三人姉妹/シンデレラ

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私のうちは、三人姉妹です。

一般的によく知られている「シンデレラ」のお話では、
彼女のうちもまた、三人姉妹です。
彼女は末っ子で、2人の姉は血のつながらない、継母の連れ子です。

「シンデレラ」に限らず、昔話や神話では兄弟姉妹という関係性が
ドラマの仕掛けとして重要な役割を果たしているケースが少なくない。

それは、すごく醒めた言い方をすれば、
「実験」や「仮説と検証」にたとえられると思う。
何かを確かめるためには、知りたいこと以外の条件を揃えることが必要になる。
たとえば、朝顔を育てるために、ある肥料が成長を促進するかどうか確認する場合、
肥料を与えるサンプルと、与えないサンプルとでは、朝顔の品種は同じでなくちゃいけない。

それに、環境も揃える必要がある。
たとえば、片方は日向なのに、片方は日陰にいたら、
何が成長の進度に影響したか分からなくなる。

兄弟姉妹は、育つ環境も、DNAも、ある程度共有しているから、
それ以外の何が、彼らの運命を左右したのかが分かりやすい。
というか、本当は何が原因だったかなんて、
そんなこと、赤の他人はもちろん、本人たちにも絶対分からないのだけど、
少なくともあれこれ推測しやすくて、ドラマになりやすい。
「仮説」を立てやすい。

なんでか分からないけど、やっぱり私たちは、
理由や原因を知りたがる。
どうしてそんなことが起きたのか知りたがる。
何故、不幸になったり幸せになったりするのか、
この世界はどういう仕組みなのか、知りたがる。
だから経験や見聞きした情報を総動員して、「仮説」を立てる。
それによって、失敗を避けようとしたり、幸せになろうとしたりする。

たぶん、そういうのが「物語」の原型で、
昔話や神話や伝説がやろうとしていたことなんじゃないかと思う。


「シンデレラ」の話に戻ります。


その1。
シンデレラは、三人姉妹の末っ子だった。
一番立場も弱くて、他の2人とも血がつながっていなくて、いじめられていた。
にもかかわらず、自分一人だけ美しくて、優しくて、働き者だった。
だから、幸せになれた。

その2。
シンデレラは、三人姉妹の末っ子だった。
自分だけ、お母さんが早くに死んだおかげで、魔法使いに可愛がってもらえた。
「かわいそう」な境遇に居て、同情を誘いやすかった。
だから、幸せになれた。

その3。
シンデレラは、三人姉妹の末っ子だった。
だから、幸せになれた。
だって、昔話って、たいてい末っ子が幸せになってハッピーエンドでしょ。

たとえばこんな風に、
私たちは、昔話からその「仮説」を読み取る。
というか、昔話は、何らかの「仮説」を読み取らせるように出来ていることが多い。
だから何も「仮説」が読み取れない物語に触れると、私たちは混乱する。
「この話は何が言いたいのか分からない」と言ったりする。

その不満は、「何が言いたいのか」(仮説)=メッセージがもともとあって、
それを伝えるために、物語は作られ語られていると前提するところから生まれている。


だけどここで、昔話や神話や伝説を、「伝承」という面から考えてみる。
その物語が生まれたとき、おそらく何かが実際に「起きた」と考えられる。
それは、今私たちが知っているお話とは、全然違うことが起きたのかもしれない。
でも、何かしら起きて、それを誰かが経験することがベースで「仮説」は立てられているのだから、
たぶんなんか起きたんだろう。
そしてそれは、誰も理解できない、意味不明の出来事だったんだろう。
「何が言いたいのか」どころじゃない。理由も意味も全然わかんない。
だからみんな、「なんで?なんで?」ってすごく悩んだろう。

だから誰かが知恵を絞って、あるいは皆で話し合って、
「これは、こういうことだったんじゃないか」って仮説を立てたんだろう。
それを伝える必要を感じたんだろう。生きていく上での知恵として。

それは、私たちが、大きく育った朝顔と、枯れてしまった朝顔の鉢を見比べて、
「何が善かったのか/悪かったのか」と原因をあれこれ推測することと同じだろう。


シンデレラが、三人姉妹の末っ子だったことも、美しかったことも、かわいそうだったことも、
全部、推測された原因に過ぎない。
ただ、私たちが理由を知りたがっただけだ。
事実はただ、
「ある女の子が、他の女の子たちとは違う運命を歩んだ」
という、それだけなんじゃないだろうか。
他の女の子たちとは、決定的に違う運命を歩んだ、ひとりの女の子。
普通の女の子として、本来なら歩むべくもない運命を歩んだ女の子。


私、きっと、シンデレラと、それ以外の女の子たちは、
よく似た女の子だったんじゃないかと思うのよ。
三人姉妹に仕立てても、不自然じゃないくらい。
もしかしたら、本当に姉妹だったかもしれない。
そうだとしたら、たぶん三人ともよく似た人生を送っていて
何が彼女たちの運命を分けたのか、誰にもわからなかったんじゃないかな。
だからこそ、推測する。想像する。「物語」が生まれる。

絶対に負けたくないって思っているのに、
「やっぱり顔が似てるね」なんて言われると、なんだか涙が出てしまう。
私の方が幸せになるって決めているくせに、
突然いとおしくて堪らなくなって、身を投げ出しても助けてあげたいなんて思ってしまう。
姉妹ってそういうものじゃない。


4月に、『シンデレラ』という新作のお芝居をやります。
横浜の運河のほとり、BankART NYKというところで。
それは、私たちのよく知っている話だけど、知らない話です。
よかったら、遊びにいらしてください。
そして、このお芝居が生まれるまでのプロセスを、
ここで一緒に見守って、あるいは参加して、ください。

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不条理、というのは条理の通りに行かないということで
てことは条理が見えててその通りにいかないといけないのに
展開が違っちゃったってことですよね。
私は不条理、シュールといわれる作品が漫画や芝居や絵や、
どんな種類でも好きですが、なんで好きなのかなと、
なっちゃんの話を読んで思いました。
できごと→その後の展開、というつながりが上手くいかないとき
日常的じゃない感情が心に生まれるんだと思います。
どきどきしたり、はらはらしたり、ちくしょうとおもったり。
そういうとき、反応する心が好きなんだと思います。
納得することにロックしてる感じだよね。

帰結しなかったとき・結果が閉じなかったときに、
あらゆる可能性にむかって開かれる、その状態が、
ひとをワクワクさせるんじゃないかと思います。

既成の価値やなんかを転覆させるということだけで単純に痛快と感じて面白がる人もいるだろうけれど、
心がワクワクしているとしたら、きっと理解を超えた未知のもの、超越的なものに対する畏れなんじゃないかなって。畏れが惹きつける。
「納得することにロックする」って超越的なものを受け容れるってことだと思うの。自分には理解不能なことを受け容れる。
なんか脳みその、どっか使ってないところが活性化するんじゃないかなあ。

私は、「ひょうたんから駒」的なことが好きです。
どんなにシュールでも、結局ひょうたんから駒が出なかったら、ちょっといやかもな。
無秩序が、より大きな秩序に呑まれていくところが、気持ちいいのです。
宇宙に触れるのです。

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