「わからない物語」のこと

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お久しぶりです。石神です。

かなり今さらなのですが『お母さんしかいない国』の舞台写真を
こちらで紹介しておこうと思います。(ほんとに今さら...)

次へ行く前の、まとめと、御礼をかねて。
ご来場くださった皆さま、応援して下さった皆さま、
お手伝いしてくださった皆さま。
いつもながら本当にありがとうございます。

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さらに今回は、「巡演」と銘打ちまして
劇場であるSTスポット以外にも3ヶ所の「家」で、上演を試みました。
それぞれ、会場に合わせて脚本を編集し、展開もオチも少しずつ違う上演でした。

巡演1:「三田の家」
田町の商店街の中にある古民家を利用したオープンキャンパス。
キッチンを利用し、お客様にはリビングに座って観ていただきました。
終演後は、みんなでご飯を食べながら「お母さん」についてお話しました。

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巡演2:「智ちゃん家」
都内で女の子がひとりで暮らすワンルームマンション。
ベッドルームを客席に、キャパ8名という極小公演。
男4人がバスルームから現れては小さなキッチンで
所狭しとお母さんごっこをするという、エキセントリックな上演になりました。

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巡演3:「バウハウス高円寺」 ※写真が準備できていなくて、すみません。
こちらは、8人住まいのシェアハウスで、
共用スペースであるダイニングキッチンとリビングをお借りして
住人の皆さん+一般のお客さま混在で観ていただきました。
そこに住んでいる人と、住んでいない人とでは、当然ながら見え方も
空間の捉え方も、違ったようで。
ここでも終演後は、みんなでご飯を食べながら歓談。

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で、掲題の「わからない物語」のこと。

「お母さん」のお芝居をやってみて、思ったことは
共感できるところと、できないところが、こんなにもハッキリ出るんだなと。
お母さんって、普遍的なテーマだけど、とてもとても個人的な体験だから。
ざっくりでは、男女で結構反応が大きく違ったようでした。もちろん、人それぞれですが。

そして、お芝居が終わってから改めて、つくづく気づかされたのは、
「これは、私のお母さんの物語じゃなかった」ということです。
身も蓋もない言い方なんですが、私には共感できない物語だった。
そしてこのお芝居は、そこからスタートしてもいました。
ずっと舞台の上にあった「わからない」という言葉、です。

ペピンでは割といつもそうなんですが、
役者さんにまずお話をたくさん聞いて、彼らの語ることからテーマを抽出し、
それについてさらにみんなと話し合ったり、作文を書いてもらったりしながら
エピソードを拾い上げ、編み上げていくような手法をとることが多いです。

今回は、かなり初期の段階から、
個々人のお母さんという物語の「共有できなさ」と
「お母さんのことはわからない」ということが、無視できない明らかさで顕われました。

ほんと、「わからない」ってことなんだ。と思いました。
お母さんの気持ちもわからないし、他のメンバーのお母さんについての体験も共有できない。
深く話せば話すほど、「わかるわかる」ということは減っていって
「何それ、全然わかんない」ということばかりが、目の前に積み上がっていきました。

そういう作業の中で、私にとって手がかりになったのは
「隣にいる他人への無理解と、無理解の上に立つ愛情」ということだけでした。
ただ、わからない、ということだけが私にとってリアルなことでした。

このお芝居を見て、共感してくれた人もいたようだし、
全然共感できないといって、がっかりしていた人もいたようでした。
それで何が悪いんだと、無責任な言い方かもしれませんが、思います。
どちらの感想でも、どんな感想でも、応えてくれたことが嬉しいです。
「おーい」と呼びかけて、誰かが「おーい」と応えてくれることほど
確かなことはないと思う、というか、それが全てだよねえ。

物語って、共有できないと、物語にならないけれど。
共有できないっていうメタでギリギリ私たちは手をつなぐ、っていう
それはもう限界なのかな、陳腐なのかな。
そう思い迷いながら、私個人がここ数年、いつも着地してしまうのは
「わからない物語」という物語、あるいは愛。でした。
愛。ってなあ。でも、愛としか言いようないだろう。例のアレは。

『お母さんしかいない国』も、ささやかながら
そんな「わからない物語」のひとつでした。

「大きな物語は失われた」という大きな物語があったよね、
と書いていた人がいて、ああそう、とぼんやり思いながら、
3月11日の後の日々を暮らしています。
いま、たくさんの人たちが「誰かの痛みがわからない」ということの
深い深い断裂の上で手をつなごうと、いっしょうけんめい腕を伸ばしている。
不完全さという完全さを振りかざして、わかった気になりたかったのは
私だったのかもしれないです。

「わかる」という物語のことを、考え始めています。
いやみんな考えてきたんだよね。これまでも、いっしょうけんめい。
ごめんよ、私も考えるよ。これから、いっしょうけんめい。
「わかる」ように、やってみるよ。
そんな、つぎはぎだらけの物語を作ってみたい。

やっとこれだけ言えるようになって、風薫る5月が来ちゃったよ。ばかやろう。
そっちはどうだい。

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