石神 夏希 による最近のブログ記事


夏のポエム

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今日、過去に送付した公演案内を閲覧していたら

2004年『ポエムの獣』のお知らせで、自分が

お客さん全員に自作の詩を送りつけていたのでびっくりしました。


どうやら、「恥ずかしい私」という作品テーマにちなんで、そんなことをしたようです。

大胆ですね、2004年の私。

でも詩を書いて送るのが恥ずかしいあたり、まだ青いですね。


ちょうど、季節柄ぴったりだと思うので、こちらにも載せます。

夏のポエム。


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「夏」

私は長い間バスに揺られていた。稲妻に脱色された空はゆっくりと乾いて、青ぶくれの夏が隣に座った。青ぶくれは私に「ほくろを数えろ」と言った。ぶくぶくと膨れてまことに気味の悪い顔だ。バスが揺れ、数えるたびにほくろの数は変わるので、私は「どうしようもない」と言った。

 

青ぶくれは運転士に「左に曲がってパーキング」と言った。けれどもバスがパーキングに止まるわけはない。私はずいぶん急いでバスから降りたのだけれど、青ぶくれはついてきてしまった。

 

夕飯の時間、青ぶくれがうるさく話しかけるので箸で口をつまんでやった。

風呂の時間、青ぶくれが窓からのぞいていけないので目玉に石鹸を塗りつけてやった。

寝る時間になっても青ぶくれがうるさいので、ベランダに締め出してやった。

青ぶくれはガラスのむこうでむくむく膨れたほっぺたに涙を流した。

 

その晩は雨が降った。

夢の中で青ぶくれが雷の音におびえて泣いていた。

ほくろはみんな、雨に流されてきれいになくなってしまった。

 

朝、目が覚めると、ベランダにもくもく膨らんだ青ぶくれの夏がいた。

布団のうえから青ぶくれが私を踏みつぶした。

万力のように私を押しつぶした青ぶくれの体温はまことに高かった。

青ぶくれは私に「ほくろを数えろ」と言った。

どうしようもない。

私は泣いてしまった。

 

ほくろがあるのではありません。それは

鉛筆の芯がささったまま大人になってしまっただけですよ。

それはただの夏の思い出ですよ。

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悲しい話

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全然書かなさすぎて、誰かまだ見てくれているのか、なぞです。
あれですね、やっぱりツイッター書いてるせいですかね。
でも、最近思うけど、ツイッター書くからブログ書かないっていうのは変なリクツな気がします。
だって全然、書くものが違うからね。

だからブログを更新していなかったのは、単に忘れていただけです。
どなたか、思い出して見てくださる方がいることを願います。

気づいたらもう来週末が本番!
http://pepin.jp/stage/multimedia/

まあ、来週末が本番と思うと、
たいてい「ぎゃー」とかですね、感想は。
でも今回は、「ぎゃー」とも思うのだけど、とても寂しい気がする。
そうかもう2週間くらいで終わってしまうのかと思うと、名残惜しいです。

それは多分、今回のチームが私とても好きで
あとこのお芝居が、とても自分自身の核にかかわっているからだと思う。
このお芝居を、一番必要としているのは自分かもしれないと思う。

ストーリーそのものは、私個人とはあまり関係ないのだけど
(再演だし、2003年初演時の事情はぜんぜん持ち越していないから)
そこにある「悲しさ」が、自分にとって今とても大切で。

今回は書く前から、悲しいお話になるだろうと思ったんだけど、
その悲しさは、自分や、できたら他の誰か(お客さん)を
癒すものになればいいと思っていました。
そんなのギリシア悲劇の昔から、変わらないことかもしれないけど
悲しいお話が人を癒すということが、ようやく腹に落ちた気がしています。最近。

で多分、一番癒されるのが私なんだろうな。
「癒される」というのは、「受け容れる」とか「理解する」とかとほぼ同意義で
何かを噛み砕いて呑みこむために、物語はあるんだろうなと思います。
それはやっぱり、世界ってどうしてこぉなっちゃってんだよ(岡村ちゃん)という訳分からなさがあって
それとなんとか折り合いをつけて、明日もちゃんと目を開けて誰かと言葉を交わそうという、
そういう決意と力を手に入れるためだと思います。

たとえば「失恋」は、恋を失うと書きますが、
別れたときではなくて、相手を好きじゃなくなったときが本当の失恋だと思います。
私は、大好きな人の顔も、恋が終わるとすぐに忘れてしまいます。
そのことに自分で悲しくなります。
すごく好きで、すごく幸せだったはずなのに
その気持ちもぜんぜん思い出せなくなります。

まだ好きで、忘れられないなら、それは失っていないと思います。
それは辛いかもしれないけど、悲しいのとは違う気がする。
本当に悲しいのは、思い出せないことだと思います。
戻れないのは自分。
取り戻せないのも自分。

