2009年6月アーカイブ


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待望の全員そろい踏みか、と思いきや下田さん痛恨のダウンにつき
見慣れた顔をつき合わせながらも、実務そっちのけでフリートークに花を咲かせました。
相変わらず時間はあっという間にすぎるわけで、終電も近くなってようやく実務の話も。

見ようによっちゃあ、だらだらくっちゃべるだけとも言えますが
一方、そんな時間で養われる素敵なサムシングが作品づくりへの糧、
そして推進力になるだなんて仮説はいかがでしょう。

会話で積み上げられる世界では、ものを言わずとも伝わる空気が生まれたりしますよね。
言葉で語らずとも伝わる状況、言葉で始まり言葉から離れる状況。それって演劇っぽい。

実際、学生時代の頃はメンバー十数人でデニーズやアローム(共に湘南台の喫茶)に大挙して
夕方から終電、ないしはそれ以降までくっちゃべってばかり。稽古なんてほとんどしない。。

まー、それもまた時間が過ぎると共にカタチは変わるかもしれないけれど
この時代での僕らなりのセンスオブワンダーで。

そうそう、先々週はひさしぶりに6年前に上演した「マルチメディア」の映像が出て来たので
有志でみたり。その時になにを思って考えて、な感覚はもう同じじゃないけどちょっぴり興奮。

石神 夏希 07/29
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先週に帰国しましたが、しばらく調子を悪くしておりました。

帰国便の中で観た映画が表題の「マーリー」でした。
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犬を飼い始めるところから犬の死を看取るところまでを
描いた、基本コメディでもラストでウルウル系映画です。

これを深夜便(深夜発、成田には早朝着)に観たもんだから、
まわりは寝ているのに一人して涙。フライトアテンダントさんが
気遣ってくれてナプキンをくれました。ありがたや。

いまだにハリウッドに泣かされる。くそー。
でも、犬を飼ったことがある人なら必見です。
詳しくはこちら。
http://movies.foxjapan.com/marley/

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今日、道端で「1分だけ手相を見せてください」と声を掛けられた。
相手がいやな感じの人でなかったので、話を聞いてみることにした。
結局、1時間近く立ち話をすることになった。

私は油断しているのか、道端で割とよく声を掛けられる。
外国の街中で、深夜に不思議な(怪しい?)女性に「あなたの魂が泣き叫んでいる」と呼び止められて、
スピリチュアルなカウンセリングを受けるよう何時間も説得されたことさえある。
偶然にも、泣き喚きたいくらい辛い悩みを抱えていたときだったので、正直心が揺れた。
(クラーイ顔してた日本人が、目をつけられただけという可能性も高いけど)
最終的に、わずかだけど、お金がかかることだったし、
「あなたを陥れようとしている人がいる」とか、不安をあおる話し方がいやだったので、丁重に断った。

で、今回の手相を見せてくださいという若い女性も、
最終的には10万円かかる自己啓発サークルを勧められたんだけど。
それって、入会時の10万円以外に、お金をとらないらしいんだけど。
1000円で姓名判断をしてくれると誘われたんだけど、
特に心が動かなかったので、ついていかなかった。

あれ? 危ないですか? 私、騙されやすそうですか?
カモネギってやつですか? これって時間の無駄ですか?
そう、周りの人は「騙されやすそうだから気をつけろ」と私に警告する。
特に私の母は、「宗教」と聞くだけで耳をふさぐような人だったから、
子供のころ、戸別訪問してきた新興宗教団体の人と、インターホンで何十分も長話したり、
資料(しおり、とか)を受け取ったりしても、母には内緒にしていた。
聖書を読むのさえ、こそこそしなきゃいけなかった。

駄目と云われると、というやつか、私は信じる対象を持っている人たちへの興味が強い方だと思う。
彼らの話を聞きたいと思っているので、声を掛けられると立ち止まってしまう。

