2009年4月アーカイブ


電車に乗るのがこわい。
いやほんとは別に恐くて電車に乗れないということではなくて。
なんだか恐い人がというか、心ない人が多い、という話。

この間、京浜東北線で実際に体験した話。
混んでいるけどまあ軽く身動きくらいはとれる、くらいの電車に乗ったときのこと。

混んでいるので、後からお客さんもどんどん乗ってきて
身体を押す形で奥のほうへ詰めていく形になるんだけれど
既に乗っていたお客さんAに、強い力で押し返された。
押し返された反動で、他のお客さんBを押すことになってしまったのだけれど
今度は、そのお客さんBに押し返される。
その反動で、最初に押し返してきたお客さんAにぶつかり
また押し返されて、お客さんBにぶつかり、今度はBが押してきて、Aに押し返されて。
そんなAとBのキャッチボールプレイが3回くらい繰り返されたでしょうか。

ある意味、欲望のはけ口にされたというか、
レイプされたに近いね。しかも2人がかりで。

自動車に乗ると性格が変わる人っているけど、そういうのと同じなのかもしれない。
電車に乗ると性格が変わるのでは、さすがにちょっと困りますが、きっとそうなんだろう。
「電車に乗ると性格が変わるタイプの人」って、きっと確実にいるんだろう。

でも、そういう人も、地球にやさしいとか、エコだとかいって
やっぱり冷蔵庫とか買い替えてたりするのかな。
ミクシィで友だち探してたり。そういう時代でしょうか。

やさしさと、欲望を、別々に消費する時代。

自分は最近、こういうときにはなるべく「すみません」というようにしている。
そうすると意外と親切に接してくれたりすることもある。
となりの人は「モノ」ではなく、人だったんだということが分かってもらえたのかも。

ああこれは、「人」だったんだ。

そう気づいてしまうことは、もしかしたら結構あるのかもしれません。

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友人に紹介されて『イカの哲学』を読んでいます。
(本の内容は集英社新書のウェブページから引用する形で下に掲載)

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中沢新一さんが言っていることは、今の自分には
あまり響かなかったのですが、波多野一郎という
人の【体験と気づき】にとても惹きつけられました。

波多野一郎さんには失礼なんですが、彼の気づきを
私の言葉でまとめるならば・・・

「何かを極めんとすることで必ず壁にぶち当たる。
 そのとき、ぶらり散歩に出たり、映画を見たりする。
 壁と向き合わない行動をとっているときに、雷に
 打たれたように道が開けることがある。」

そういうことかな、と思います。

「壁にぶち当たる」ところが重要です。
本気で壁にぶち当たる、その先に道は開けるのだと
私も思います。

芝居においても一本一本の作品はとても大切にしています。
ただ、ある周期でもって、壁にぶち当たりながら、しかし続ける
ことによって道が開けるのだと信じています。つまり、本気が
大事ってことですね。

2009年前半にして、マイ・ベストな一冊でした。

------本の紹介-----
特攻隊の生き残りで、戦後スタンフォード大学に留学した
在野の哲学者波多野一郎が、一九六五年に少部数のみ
出版した書『イカの哲学』。学生時代からこの作品に注目
していた中沢新一が、そこに語られている二一世紀に通
じる思想を分析し、新しい平和学、エコロジー学を提唱する。
イカが人間とコミュニケーションがとれたら、という奇想天外
な発想から、人間同士だけではなく森羅万象と人間との
相互関係にまで議論の範囲を広げ、本質的な意味での
世界平和を説く。『イカの哲学』全文収録。

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昨日、夢の中で、自分がものっすごく面白いお芝居をしていた。
でも、肝心の内容が思い出せない。何が面白かったのかも覚えていない。
演出の自分も出演していて、女の子ばかり10人くらいいたと思うんだけど。
しかもどうやら高校演劇だったんだけど。
役者全員、同じコスチュームだった。野球のユニフォームみたいな?
なんかやたらと、声が通らない空間で苦労して台詞を言っていた。
(これは、「シンデレラ」の反動かもしれません)
それにしても、いやー、大絶賛だった。

