向き合うように目の前に並ぶが変わらず自分に丼椀はない。

僅かな空腹感、そして砂紋の上に正座して感じたのは罪悪感。その瞬間、指で砂をなぞり舐めた。おいしい岩塩だった。「なんだ、塩かよ」と、ため息まじりで予想を裏切られながら、一方で「なぜ自分には親子丼がこないのか」ということに怒りが込み上げたところでブラックアウト。

目覚めて時計をみればアラームもかからず寝坊、遅刻ムードにあわてて飛び起きて身支度。親子丼がでてこない怒りで目覚めたことがなぜだか妙に納得できた朝。

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この前、ペピンで海外に行きたい、海外で公演がしたいって話を
ミーティングでしていたんだけど、じゃあそのために
お金を貯めなきゃってことになって。

1年間で150万貯めることにする。仮にそれを全部公演で稼ごうとしたら
750万の公演をやって、20%の利益を出して、ちょうど150万。
お芝居の世界で黒字を出すのはかなり至難の業だから、
だったらお芝居じゃないほうがいいのかもしれない。
まあ、本でも、出版しますか。

ところで。

お金って面白い。たくさんのお金があれば、色々なことができる。
高価な物も、安い物も買えるし、何も買わないこともできる。
お金持ちっていうのは、いいかえれば色々な「可能性」を持つことなのかも。

実際にお金を使うより、そのお金をどう使うか、考えるほうが楽しい気がする。
そりゃ、使うときも楽しいけれど。でも、ね。
だって、お金を使うときは、だいたい結果が予想できるけど(バッグが手に入る、とか)
お金をどう使うか考えているときは、自分自身でも、結果が予想できない。
おれって、このお金で、いったい何するんだろう。

そういうことって、ほかにもある気がする。

今度の休日、何しようかな、とか。
今日の昼ご飯、何にしようかな、とか。
宇宙旅行できたら、何しようかな、とか。

考えて、想像をめぐらせてみるのが楽しい。
旅行に行くよりも、旅行に行く前が楽しい。

どうやったら、お金を貯められるかってペピンで考えていたとき
それだけだとなんだか、つまんなくなっちゃったんだよなー。

お金を貯めるのが楽しいんじゃなくて
お金の使い方を考えるのが、楽しい。
楽しいお金の使い方が思いついたから、お金を貯めるっていうのがいい。

まあ、不況でお金もないことですし、ね。
お金を貯めるよりも、お金の使い方を考えてみよう。
それで少し楽しい気持ちになれたら、それでいい。

Wholesaler Galvanni 09/06
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時代劇が好きです。

最近見ているのは、「素浪人 花山大吉」です。
深夜、テレビの前に座って、とりあえずつけるのが
ケーブルテレビの『時代劇専門チャンネル』だからです。

なので、民放でリアルタイムに放送している番組はよく知らないです。
基本的に、再放送の古いやつばっかり。
そして、再放送されるだけあって、ある程度人気のあった作品が多いようです。

昨日から、「花山大吉」がカラーになりました。
それまで白黒だったので、画面がまぶしくてたまらない。
でも、「うわ!まさかこの袴がこの色だったとは」みたいなショックがあって、
一粒で二度美味しいです。
スタジオ撮影の夕焼け空(舞台のホリゾントで作るような夕焼け空)も
完全にニセモノって分かるんだけど、とても美しい。

刀を持たせたら負けを知らないが、緊張するとしゃっくりが止まらなくなる花山大吉と、
おっちょこちょいで人の好い無宿者・焼津の半次の二人組が
旅をしながら、色んな事件を解決していくロードムービー(?)。
この二人の関係性が、観ているとなんだか幸せになる。

焼津の半次がバカな失敗をやらかすたびに、
おっかない顔した花山大吉が「兄さん、国宝級の単純さだなあ」とかって大笑いするんだけど
そうすると、焼津の半次は「国宝級だなんて、旦那おだてちゃ困るや」なんて
バカにされてることも気づかずに照れて、また笑われちゃったり。
(時々、バカすぎて愛想を尽かされる)

