白やぎさんから お手紙ついた
黒やぎさんたら 読まずに食べた
仕方がないので お返事書いた
さっきのお手紙 ご用事 なあに
黒やぎさんから お手紙ついた
白やぎさんたら 読まずに食べた
仕方がないので お返事書いた
さっきのお手紙 ご用事 なあに
この1番と2番が、永遠に繰り返されて、
白やぎさんと、黒やぎさんは、仲良く文通を続けるのだけど。
この歌はもしかしたら、「手紙」というものの本質を、
ものすごく鋭く突いているんじゃないか、と思う。
文通はexchange、つまり手紙の交換ということになるわけだけど、
意思の疎通と、手紙の交換そのものとは、別の物事なのだ。
白やぎさんの用事が黒やぎさんに了解された瞬間に、
文通は終わってしまう。
白やぎさんの意思や想いが、黒やぎさんに届かないからこそ、
ふたり(二頭)の文通は続く。
そしてきっと、白やぎさんの用事は、永遠に黒やぎさんに届かない。
なぜなら、食べちゃうから。
いやいや食べないでしょ人間は。ふつうに。読むでしょ。
というツッコミに応えて、言い換えると、
文通は意思の疎通じゃなくて、思い込みの交換なんじゃないかな。
私たちは、読んだつもりになっているけど、読んでない。
ただ、味わっているだけだ。
そしてそれは素敵なことだと思う。
美味しい手紙ほど、相手の意図を読み取るのは難しい。
お互いの言いたいことが、ちっとも、全然伝わっていないのに、
むしろ、伝わっていない、永遠にお互い分かり合えないからこそ、
手紙のやりとりが、対話が、ふたりの関係が続いていく。
そういう歌なんじゃないかと思う。
それからこの歌は、白やぎさんが、しびれを切らして
黒やぎさん家に直接、用事を言いに行ったりしないところも印象的だ。
子供のときは、この白やぎさんはだいぶ怠け者だと思っていたけど、
もしかしたら、白やぎさんには、行きたくない理由があったのかもしれない。
自分が書いているときに、相手がそこに居ない。
相手が読むときに、自分がそこに居ない。
自分が返事を受け取るときに、相手はそこに居ない。
そういう、"不在"と"不在"との間を行き来するのが、「手紙」なんだと思う。
そこに「"不在"がある」からこそ、私たちは手紙を書く。
相手の居ない時間に、相手の居ない場所で。
だから手紙は、「あなたが今、ここに居ない」って事実そのものだ。
白やぎさんは、黒やぎさんに、「会いに来てください」って書いたんじゃないかな。
自分から会いに行くんじゃなくて、会いに来てほしかったんだ。
その想いは、永遠に届かないんだけれども。
二頭の不在の山羊は、たぶん私たちです。
私たちはいつも大切なところに、居そびれるんだね。
でも、手紙は続くよ どこまでも
『レター教室』いよいよ来週末20日(土)・21日(日)です。
ぜひ、これまで書いた手紙、もらった手紙のことを思い出しつつ、
劇場へ遊びにいらしてください!!
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不在の山羊/レター教室
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