現実では、今ものっすごくやりたいお芝居のアイディアがあるのだけど、
制作さんに(次回の作品としては)ダメ!と言われてしまった。
でも、どうしてもどうしてもどうしてもやりたい。だってものっすごく面白いよ。
どうしましょう。

私、お芝居に「夢中」だね。と、なんかうまくシメたっぽく、おやすみなさい。

。。 04/26
石神 夏希 04/29
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何かが変わりつつあるときには痛みが伴うものだって。
痛みが終わるころには、新しい世界が見えてるのかな。
と、言ってみる。


「シンデレラ」は、おかげさまで、本当に幸せな公演でした。
これでCOLUMBAもしばらく活動休止となりそうですが、
恵まれた(休止前)最終公演でした。

ご来場いただいた皆さま、本当にどうもありがとうございました。
ご意見・ご感想などありましたら、ぜひこちらのメールアドレスへお寄せください!
今後の活動の参考にさせていただきます。
columba@pepin.jp

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『シンデレラ』全4公演が無事に終了しました。
ご来場いただきました皆様、本当にありがとう
ございました。

夢から醒めたように翌月曜からは現実社会に
戻っていきました。

いい夢もうなされる夢も含め、本当に夢のような
時間を過ごすことができました。

多くの方々の協力があり、そして、多くのお客様の
ご理解があって公演が成り立っていることに改めて
感謝・感謝です。


今朝、携帯に「ペピンミーティング」のメールがきていました。
さあ、次はいよいよ・・・!?やりますよ?。(あっ、言っちゃった)

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初日当日のヨコハマは霧雨、びゅうびゅうと吹く海風にのっかって
連日の陽気からうってかわって、これから何やらドラマが起きるんじゃないか、
なんて、ざわざわとした雲行きの怪しさが漂っていました。

「シンデレラ」チケット情報

4月18日1時時点での残席状況です。

4/18(土)15:00開演回 △ 前売券・若干余裕あり
4/18(土)19:30開演回 ○ お席に余裕があります
4/19(日)15:00開演回 × まもなく前売完売です

前売券販売は、各公演の開演時間10時間前まで受け付けております。
以降は、当日券をお求め下さい。各回10枚程度ご用意しております。
なお、受付は開演40分前、開場は開演20分前となります。

舞台の模様をいくつか写真にてご紹介

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COLUMBA「シンデレラ」
http://columba.pepin.jp/

「コロンバがBankARTで「シンデレラ」物語の起源を探る現代劇」
http://www.hamakei.com/headline/3919/
ヨコハマ経済新聞 4/17

「シンデレラ読み直し公演/横浜の演劇ユニット」
http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryivapr0904320/
神奈川新聞・カナロコ 4/13

なお、一部ウェブニュースにて18日、19日のお昼の回について
15時30分開演と表記されていますが、正しくは15時となります。
ご確認のほど、いま一度お願い申し上げます。 ご来場、心よりお待ちしております。
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昨日、「シンデレラ」が初日を迎えました。
毎回お芝居の初日を迎えると、稽古場では考えてなかったような
ファンタスティックなことが起きます。今回もそうでした。
というか、今回はより物語の深層に近いところで、起きたような気がします。

舞台上で感じた、お客さんの想像力。イマジン。
役者が意図して動いている以上に、お客さんの想像力が
お芝居に入り込んで、ひとつの物語をつくった、そういう感じでした。

今回のお芝居は、駐輪場をめぐる様々な人たちの
想像力がつくっていく、そんな物語だと思っています。

今回、お芝居に来てくださる方は、ぜひぜひ
お芝居を見て、ああじゃないか?こうじゃないか?こうだったらいいのにな!
といろいろ想像を巡らせて見てください。
駐輪場で起こる出来事の目撃者になってください。
そうやって、お芝居にかかわる色々な人の想像がどんどん加わって
毎回少しずつ、物語は形を変えていくことでしょう。
私たちも、まだ見たことのない物語。