もちろん無理やり誘われたり、連絡先を聞き出そうとされたりしたら、すぐに立ち去るけど。
彼らが何をしようとしているのか、何を見ているのか知りたい。
万が一、共感できれば、ついていったっていいと思っているのだ。
だけど共に歩いていきたいと思えるようなものには、出会えたことがない。
自分の体に、肌にしっくり来るようなものは、そういう勧誘の中には無かった。
たぶん、勧誘という行為自体が違うよね。
信じられるもの・信じたいものは、本人が必要なときに自然と出会うものだと私は思っている。
私はすでに、自分が信じるものを持っているので(宗教というジャンルじゃないけど)、
別に彼らの話を聞く必要はないかもしれない。
でも、違和感や嫌悪感を感じなければ、まあ、いっとき付き合ってみてもいいじゃぁないか。キミ。
自分の知らないものを信じている人、というだけでなんか魅惑的だ。
それに、自分の考えを試したり、鍛えたりする機会にもなる。
いずれにせよ、私の人生に何かをもたらそうと訪れてくれたゲストなのだ。(たぶんね)

今日、手相を観てくれた人は、とてもよい人たちだった。一生懸命だった。笑顔がよかった。
多分、大学生くらいの女の子と、保育士をやっているという私と同じ年頃の女性。
私と信じてるものも似ていたし、共感できるところも沢山あったから、話してて楽しかった。
何も信じるものがない人よりも、何かをひたむきに信じている人の方が、私にとっては魅力的だ。
たとえ私が彼らと足並みを揃えて歩むことがないとしても、
誰かが、己の信じるものについて一生懸命語ってくれる時間は、貴重なものだと思うのです。
だから私は道端で手相を観てもらう。

「信じる」と「騙される」って、ある程度、おんなじことだよね。

。。 06/18
石神 夏希 06/18
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南タイより

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現在、南タイはパンガー県というところに居ります。
プーケットという有名なビーチリゾートがありますが、
その北、約80キロくらいの場所です。ここも欧米では
有名なビーチリゾートですが、今は雨季とあって、
海がそれほどきれいではないため、外国人はとても
少ないです。

写真もおいおい掲載していきたいと思いますが、
ひとまず、ここでの活動を少しご紹介。

タイの西にはミャンマーという国があります。
軍事政権が政治を掌握している国です。
ミャンマー国内は、いま、失業率がハンパないらしいです。
一日に卵1個食べられる家庭はリッチだそうです。

そんなわけで、ミャンマーからタイには多くの出稼ぎ
労働者が来ています。タイだけで100万、200万、いや
それ以上?とも言われ、実数は把握できていません。
ここパンガー県でも15万人のビルマ人が居ります。
これには合法も違法も含まれていますが、いずれにせよ、
国境を越えて多くの労働者がここタイに来ています。

日本の外国人労働者と同じで、タイの外国人労働者も
人件費が安い、そして3K(きつい、きたない、きけん)の
仕事の従事していることが多く、また労働環境もまだまだ
整備されていません。

建設現場は危険と隣り合わせで、けが人も多いのです。
多くのビルマ人はタイで健康保険証をもっていないことが
多いため、病院にかかると莫大な費用がかかってしまいます。

それでも、亡くなる命を見過ごすわけにはいかないので、
パンガー県を拠点に活動する現地NGOに協力して、病院に
かからないと死んでしまいそうな緊急的なケースに支援を
しています。

背景含めて書くととっても長いですね。
こういった支援を実際に動かしているのは、私と同世代の
若いビルマ人スタッフ。人の生死と関わりながら、24時間体制で
臨んでいます。なんとも頼もしいです。

完全に仕事話になってしまいましたが、こうした状況が世界には
たくさん転がっていることをぜひ知っていただきたく。押し付けに
ならない程度に皆様にお届けできればこれ幸い。

ではでは?。

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こちらの皆さまが、
つやつやよもぎだんごです。

以前、近所のお寺で業界の催し物があったらしく、
路線バスに、大勢のお坊さんが鮨詰めになっていた様子を思い出しました。

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こんにちは。タイで元気でやっています!
昨日、アヒル小屋を建て終えました。