そのくせ、花山大吉はおからが大好きで、おからを肴に酒を飲み始めると、
きまってべろんべろんに泥酔して、焼津の半次の世話になるんだよ。

エンディングテーマは、焼津の半次を演じている品川隆二さんが
半次の、花山大吉に対する気持ちを歌っているんだけど、それがまたよい。


それがどうした 男に惚れた
腕もきっぷも 腕もきっぷも
俺のうわてを ゆく旦那

(品川隆二/『風来坊笠』>>> YouTube


「友情」とはちょっと違う。「仲間」というのが一番近いけど、
男同士、お互いがお互いに惚れているというのが、キュンとするのです。
同性愛ではないよ。
お互いに「しょうがねえなあ」って言いながら、心の底ではリスペクトしてるみたいな。

時代劇を見始めたのは、2007年にやった『捕物』という公演のためです。
最初に決まっていたのは、「岡っ引が、牛を追いかける話」という筋だけでした。
別に時代劇が好きなわけでも詳しいわけでもなかったので、
脚本の参考にするため、たまたまやっている番組を、見られる範囲で見始めたのがきっかけでした。

今では、どんなに深夜に帰宅しても、時代劇を見ない日はほとんど無いし、
気に入った作品はできるだけ録画して、DVDで残しています。
とはいえ、いわゆる「長寿番組」は放映回数が多すぎて追いかけきれないので、
基本的に"一期一会"だと割り切って楽しんでいます。

ケーブルテレビの再放送がいい点は、
 ●連続物は、基本的に毎日放映される(次回まで一週間待つ必要がない)
 ●12時間サイクルで再放送。昼の1時に放映された番組は、深夜の1時に再放送される。
この2点のおかげで、かなり若者の時代劇に対する壁を低くしてると思います。
ただ「銭形平次」がね・・・夕方5時と早朝5時なのが、人気番組だけに残念だけどね。

私にとっては、時代劇チャンネルは「とりあえず流しっぱ」なもので、
MTVとかスペースシャワーTVとかつけっ放しにしながら、みたいな感覚になりつつあります。
もちろん、本当に好きな番組は集中して見るんだけど、
パソコンでメールチェックしながらとか、風呂上りに髪乾かしながらとか、
とりあえず髷と裃が視界に入ってて、「曲者じゃ!」とか聴いてると、満足なのです。
なんかPVみたいな感じ。だからもう観たことのあるエピソードとかでも、全然OK。
普段も、思わず主題歌を口ずさんじゃう。

だけど、時々感動して泣いちゃうこともあるんだ。
男の生き様のかっこよさに痺れて、震えちゃうこともある。
もちろん、テレビの前で、登場人物と一緒に笑っちゃう。

私は別に、時代劇の研究をしてるわけでも、造詣が深いわけでもない。
芝居をやっているけど、殺陣をやったこともないし(やりたくはなってるけど)。
はっきり言って、おばあちゃんおじいちゃんとも一緒に住んだことないし、
大人になるまで時代劇とまったく縁がなかったと言っていい。
でも、若い時代劇ファンのひとりとして、
時代劇の魅力について以前から書きたいと思っていました。


なので、勝手に「時代劇」というタグを作って、
今後、ここで時代劇について語るシリーズを展開します!


次回は、「ぶらり信兵衛 ?道場破り?」について書く予定です。
乞うご期待。

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普段はあまり夢をみない。よっぽど深く寝てるのかもしれないが、最近は(加齢のせいか)若干浅くなりがち。久しぶりに長くまどろんだ。

はじまりは景色を俯瞰したような光景だった。海辺のような浜に僅かに小屋が点在し、浜から眺めた沖合いはナイアガラやイグアスといった大瀑布のような、ざっくりと切り立つ河口が弧を描いて剥き出す。曇り空で迎える夜明け前は、水墨画で書いたようなやや冷たい色合い。その水はどこから湧いてんだよ、がっつり異世界。

