2010年8月アーカイブ


夏のポエム

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今日、過去に送付した公演案内を閲覧していたら

2004年『ポエムの獣』のお知らせで、自分が

お客さん全員に自作の詩を送りつけていたのでびっくりしました。


どうやら、「恥ずかしい私」という作品テーマにちなんで、そんなことをしたようです。

大胆ですね、2004年の私。

でも詩を書いて送るのが恥ずかしいあたり、まだ青いですね。


ちょうど、季節柄ぴったりだと思うので、こちらにも載せます。

夏のポエム。


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「夏」

私は長い間バスに揺られていた。稲妻に脱色された空はゆっくりと乾いて、青ぶくれの夏が隣に座った。青ぶくれは私に「ほくろを数えろ」と言った。ぶくぶくと膨れてまことに気味の悪い顔だ。バスが揺れ、数えるたびにほくろの数は変わるので、私は「どうしようもない」と言った。

 

青ぶくれは運転士に「左に曲がってパーキング」と言った。けれどもバスがパーキングに止まるわけはない。私はずいぶん急いでバスから降りたのだけれど、青ぶくれはついてきてしまった。

 

夕飯の時間、青ぶくれがうるさく話しかけるので箸で口をつまんでやった。

風呂の時間、青ぶくれが窓からのぞいていけないので目玉に石鹸を塗りつけてやった。

寝る時間になっても青ぶくれがうるさいので、ベランダに締め出してやった。

青ぶくれはガラスのむこうでむくむく膨れたほっぺたに涙を流した。

 

その晩は雨が降った。

夢の中で青ぶくれが雷の音におびえて泣いていた。

ほくろはみんな、雨に流されてきれいになくなってしまった。

 

朝、目が覚めると、ベランダにもくもく膨らんだ青ぶくれの夏がいた。

布団のうえから青ぶくれが私を踏みつぶした。

万力のように私を押しつぶした青ぶくれの体温はまことに高かった。

青ぶくれは私に「ほくろを数えろ」と言った。

どうしようもない。

私は泣いてしまった。

 

ほくろがあるのではありません。それは

鉛筆の芯がささったまま大人になってしまっただけですよ。

それはただの夏の思い出ですよ。

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悲しい話

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全然書かなさすぎて、誰かまだ見てくれているのか、なぞです。
あれですね、やっぱりツイッター書いてるせいですかね。
でも、最近思うけど、ツイッター書くからブログ書かないっていうのは変なリクツな気がします。
だって全然、書くものが違うからね。

だからブログを更新していなかったのは、単に忘れていただけです。
どなたか、思い出して見てくださる方がいることを願います。

気づいたらもう来週末が本番!
http://pepin.jp/stage/multimedia/

まあ、来週末が本番と思うと、
たいてい「ぎゃー」とかですね、感想は。
でも今回は、「ぎゃー」とも思うのだけど、とても寂しい気がする。
そうかもう2週間くらいで終わってしまうのかと思うと、名残惜しいです。

それは多分、今回のチームが私とても好きで
あとこのお芝居が、とても自分自身の核にかかわっているからだと思う。
このお芝居を、一番必要としているのは自分かもしれないと思う。

ストーリーそのものは、私個人とはあまり関係ないのだけど
(再演だし、2003年初演時の事情はぜんぜん持ち越していないから)
そこにある「悲しさ」が、自分にとって今とても大切で。

今回は書く前から、悲しいお話になるだろうと思ったんだけど、
その悲しさは、自分や、できたら他の誰か(お客さん)を
癒すものになればいいと思っていました。
そんなのギリシア悲劇の昔から、変わらないことかもしれないけど
悲しいお話が人を癒すということが、ようやく腹に落ちた気がしています。最近。

で多分、一番癒されるのが私なんだろうな。
「癒される」というのは、「受け容れる」とか「理解する」とかとほぼ同意義で
何かを噛み砕いて呑みこむために、物語はあるんだろうなと思います。
それはやっぱり、世界ってどうしてこぉなっちゃってんだよ(岡村ちゃん)という訳分からなさがあって
それとなんとか折り合いをつけて、明日もちゃんと目を開けて誰かと言葉を交わそうという、
そういう決意と力を手に入れるためだと思います。

たとえば「失恋」は、恋を失うと書きますが、
別れたときではなくて、相手を好きじゃなくなったときが本当の失恋だと思います。
私は、大好きな人の顔も、恋が終わるとすぐに忘れてしまいます。
そのことに自分で悲しくなります。
すごく好きで、すごく幸せだったはずなのに
その気持ちもぜんぜん思い出せなくなります。

まだ好きで、忘れられないなら、それは失っていないと思います。
それは辛いかもしれないけど、悲しいのとは違う気がする。
本当に悲しいのは、思い出せないことだと思います。
戻れないのは自分。
取り戻せないのも自分。

今回の『マルチメディア』は、忘れてしまった愛しいもののお話です。

たぶんこれから、もっと忘れっぽくなるんだろうし
覚えていることより忘れたことの方が多くなっていくんだろうけれど(今もか)
そうやってどんどん先へ進んでしまう自分がたくましくて悲しいです。
だけどそうやって生きていくんだろうと思います。

アゴラのセミ 08/17
石神 夏希 08/17
hibiki-c 08/18
石神 夏希 08/19
さちこ 08/22
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 ちょっと(かなり)遅くなりましたが、「あの日の俺のマルチメディア」を
お届けします。

 直感的にマルチメディアというと、小学生のときに初めて行った横浜の
ヨドバシカメラと、そこで買ったビデオデッキを思い出す。

 私の実家は鎌倉で、月に1度くらい親に連れられて横浜に行っていた。
家族の休日のちょっと贅沢な過ごし方は横浜での一日だった。

 鎌倉にはマルイや高島屋のようなデパートはないし、大型家電量販店
もない。鎌倉は商店街とちょっとしたスーパーがあるだけだったから、
横浜の「都会っぽさ」に刺激を受けた。

 小学生のとき、父親に連れられてビデオデッキを買いにヨドバシカメラ
に行った。

 ずら??っと並んだビデオデッキ。他のフロアにはスピーカーやら
オーディオアンプやらがあった。とにかく、フロアはやたらにぎやかで、
自分には分からない横文字をしゃべる大人たちがいた。

 あの機械に囲まれた状況が、なんだか「マルチメディア」を感じさせて
くれたように思う。機械に対する漠然としたあこがれもあったのだと思う。

 でかいダンボールに入ったビデオデッキを片手に父親と帰宅した。
テレビの裏側にケーブルを差し込んだりしていて、何をやっているのか
さっぱり分からなかったけれど、赤白黄色のケーブルにかっこよさを感じ
たし、テレビとビデオデッキがつながっていく様子は、何か新しいものの
登場をおおいに期待させた。

 最初に見たビデオは確か、「サウンドオブミュージック」だった。普段から
テレビを見ていたから、ビデオで映像が流れたって大したことはないはず
なのに、すごく興奮した。ビデオにカセットが吸い込まれていくのがすごかった。
テレビを入力切替して、真っ暗な画面の中で、再生ボタンを押したらカラーの
映像が流れていくのがとにかくすごかった。

 表現力が乏しくて「すごい」しか言えなかったけれど、あの興奮には、
確かに手ごたえがあった。

 ビデオデッキの登場は、私にとってのマルチメディアだった。

Wholesale Galvanni 09/06
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