「田舎生活」とか「農業とのふれあい」と呼ぶとなんだか
ゆったりした感じがありますが、実際のところ、生きていく
だけで一日の時間がしっかり終わります。食べる、動く、休む。
これを繰り返していると、大体12時間はあっという間に過ぎます。
12時間しっかり動くと眠たくなるので寝ます。

さて、今の時期、タイはちょうど田植えの時期にあたります。
なので、アヒル小屋だけに集中しているというよりは、色々な仕事を
同時並行的にしながら、時間を見つけてアヒル小屋を建てています。

このアヒル小屋でアヒルを飼って、ゆくゆくは田んぼに放します。
日本では合鴨農法と呼ばれていますが、東南アジアではアヒルが
よく使われます。田んぼに放すと何がいいか・・・

1) 雑草や虫を食べてくれる
2) フンを田んぼに落として肥料になる
3) 足をバタつかせるので空気が田んぼによく入り、稲の生長をうながす

一応、理論的にはこんなメリットがあるとされています。

アヒル小屋、数えてみたら、実質3日間で建て終えました。
時間がかかったのはやはり屋根の作業でした。
今回は、家の廃材をメインに使用したため、どうやら
新しい資材はほとんど使わずに済みました。いわゆる
リサイクルっていうやつですね。

【完成!】
http://www.tmnrsmd.sakura.ne.jp/photos/duckhouse05.jpg

舞台でちょっと悲しくなるのは、バラシといって全公演を
終えて片付けの作業をするときです。大道具をばらした
後の材は、あまり保存できず(保存する場所が確保できて
いない)、捨てることもあります。最近はそれでも廃材を
使ったり、うまく有効活用しています。

たとえば、共同で場所を確保して材を置いておいて、
それをみんなが使いまわすようにできたらいいなぁと
思います。

ちなみにタイの廃材(木材)の最終到達点は薪です。
ここまでリサイクルできると最高ですね。

次回は、バンコクもしくは南部タイに移動してブログを書きます。

すずめの便り 06/14
下田 寛典 06/14
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いよいよ、横濱開港150周年を迎えましたね。
という話題にどれだけの方が反応してくださるか分かりませんが、
まがりなりにも横浜を拠点にしている私たちにとっては、数年前から親しんできた話題です。
「再来年、開港150周年だよね!」とか言ってて、ようやく、この日が来たわけです。

そんなわけで、今日ご紹介する時代劇は、
開港間もない横浜を舞台にした『人魚亭異聞 無法街の素浪人』です。
オープニング映像も横浜港のアップから始まります。
今まさに、時代劇専門チャンネルで放映されていますので、
ケーブルテレビにつないでる方は、すぐにご覧になれますね!

横浜と言っても、JR横浜駅の周りのイメージを思い浮かべるのは間違いです。
山下通りの銀杏並木を透かして、横浜港を望むホテルニューグランドをご存知でしょうか。
マッカーサーやチャップリンも訪れたという老舗のホテルです。もとは外国人専用のホテルでした。
東洋趣味をとりこんだ意匠が、独特の異国情緒をかもし出しています。あの雰囲気が一番近い。
海の向こうへ開かれた、日本一ハイカラな街。それが、『人魚亭異聞?』で描かれる「ヨコハマ」です。

人魚亭というのは、劇中でマダム北小路という美人ママが営むラウンジホテル。
ここで繰り広げられる「水中ショー」が見どころのひとつです。
文字通り「人魚」のような異人が、水中で舞い踊ります。
それを、ちょんまげや日本髪に洋装の日本人たちが見物しているんですね。
刀に交じって、銃弾も乱れ飛ぶ。西部劇の匂いさえ漂うまさに「ハイカラ時代劇」。
主演。三船ダンディ敏郎。
助演。若林ダンディ豪。