点在する小屋の中では、ご縁のある舞踊手がすっと立っていた。あれ、ここら辺はあまり時間軸がなくスライドショーのように浮かんでは消える時間。色は水色とクロの2色分版。そして、もうひとつは教室のような木造の部屋。学習机が並んでいるが、おそらく会話を交わしたであろう同級生ひとりとの画は至近距離だった。色は黄色とクロの2色分版、ペンキを粗く塗ったようなタッチ。場面と場面の節目はなかなか思い出せない。

ああ、書くたびに記憶が遠のいてしまう。朝6時半ふと起床する、これまでの水モチーフはやはりお手洗いだったかと納得。ここで夢は途切れるかー、と思いながらも二度寝チャレンジでは見事に夢物語再開、とても嬉しかった。でも先生と緑の芝程度のモチーフしか思い出せない。相変わらず色合いは褪せている、ややにじんだピンボケ。

この確かに触れたであろうまどろみ。細波のようによせては返し薄れていく眠りの際という感覚はとても心地よく、普遍的な快楽の解釈につながる気がする。毎日をすごす中での時間への意識、過ぎさっていくスピード。ゴムのように伸び縮みする時間の感覚はさまざまで、起伏に富むもしくは富まぬ毎日を如何にポジティブに楽しめるか。「観劇」も仮想体験装置として、そうした姿勢を促す一助になれればいい。多くのコンテンツが散在する時代、楽しむためには楽しむ姿勢づくりが問われる気がする。

ひさしぶりに夢が面白かったものだから、起床はもちろん、出勤も億劫になってしかたなかった。目を瞑り、外部からの干渉もない生理とイメージの世界で拡がる想像力はだいたい想定内で、とりわけ驚くこともなかったけれど、それなりにアイデアや気づきはあって満足。

石神に勧められて、以前から読もうと思いつつも忘れてしまっていた鷲田清一さんの『「待つ」ということ』のことを思い出した。今日の夢の感触とこの本に書いてあることがリンクするような、寝る前に読みたい一冊。

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仕事で今日は研修に行っていました。
(わたくし、国際協力のNGOで働いています。)

事業評価に関しての研修で、それぞれの事業担当者が
海外の支援活動の事例を使って評価をするというもの。

各々の発表では、カタカナ語が溢れる溢れる溢れる。

「エバリュエーション」とか。(=「評価が」の意)
「リプロダクティブ・ヘルス」とか。(=「妊産婦保健」の意)
「コミュニティ」とか。(=「村」ですね)
「ディストリクト」とか。(=「郡」ですね)

極めつけはビジュアル・エイド(Visual Aid)。

これなんだと思います?

これ、途上国で紙芝居を上演することなんですって。
知らなかった。

なぜそんなにまでしてカタカナ語を多用するのか。
カタカナ語を使えばインターナショナルなにおいがするのだろうか。
紙芝居を上演することを示す唯一つの言葉だろうか。
素直に「紙芝居を見せるんです。」って言った方が伝わるのに。
そう思いました。

しかし、そんな私もかつてはカタカナ語族でした。
公演の反省会で、舞台美術さんの物を創る力にあこがれて、
ついつい、

「美術さんはクリエイターじゃないですか。自分はクリエイターではないですから。」

と、発言してしまい、美術さんからは、

「クリエイターって言うけど、舞台美術ですよ。下ちゃんだって、
役者であり舞台監督であり物作りをしていることに変わりはないよ。」

と返された時、私は私のカタカナ語の多用をやめようと思いました。
(それまで私は「グルーヴ感」とか良く使っていました)

とは言え、最近の日本の音楽の歌詞もまた日本語使用が露骨です。
そういう演出をしているにおいがなんだか野暮ったく感じます。
何でも日本語に直せば格好いいわけではないのだと思います。