Galvanni 09/06
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本日、幕が開きました。columbaの『シンデレラ』です。

今回のお芝居をつくっている過程で感じていることがあります。
これはとても不思議な感覚なのですが、ここ数日、劇場にいて
シンデレラという物語を紡いでいる中で、自分の役と二人三脚を
している感じがしています。

私と彼(役)は、それぞれの境遇の中で他の人たちとおんなじように
悩んだり、苦しんだり、微笑んだりして生きてきました。ちゃんと話が
できる友だちが少ないところもなんだか似ています。

私も彼も特別な存在ではありません。どこにでもいる、みんなの隣に
いるようなひとりの男です。

だから、私には彼がほんとうは「どういう状態にありたいのか」が
なんとなく分かります。それは私に引き寄せれば「解放」という言葉が
適当なんだろうと思います。

『シンデレラ』の公演の終わりと共に一旦は脚本の中に戻っていくわけですが、
私はこの現実の中で生きていきます。日曜日の公演を終えたら、一旦は
バイバイしなくちゃいけないんだなぁと、感じました。

だから彼に言っておきたいことがあるのです。
「バイバイする前に一瞬でも『解放』を味わおうぜ、なぁ」ってね。

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本日から3日間、シンデレラいよいよ始まります。
ぜひ多くの方に、見届けていただきたいです!
http://columba.pepin.jp/

ちなみに写真は、前回(2005年)に同じくBankART NYKにて上演した『伝説』です。
床文字や布団など、セットは全然違いますが、空間の雰囲気は伝わるかと思います。

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コンクリートむき出しの壁と、大きな柱が、倉庫のときのまま残ってます。
ここで、今回はシンデレラをやります。

水辺に建っているため、夜はちょっと肌寒いかもしれません。
羽織るものなどお持ちくださるとよいかと思います。

劇場でお待ちしております!

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今日の運河。山下町方面です。

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みなとみらい側を見るとこんな感じ。
今日もいい天気でした。

BankART NYKには、すてきなパブが併設されています。
その名もBankART Pub。昼はカフェ、夜は落ち着いた雰囲気のバー。
ここを利用するアーティストの人たちはもちろん、展示やパフォーマンスを観に来た人、
もちろん、普通に喫茶店やバーとして、ふらりと立ち寄る人も多いようです。
バーだと思ったら、美術の展示をやってて、あ、これおもしろい絵だなあ・・・なんて、よいですよね。

今日もお昼休みに、サラリーマン風のおじさまお2人がお茶しにいらしてました。
しかも、ずいぶんリーズナブルなのも、おりこう。
ちなみに、時々フードメニューも出てまして、今日は美味しいキッシュでした。

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写真がピンボケなんですが、コンクリートむき出しの建物の雰囲気もありつつ、
中古の椅子やシンプルなテーブルクロスが、温かで気取らない感じ。
屋外の席もありますから、春の運河を目の前に眺めながら、のんびりするのもオススメ。

『シンデレラ』を観にいらしたあとは、お芝居の余韻を味わいながら、
ぜひぜひ、BankART Pubに立ち寄ってみてくださいね。
夜は23時までやってるそうなので、うちの役者やスタッフもお酒を呑んでるかもしれません。
そのときは、ぜひご一緒に。

Galvanni 09/06
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小屋入りから3日が過ぎようとしています。たくさんの幸運とアクシデントに囲まれて、徐々にシンデレラ自体の骨格が明らかになってきました。

昨日の横浜の天気は大変な豪雨だったんですが、うってかわって快晴な本日。会場の外にふりそそぐ目映いばかりの陽射しと、会場/元倉庫だからこその重厚でぐっと深い暗闇とのコントラストは、とても劇的。足も時間も止まるロケーションから、シンデレラは始まります。