今回の『マルチメディア』は、忘れてしまった愛しいもののお話です。

たぶんこれから、もっと忘れっぽくなるんだろうし
覚えていることより忘れたことの方が多くなっていくんだろうけれど(今もか)
そうやってどんどん先へ進んでしまう自分がたくましくて悲しいです。
だけどそうやって生きていくんだろうと思います。

アゴラのセミ 08/17
石神 夏希 08/17
hibiki-c 08/18
石神 夏希 08/19
さちこ 08/22
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ペピンでは、作品づくりの過程で、よく役者さんやスタッフさんに作文を書いてもらいます。
今回、自分にとって「マルチメディア」という言葉から思い出す記憶について、書いてもらっています。

題して、『あの日の俺のマルチメディア』。
というわけで、私もここで作文を書いてみようと思います。

「マルチメディア」という言葉を聞いて、私がつい思い出しちゃうのは
七色の光です。

無意識のうちに言葉と結びついてしまった記憶、というのがあります。
たとえば
私は「主婦」と聞いて思い出すダイニングキッチンのイメージがあるのですが
どういうわけかそれが、幼馴染の「ゆきちゃん」の家のキッチンだということに
つい先月気がつきました。
小学校3年のときに引っ越していったゆきちゃんの家のダイニングキッチン。
確かにゆきちゃんのお母さんは主婦だったけど、でもゆきちゃんの家族はそこには居ない。
ただ白いスチールラックが掛かったキッチンと、ダイニングテーブルの風景を思い出します。
全然ゆきちゃんのお母さんと関係のない、たとえば「主婦のお小遣い稼ぎ」とかって言葉を聞いただけで
その場所の景色が思い浮かびます。

閑話休題。
「マルチメディア」の七色の光は、プリズムを通った光みたいな虹。
生まれて初めて見た、CDの裏側。
水たまりに浮かんだガソリン。
大事に抽斗にしまったままだったオーロラ折り紙

というか、オーロラ。(死ぬまでに絶対に見に行きたい)
LSDをやった人が見る幻覚。(この映像はイメージです)
秋葉原の、電気街のネオン。(マルチメディアの近くに戻ってきた)
サトームセンやオノデン、石丸電機のCMで、
背景をビュンビュン光が流れていきますよね?
あんな感じ。

と思ってYouTubeで確認してみたら、
まったくそんな光は入ってませんでした。まったく。
記憶ってほんとにいい加減だ。

これは、以前に部屋の窓からみつけた二重の虹。

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子供の頃読んだ、『にじにのるおとこ』という絵本を思い出します。
世界の始めの頃、ひとりぼっちの男が、流した涙を集めて投げて
空にかかった虹に乗って、"向こう側"へ行き、ともだちに出会うという話です。
(たしか)

Somewhere over the rainbow, way up high
There's a land that I heard of once in a lullaby

初演『マルチメディア』には、「マルチメディア・ランド」というテーマパークが出てきます。
「マルチ」という言葉は、たくさんの、とか複数の、とかって意味だそうだけれど
どこか私にとっては「すべて」とか「完全な」とか
「多」よりは「全」というイメージがあるようです。
というか、「多」であって「全」。「一であって全」とは違うかも。
必ずしも、一つの全き宇宙じゃないのです。
そこには私とあなたがいて、こちら側とあちら側があって、此処と、此処ではない何処かがある。
虹色の光のイメージも、どこか超越的なものや体験と結びついているように思います。
彼岸であり、未知の世界であり、届こうとして届かなくて、それでも届きたい場所。
もしかしたら、特定の時代の、特定の社会だけの限定的なイメージかもしれないけれど
私が子供の頃聞いた「マルチメディア」という言葉には、そんな憧れが結びついている気がするのです。
オーバー・ザ・レインボー。

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That's where you'll find me... てなもんだこりゃ。


今後、ペピンメンバーを中心に
できたら役者さんやスタッフさんの作文も、こちらで紹介していきたいと思います。
お楽しみに。

さちこ 07/04
石神 夏希 07/11
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以前にも同じようなことを書いたんだけど、
同じネックレスをまた失くして、そしてまた発見した。
正確に言うと、前回(紛失1回目)ブログに書いたときから今回までの間に
さらに一度失くしている。実に3回目です。

2回目は、自然に糸が切れてペンダントトップだけ紛失したのだけど
(↑前回記事の写真にある、金の円の部分)
排水した後のバスタブの中で、奇跡的に流れずにいたのを発見したのです。
それ以降、切れにくい金のチェーンに替えて、身につけていたのですが。