自分が言いたい事や伝えたい事を、本当に伝えるためには、
それにふさわしい言葉が、もっと言うとふさわしい唯一つの言葉が
あるのだと思います。

それが、カタカナ語の時もあるし日本語のときもあるでしょう。
カタカナ語に頼るのではなく、かといって日本語回帰の流れに
身を任せるのでもなく、伝えたい事をきちんと伝えられる言葉を
探すこと。生きていく上で大切にしたいことであります。

nakamigawa 02/07
下田寛典 02/07
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3日(火)に、横浜市青葉区のコミュニティFM、FMサルースの番組
"Good Time"で、横濱リーディングコレクションの紹介をさせていただきました。
といっても、私は頼りになる先輩方のあとに、ついていっただけなのでした。
右から、パーソナリティの夏目さん、shelf矢野さん、NEVER LOSE片山さん、そして私。
COLLOL田口さんは来れなかったのです。残念。

CA390191.jpg

私はラジオ初出演なので、ラジオブースというものも初めて見ました。
本番といっても、夏目さんとスタッフさんにとっては日常なので、
正直、びっくりするほどラフな感じ。
ものすごく自然体というか、すべてが息があってて滞りなく、
他にたとえが思い浮かばないんですけど、なんか「餅つき」のようだった。
プロって、そういうことなのかー。

やっぱり、余裕っていうか、遊びっていうか。
そういうものがないと、しなやかには動けないのね。

「いやこれ当たり前ですから」みたいな感じと、本番ならではの緊張感があいまって、
何度も申し訳ないけど、「餅つき」みたいでした。

舞台の本番とはだいぶ空気が違うなー。
もちろん、日常じゃない私たちはバリバリ緊張していたわけですが。
私なんて、第一声、なんか喉締まってて声おかしかったよ。
矢野さんと片山さんは、本番前は一緒に緊張していたのに、
いざ本番に入ったら、ちゃんと「餅つき」に参加してた・・・ズルイ。

企画の趣旨や「リーディングとは?」という話、
それぞれの演出家が各作品を選んだ理由、見どころ、稽古の様子など。
そんな話をしているうちに、あっという間にタイムオーバーでした。

同じ企画に参加しているとはいえ、私たち(演出家)同士も、
そんなにお互いの作品について、話をする機会があったわけじゃないんです。
普段は、別々の稽古場にいるしね。

だからふつうに、
矢野さんが「『班女』は三島が古典をカバーした作品」って言ったりとか、
(私たちの舞台は、三島作品のカバーだから、二重のカバーになる)
片山さんが「『わが友ヒットラー』で可愛い女の子にヒットラー演らせるつもり」だとか、
そういう話が聴けたのが、放送に関係なく、すごく面白かった。

うむむ面白そうだよ、この公演!!!
「三島か・・・重いなあ(難しそうだなあ)」とかって思っている方こそ、ぜひ観に来ていただきたい。
でも今回がFINALなんだよ。
『レター教室』観れなくても、ぜひ他の作品だけでも観てください。
■チケットのご予約はこちらからどうぞ。>>> 予約ページ

Galvanni 09/06
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土曜日と日曜日、『レター教室』の稽古でした。

稽古場が、苦しくも楽しい、感じです。

「こういうことがあったんだけど、このシーンに使えるのでは?」って
自分の体験とか、プライベートな生活の一こまを例にアイディアを出してくれたり、
「この芝居の(My)テーマソングをみつけた」って言って
『レター教室』のイメージに合う曲を稽古場で聴かせてくれたり。

そういうのって、脚本とか演出を担当している立場からすると、
めちゃめちゃ嬉しいんだよなあ。

ちなみに、今回出演する役者さんの一人は、
以前にぺピンの公演で舞台監督をやってくれたんだけど、
スタッフなのに、なぜか役者の劇中ダンスの振り付けを全部覚えてた・・・
そういうのも嬉しいのです。


ある観客の方が、レビューで
「石神はお客を笑わそうとして自分が笑ってしまっている」と書いていた。
それはきっと、ある程度正しいんだろうと思う。
(その方の、私の芝居に対する評価はとても低かったのだけど)
たしかに私、いちばん笑ってるなー。自分で。稽古場で。

だけどその先に、私の愛してやまないものがある。と思う。
私が、演劇を観たときに、心惹かれるのは、それなんです。
もしも今そのせいで、笑えなかったらごめんなさい。
だけどいつか、それでお客さんに笑われたいです。
ばっかみたい、って言われて、笑われたいです。

がんばります!

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