全4回というあっという間の公演ですが、初回・2回目の公演ではポストパフォーマンストークとして、すてきなゲストをお招きします。

4月17日(金) 19:30開演回
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川上洋平さん/ブックピックオーケストラ代表
2003年「ブックピックオーケストラ」結成以来、全ての企画運営に携わり、ウェブからデザイン、ライティング、仕入れまでを担当。2006年末から代表。ブックピックオーケストラは、本のある生活をふやすために、新たな本のあり方を模索し、人と本が出会う素敵な偶然を演出するユニット。2008年10月「ラ・マレア 横浜」にて書店出張、オリジナル商品「文庫本葉書」の販売、栃木県益子STARNETでの古書販売など、活動を展開中
ブックピックオーケストラ http://www.bookpickorchestra.com/


4月18日(土) 15:00開演回
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中野成樹さん/演出家・中野成樹+フランケンズ主宰
1973年東京生まれ。演出家。
欧米演劇マスターピースの日本における上演、
いわるゆる翻訳劇につよくこだわり活動をつづける。
「まったくの海外古典でありつつ、
 まったく日本の現代演劇でもある」ことを目指し、
言葉づかい・所作と身体・物語と空間・音楽の効用などを、
多角的に検証しトータルに演劇を組み上げることを企む。
翻訳劇誤意訳チーム・中野成樹+フランケンズ主宰。
大学生翻訳劇チーム・中野成樹+オオカミ男も主宰。
翻訳劇CG化チーム・中野成樹+ドラキュラ伯爵を準備中。
2009年4月より有明教育芸術短期大学専任講師。
中野成樹+フランケンズ http://frankens.net/

川上さんには、事前に稽古場に訪問してもらいプレトークを、
中野さんには、前回作品「ねもと」にも観劇/トークゲストとしてご参加頂きました。

ご来場のみなさまにはシンデレラ割/チャリ割なんて窓口も設けております。
この週末、お時間の都合とれましたら、ぜひ横浜・馬車道においでください。
・・・・・・・・
シンデレラ割/女性3名様でおこしのお客様に限り、1名様分を無料でご案内いたします。
チャリ割/自転車でご来場頂き、舞台上・所定の位置に駐輪されたお客様につき1500円にてご入場頂けます。
・・・・・・・・

COLUMBA「シンデレラ」
http://columba.pepin.jp/

「シンデレラ読み直し公演/横浜の演劇ユニット」
http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryivapr0904320/

神奈川新聞・カナロコ 4/13

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『シンデレラ』特別サイト、内容どんどん充実してきています!
役者が「わたしのシンデレラ」をテーマに書いた写真作文や、
ポストパフォーマンストークに登場する、ブックピックオーケストラ・川上さんとの直前対談など。もちろんチケット予約もこちらからどうぞ。

すでに来てくださった方も、ぜひ再訪を!

http://columba.pepin.jp/

また、昨日(火曜)の神奈川新聞でも、『シンデレラ』をご紹介いただきました。
稽古の様子も含めて、コンセプトからあらすじまで、丁寧に、かつ的確に書いてくださっています。もしお手元にあれば、どうぞチェックしてみてくださいね。

今日の横浜は、すごい大雨でした。東京も、かな。
いよいよ春が来たんだな、と思いました。

「シンデレラ」は、表面的には人間たちのお話だけど、
究極的に意味するところは、冬が去って春が来るお話だと思う。
何かが喪われたあとに、雪の下に芽吹くふきのとうみたいに新しく生まれる。
冬を乗り越えて春がやって来るお話だと思うのだ。
それはめぐり続ける世界の継ぎ目、終わりと始まりのバトンタッチの話。
バトンタッチの継ぎ目に、シンデレラという女の子は、いる。

春が来ます。来ました。来つつあります。

ふーみー 04/15
石神 夏希 04/16
Galvanni 09/06
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BankArt NYK の前から運河を望む。
劇場のすぐ前が川って、やっぱり、すごくすてき。

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鼻血

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数日前、職場で鼻血が止まらなくて本当に困りました。
季節の変わり目になると、鼻血が出やすい性質で、
ある種のコンプレックスにもなっています。