若林ダンディ豪演じる準主役「千鳥」という男は、明治維新前は幕府に仕えていたのに、
維新後は新政府の密偵として働いているなど、ダイナミックな歴史の動きも感じさせます。
千鳥はピシッとした辛口な背広にハット。チョッキの胸元には拳銃をひそませています。
これがまた、ボトルとくわえ煙草の似合う、ルパン三世の次元みたいな男前なのです。

肝心の主人公は、三船ダンディ敏郎演じるひとりの素浪人=もと武士。
「人魚亭」の用心棒なのですが、この男が、実は外国帰りなのです。
人呼んで、「ミスターの旦那」
この名前を初めて聞いたとき、シビれました。かっこいい。かっこよすぎます。
着物の襟元に、スカーフを巻いてるスタイルも粋です。
三船敏郎だからこそ、「ミスターの旦那」なんてふざけた名前が、本気でかっこいいのです。

ミスターの旦那と千鳥、ダンディ2人組のファッションセンスだけで二日酔いになりそうです。
そのくらい、色香のある男たちです。
最近、草食系男子とか話題になっているだけ、こういう色香のある男性って少なくなった気がします。

時代劇ファンだけでなく、ヨコハマを愛する人たち、
それからルパン三世とかの雰囲気が好きな人にも、オススメの時代劇です!

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こんにちは。タイにいます。
いま、ラオスとの国境にあるムクダハン県という場所にいます。
ここに親しくしているタイ人の農園があります。

この農園でアヒル小屋を建てています。
このブログでうまく写真がアップできなかったので、別のサイトに
写真をアップしています。ご覧ください。

【1】骨組み作業:所要時間0.5日間
http://www.tmnrsmd.sakura.ne.jp/photos/duckhouse01.jpg

【2】屋根を敷く作業:所要時間:1.0日間
http://www.tmnrsmd.sakura.ne.jp/photos/duckhouse02.jpg

【3】屋根の固定方法:竹をうすくスライスして結んでいます。
http://www.tmnrsmd.sakura.ne.jp/photos/duckhouse03.jpg

【4】屋根からの眺め
http://www.tmnrsmd.sakura.ne.jp/photos/view.jpg

いつも驚かされるのは、タイの農民の技術です。道具や資材が
なくても身の回りにあるものをうまく利用してアレコレ作る知恵と
技術はすごいものがあります。併せて重要なのは、それを実現
する体躯です。自分の身体の貧弱さを思い知らされます。

一応、タイトルを「---(1)」としたので、おそらく(2)もあることでしょう。
待っていてください。

石神 夏希 06/05
yousakana 07/20
下田 07/22
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下ちゃんがタイへ旅立った。
といっても彼にとってはすでに、もうひとつのホームなのかもしれない。
稽古場やミーティングに、成田から直行してくることも少なくない。
(タイでクーデターがあったときは、帰国日になかなか稽古場に現れなくて、みんな焦った)
チャンスがあれば向こうでブログ書くって言っていたけど、
彼が滞在するのはたいてい都市ではなく農村地帯みたいなので、実際どうなるか分からない。
留守の間は残りの3人で盛り上げていきます!!!


最近、「悲しみも煩悩で云う『怒り』の一種だ」という話を読んで、
以来何かにつけそのことを思い出す。
つまり、何かに対して「いやだなあ」とか「遠ざけたいなあ」と思う気持ちが、
仏道における煩悩の『怒』に相当するので、悲しみという感情も、その内に含まれる、そうだ。
(私の理解を限定的に取り出しただけなので、厳密な意味で正しくないのは、ご容赦ください)

その説に則って観察すると、私は随分、『怒』の煩悩が大きいと思う。
それを小さくしたいと年々心がけているのだけど、昔はやたらとトンがっていた。
いやー、ナイフだったよねえ。という感じだ。

