2011年1月アーカイブ


今回の公演『お母さんしかいない国』は男性4名が演じるお芝居で、
息子とお母さんとの関係性がテーマになっています。
そのため、彼ら自身のお母さんについて色々とヒアリングをしたのですが
ここでそれを勝手に暴露するわけにはいかないし、
正直よく分からないところも多いので、私自身のお母さんの話をします。

といっても、私は女性で、いずれ母になり得るということ含め
彼らにとっての「お母さん」という存在とは少し感覚が違うかもしれません。

20代の半ばまで、私にとって母親は、世界中でたったひとりだけ他の人間と違う人でした。
他の人は(突き詰めれば)他人だが、母だけは他人ではない、という考えでした。
母だけはちゃんと繋がっている、連鎖しているという感覚がありました。
「私が母を守らなくては」とずっと思っていました。

会社員をやっていた頃、東京でひとり暮らしをしていました。
とてもいい会社でしたが、生来の、自分を追い詰める性格が災いして
最終的に病気になって仕事をやめたのですが
ある日、もうほんとに限界!というときが来ました。
(実際は、その限界から更に半年くらい働いていましたが)

その日、会社のトイレから出られなくなって、母にメールをしました。
母は私のアパートの最寄り駅で、早退した私を待っていました。
母は普段、ひとりで電車に乗ることもめったにないのに、突然やってきたのです。
いつも思うのですが、東京の街中で見ると、母はすごく小さいです。

そのとき、母は初めて私のアパートを訪れたのですが
私の部屋にはテレビがありませんでした。
忙しすぎたし、自分の生活にはテレビは要らないと思っていたからです。
でも母は「テレビがないなんて寂しすぎる」といって
そのままタクシーで秋葉原の石丸電気に行って、テレビを買ってくれました。

安い中華料理屋に入って、一緒にご飯を食べましたが、
せっかく母が遠くまで来てくれたのに、
何がしんどかったとか、何に悩んでるとか、ひとつも話せませんでした。

私のベッドの横に布団を敷いて、2人でベッドに腰掛けて
柿の種を食べながら一緒にテレビを観ました。

その半年ほど後、私は実家に戻って会社も辞めたのですが
いざ、何もすることがなくなって毎日を家で過ごしてみると
母が一日のうちいかに長い時間テレビの前に座っているか、
ということに愕然としました。

垂れ流しではなく、ちゃんとテレビの正面に座って、
他に何もしないで、ただ観ているのです。そして、ときどき居眠りします。
さらに、たくさんの番組をDVDに録画して、観たい番組がないときに、
録り溜めたクイズ番組などをよく観ていました。
録画した番組が多くなりすぎて追いつかず、
もう眠いのに、無理して夜更かしして観ているときもありました。

何故だかわからないけれど、私はテレビを観ている母の隣に
できるだけ長く居てあげなくてはという気がして、
毎日一緒に、朝から晩までテレビの前にいました。
(実際には手元のPCのモニターを見ていましたが)

少なくとも半年くらいは、そうやって毎日を過ごしていました。
そんなにテレビばっかり観ていたなんて、なんて無駄な時間を過ごしてたんだ!
と、忙しく働く皆さんには叱られるかもしれません。
時間がもったいない!と思われるかもしれません。
ただそのときの私には、「テレビがないなんて寂しすぎる」と言った母の
その寂しさを埋めてあげることが出来ず、ただ隣に座って、
一日中、一緒にテレビを観ているフリをしていることしか、
切実なことがなかったのです。

(ちなみにこの頃、たくさん時代劇ドラマを観たので
あとで『捕物』という時代劇をモチーフにしたお芝居を書きました)

今日はここまでにしますが、
また母の話を書きます。
おやすみなさい。

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松の内も過ぎてしまいましたが、
あけましておめでとうございます。

あまりにも長いこと、ここに来ていなかったので
なんだか草ぼうぼうの廃墟に来たような気分です。
でも今、ブログでやろうと思っている新しい企画があるので
もしそれが始まったら、ここもまた草ぼうぼうなりに賑わってくるかと思います。
今日、そのための「仕事道具」を買いました。

それはそうと、2月初旬に新作の公演があります。
『お母さんしかいない国』というお芝居で、
以前からずっと興味を持っている「お母さん性」について書きました。

そのあたりの話も、またブログに書きますね。
って今日は予告ばかりです。

2010年は、本当に大変な年でした。
正確に言うと、2009年の下半期くらいからずっと
人生の修行のような時間を過ごしていました。
じゃあ今修行は終わったのか、というと、
まだ修行しきって雲の上に出た感じはしないので、まだまだですね。
2009年の後半に、仙人に弟子入りしたとしたら、
いま仙人の便所掃除やらせてもらえるようになったあたりですね。

でも少しずつ、春の訪れを気配で感じています。
それはちょうど、そうですね、背後の山の端からお日さまが出てきて
直接太陽を見ることはできないし、背中に日差しが当たって暖かくなるのはまだ先なんだけど、
自分の立っている地面が照らされて、あたりが明るくなってきたような感じです。

まだ空気はピンと冷たいのに、
もう「初春」といって春の目覚めを信じる、今の季節に似ています。

朝ぼらけ 有明の月と みるまでに
吉野の里に ふれる白雪

っていう歌が、高校生のとき国語の教科書に載っていて
現代文の授業だったんだけど、時々この歌のページを開いては、
そんな白くて寒くて明るい朝を思い浮かべて、
とても楽しい気持ちになった。
張り替えたばかりの障子紙みたいな気持ち。


今日はもう寝ないといけないんです。
でも今、書きたいことがたくさんあるような気がしています。
ずっと、長い間、何を言えばいいかわからなかった。
そんな気持ちに少しずつ言葉が追いついてきたようです。
本年も、ペピン結構設計をどうぞよろしくお願いします。

Wholesale Galvanni 09/06
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