小学6年生のとき、教室で鼻血が止まらなくて、
ティッシュで鼻に詰め物をしていました。しばらくすると
その詰め物も赤く染まり始めたのです。

鼻にティッシュが詰まっている姿は確かに間抜けです。
これはいろんな人に言って回っているのですが、
鼻血だって外傷です。

身体のほかの部位から血が出ると、みんな心配して
くれるんですが、鼻血だけは違うと思います。みんな、
笑いますね、一応に。笑われていると、一刻も早く
鼻血を止めたくて焦ってきて、きっとその焦りが毛細
血管を膨らませて、さらに鼻血を出すのを後押しして
いるのではないかと勝手に分析しています。

さて、実は数年前、ペピンの公演本番真っ最中に鼻血が
出ました。しかも、袖にはける直前に。

次の出演シーンまでに止めなくては!と思い、止血をしました。
でも、次の出演シーンになると、「鼻血よ、出るな」と思うあまり、
舞台に集中できず困ったことを思い出しました。

舞台は生ものです。鼻血が出ないように祈るしかないのですが、
出てしまったときは、どうか鼻血のことには触れずに芝居の
ストーリーを感じていただければ、と。そう思います。

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昔から、シンデレラよりも人魚姫の方が好きでした。

人間の足を得るかわりに声を失った人魚姫。
目の前で好きな人が別の女と結婚するのを見ながら何も言えず、ベッドの中の彼を刺し殺せばもう一度海に帰れることを知りながら、愛する男の初夜の海に泡と消えていった悲しい女の子。

でも最近、人魚姫は、海の世界から見たシンデレラ物語なのかもしれないと思うようになった。
人魚のくせにグロテスクな二本足に憧れた人魚姫と、ガラスの靴を落として片足ひきずりながら城を逃げ出すシンデレラは、鏡に映った姿みたいにそっくりで、何から何まで逆さまだ。

この女の子たちに共通しているのは、
自分の暮らしていた世界を飛び出して、どこか別の場所へと越境しようとしたこと。
そして、実際に越境してみちゃったこと。ここではないどこか。
世界の反対側。地面の裏側。宇宙の外側。「彼岸」だ。
そして、いったん飛び出したら、もう後には戻れない。
人魚が脚を得る。
ということはつまり、人魚が人間になる。
ということはつまり、人魚が人魚でなくなるということだ。
それは、人間が人間でなくなることと等しい。
それは、人間が死んだら生き返れないことと等しいと思う。
たとえ魔法で人間が生き返ったとしても、一度死んだ人間が、同じように生きられるだろうか。

本当は、彼女たちが手に入れたかったのは、王子さまなんかじゃないという気がして仕方がない。
人魚姫が海に帰るために王子を殺せなかったのは、王子を愛していたからじゃなく、もう人魚に戻れなかったからだと思うのだ。
そして、靴を落とした(拾われた)シンデレラは、王子さまと結婚するしかなかったんだと思う。
身分の違う人間同士の結婚が許されていない時代には、シンデレラと王子の結婚なんて、人間と動物が結婚するくらい、「あり得ない」(あってはならない)ことだったかもしれない。
実際、シンデレラの類話には、動物や魚と結ばれる女の子の話もあるようです。
「あっち側」に行っちゃった女の子が、もう戻れないお話なんだと思う。


ちなみに今日、稽古場で役者さんたちに
「シンデレラにとって『舞踏会へ行って王子さまと結婚する』ということと同じくらい、
現代の女の子が実現不可能だけど憧れる対象って、何だと思う?」と訊いたら、
「ビヨンセ(になる)」という意見がありました。
たしかに、ビヨンセになったら、もう戻れないかもね・・・

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蛍光灯に照らされた桃色の花、なまめかしい。
足元にトンネルを駆け抜ける京急線の轟音。
猫が三匹、丸くなって私を睨んでました。