そんな自分だから、
最近ある知人が、過去の出来事について話してくれたとき、
その中の『怒』の感情にどうしても敏感になってしまった。

その人は以前、将来を考えていた恋人に「裏切られた」ことを忘れられていなくて、
「そのせいで」酒に溺れた結果、かなりひどい目に遭って、
その際に、つるんでいた友達たちからも「裏切られ」、
以来、すべての友達との縁を切り、ある意味では更正して今に至る。のだけど。

この人は悲しいんだなあと思った。許せていないんだなと思った。
それはつまり、先の話に則れば、『怒』っているということだ。
怒るのって、すごく辛い。胸が痛いし苦しいし、お腹も変な具合になる。
時には頭がサアーッと冷たくなって眩暈がすることもある。視界がぐるぐる回ることもある。
ものすごく体力を消耗する。自分をすり減らす。

で、どうしてそんなに『怒』ってしまうのかといったら、その人が彼らを、
その人を裏切った彼らを本当に信じていたからだと思う。それか、信じていたかった。
だから逆に言えば、この人は、他人を信じてしまいやすいのだ。
他人を愛してしまいやすいのだと思う。
言い換えれば、誰かを愛したい、信じたい人なのだと思う。
だから期待した人に対して、無防備に心の柔らかい部分をさらしてしまって、傷ついてしまう。

そして、その人がまだ『怒』っているのはきっと、その人がまだ誰かを信じたいからだと思う。
誰かを心から愛して、信じたいんだと思う。
結局、「誰も信じられない」という考えは、「誰かを絶対的に信じたい」という考えと同じ軸上にある。

そういう全てを諦めれば、その人はもう『怒』らなくて済むはずだ。
そもそも、愛することと信じることは同じことじゃない。
「愛してるから信じてたのに」って言われても、それは完全な我儘だ。その人の勝手だ。
愛してるけど信じてない、という関係だって勿論成立する。
それなら、裏切られたって『怒』らなくて済む。


私は、傷ついたり『怒』ったりするのは、全部、期待した人の自己責任だと思う。
だけど、その人の「誰かを絶対的に信じたい」って気持ちは、否定したくない。
私も今でも、ちょっとだけそう思っているから。
だけど、自分が誰かを裏切ってしまうように、他の誰かも自分を裏切ってしまうことがある。
「この人は自分を裏切るかも」って思うのは悲しいようだけど、それでも相手を愛することは出来る。
裏切られても別にいいや、って思えないなら、すぐにその場を立ち去ればいい。
自分を傷つける人を、愛し続けなくちゃいけない理由も別に無い。
常に、選択の自由はある。たいていの場合は。
自分の気持ちは自分ではどうにもならないもの、って思い込むから、悲劇になってしまう。
怒ったり怒らなかったりする選択の自由が自分にはある、と分かるところから、自己責任が始まる。
というのが私の考えです。

何より、一番深刻なことは、
悲しみや怒りのナイフは、他人じゃなくて本当は自分を傷つけているのだ。
自分を傷つけることが、結果的に他人を傷つけるのだ。
だから、その人にも、出来るだけ早く、そのナイフを捨ててもらいたい。
私はそのために、何もしてあげられない。自己責任だからね。
でも、その人が私にこの話をしたのは、私がその人にちょっぴり裏切られたとき、
何も変わらなかったからじゃないか、と思う。

こんなこと言うとキモいけど、ナイフな私は、ペピンの仲間たちにちょっと変えてもらったと思っている。
だからたとえ自己責任でも、やっぱり誰かが居てくれると、力になることもあるんだろうと思う。
相手が居れば、愛することと、信じることの練習が出来るから。
「愛する人を信じること」じゃないよ。愛することと、信じること。別々。


そんな感じで、今も懐にドス、じゃなかった、ナイフを呑んでいる人たちへ。
そのナイフを捨てるように、せめてそれで自分を傷つけることのないように、心から願っています。
私は、あなたのナイフに関係ないけどさ。
関係なくても、願ったっていいでしょ。私の勝手でしょ。カラスの勝手でしょ。カアカア。

知子 06/07
石神 夏希 06/08
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