焼き芋のにおいがすると思ったら、
歩き煙草のおじさんが通り過ぎていった。
まだ嗅覚が冬仕様。

冬さようなら。春こんばんは。

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今日、駅のホームで各駅停車を待っていたら、
一本前の特急がすごい満員でやってきた。

すると、私の後ろに並んでいた若い女の子たちが、
「うわーくさそう」「絶対くさいよ」と文句を言いながら、
その満員の特急に乗り込んでいった。

その女の子たちの言うことも分かるが、
たぶん女の子たちもその中に乗ってしまえば
ある種の体臭を発散して、くささに加担するのだろうな、と思った。

というか、基本的に、人間はくさい。
動物もくさいけど、人間はくさい。

くさいのは、古くなるからだろうと思った。
古くなった部分、よく言われる「老廃物」っていうやつが、
くささの原因なんだと思った。

でも別の見方をすれば、常に新しくなるからこそ古いものが出るのであって、
人間がくさいのは、人間が常に新しいからだ、とも言える。
変化し続けているからこそ、においが発生する。
死体が完全に微生物とかに分解され尽くしたら、無味無臭になる。というか、なくなる。
腐る過程は、変化しているから、くさい。常に新しい状態へ移行しているとき、くさい。
変化の最先端にいるとき、人はくさい。

人がくさいのは、その人が最新だからだ。
というのが、今日の私の考えたことです。

Galvanni 09/06
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今日は、『シンデレラ』の製作過程を紹介させていただきます。


私たちの稽古場では、即興のエチュードをよくやるのですが、
今回の『シンデレラ』の稽古場では、初めの段階で
シンデレラ物語を再現する即興劇を、何度か作りました。

1?2つのルールを設けて、「シンデレラのお話を最初から最後までやる」と決め、
とにかく全員で演じながら、即興で作っていきます。
ストーリーや筋書き、ときには役柄も決めずに始めるのですが、
人それぞれ、記憶しているシンデレラ物語が違うので、
突然予想外の展開をしたり、なかなか結末に辿り着かなかったり、します。

そもそも、最初のスタートがけっこう難しい。
シンデレラって、どの場面から始まるんだっけ?
最初に居る人って、誰だっけ?
そういうことを、打ち合わせなしで、あえて"うろ覚え"で、みんなで作っていきます。
ナンシー関さんの「記憶スケッチアカデミー」ってご存知ですか?
うろ覚えって、思い込み・間違いだらけのくせに、妙なところで全員一致してたりしますよね。
人それぞれの記憶のズレ方や、共有されている部分とのコントラストが、面白い。

最初に登場した人が、「魔法使い」で始めることもあれば、「王子」で始めることもあります。
それによって、その後の展開も変わっていきます。
つまり、全員でシンデレラを「記憶スケッチ」していくような感じ。

そうやって、あいまいな記憶をもとに、即興で作っていく中で、
そこに参加している全員が共有している、シンデレラ物語の最小公約数がちょっと、見えてきます。
簡単に言うと、「最低限、何が起きれば『シンデレラ』として成立するのか」ということだったり、
「私たちは、シンデレラ物語のどこが『シンデレラ』っぽい、と感じているのか」ということです。

そもそも、昔話や伝説って、語り伝えられてくるなかで、
話す人と聞く人の記憶がどんどんズレていって、色んなバージョンが生まれたり、
何となく「やっぱ、ここが面白いよね?」ってみんなが思うところが残って、
今よく知られている有名なお話の形に落ち着いていたりすると思う。
意図的に、解釈を加える人や、自分オリジナルのメッセージをこめようとする人もいただろうし。
そういう、ズレやアレンジやパロディが、今のシンデレラ物語を作っている。
それが、すごく面白いな、と思うのです。


そんなわけで、このエチュードが、脚本のベースになっています。
観に来ていただけると、それが反映されているのがお分かりいただけるかもしれません。
単純に、このエチュードが楽しくて何度もやってた、というのもあるんですが。

そして思い返すと、小学生の頃、こうやってお芝居を作っていたな、と思い出しました。
子どものごっこ遊びには、脚本は無いもんね。

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