もう今度は、「みつからなくてもいいや」と思ったのです。
とても気に入っているし、自分にとって特別な意味を持っているネックレスでした。
贈り物とかではなく、自分で選んで自分のために手に入れたものだし、
ある意味、自分の心の中心を、象徴的に首からかけているような。
だけど今回は、失くしたというより、ネックレスが自分でいなくなったのかな、と思って。
人でも、ありますよね。自然と縁が切れるというか。別のところへ流れていく。
潮時というか、何か別のものをみつけたり、手に入れたりするタイミングなのかな、と思って。

前回(2回目)、糸が切れて紛失したときも、
偶然にしては出来すぎたようなタイミングで、他にも色々と失くした日だったのです。
そのくせ、ブラックホールのような喪失感の中から、
こいつだけが生還したのは、何かしら意味深い気がしたのでした。
迷信とか、ジンクスとか、あまり信じないんだけど
生活の中で起きるシンクロニシティはわりと信じる方です。
で、さっぱり生まれ変わるというより、自分にとってこれはまだ学ぶことがあるんだなと、
腰を据えてしっかりこの課題に向き合っていこうと思って、チェーンに替えたのでした。

で今回失くしたので、これはそろそろ卒業かな? なんて思っていました。
ところがまた還ってきた(まだ手元には届いていないのですが、発見してくれた人がいた)ので、
そう簡単には、終われないようです。
だけど今回紛失して、「失くしてもいいや」と思えたのは2回目からの大きな変化で、
あまり執着していないとか、流れを受け容れるとか、そういう状態になっているのかもしれない。

ペピン初期の『蜜の味』というお芝居で
「失くしものなんて、これからまだまだいっぱい失くすのに。」という台詞があったり
ペピンのお芝居は、いつも誰かがいなくなるお話だよね、と言われたりするのですが
自分にとって「失くしもの」というテーマ、さらにいえば、
「生活という営みを続ける中で、失くしものとどう折り合っていくか」という問題は
結構デカイです。結局ずっとそれを考えているかもしれない。
それは、死んじゃった犬とか、もう全然好きじゃない初恋の人とか、
外国の寝台列車に忘れてきたパジャマとかも、全部。

喪失感というのがいつも先にあって、
その上で夢を見たり恋をしたりご飯を食べたりしている。という気がする。
もう思春期から、もしかしたら子供の頃から、ずっと。
それが幸せかどうかを考えることが出来ないくらい、当たり前になってしまっている。
だから何かを失くしたときはいつも、「ああ、また」と思う。
またこの感じだ、とか、この感覚知ってるよ、って思うんだけど、
それは喜びとか満足とかよりずっと馴染み深くて、自分の中心に戻ってきたよって感じがするんだ。
そのくせ毎度、けっこう悲しいんだけど。
あ、このペンダントの金の輪っかも、真ん中が空洞ですね。
皆さんはどうですか?
失くしものには慣れてますか?

「ポケットの中にはビスケットがひとつ、ポケットをたたくとビスケットが2つ」
という歌があるけど、なんかビスケットって幸せみたいなもののこと、という気がしていて、
だけど実はポケットに穴があいてて、ビスケットのかけらがぼろぼろこぼれ落ちている気がするんだ。
ビスケットをたたいて増やして、そのたびに穴からこぼれて落ちていくものがある。
こぼれていくビスケットのかけらは、しょうがないじゃん、とはまだ言えなくて。
まだ、というか、いずれ言えるようになるとも思えなくて。

「何も失くしてない」という境地に至る、みたいなことが答えなのかな。
失くしたと思ったら還ってくる、このペンダントは
「失くすけど、大丈夫」って伝えてきてるような気もする。
失くした、というのがオチじゃない。
喪失感は喪失感のままで、だけどいずれ、ちゃんと還ってくるから。そんなことを。

この感じが、消えてなくなることもいつかあるのかな。全然、想像つかないや。

石神 夏希 05/24
。。 05/24
さちこ 05/30
あずき 05/30
石神 夏希 06/01
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ものもらいになった。

空に散らばる星の間に、線を引いて、
何かの絵姿を浮かび上がらせるような。
私は「運命」は信じないけれども、
いくつかの偶然の間に、大きな意思を感じることがあります。
それを解き明かしたい、という衝動にも駆られます。

今は、自分の人生というか生活に
人とのご縁含めて、色んな新しい風が吹いていて
失敗も多いんだけど、なんか展開が速い。

イメージとしては、変なたとえなんだけど
空港の出発ロビーで、搭乗30分前に
急いでお土産を買って回ってる感じ?笑

待ち時間であると同時に、何か今いる場所から持って行くものを
限られた時間で取捨選択しなくちゃならなくて、駆けずり回っている。
あの人にはこれ、自分のためにはこれ。この土地の思い出に相応しいのはこれ。
焦って変な土産物を手に取っちゃうこともあれば、思わぬ宝物を発見することもある。
でも、もうそんなに沢山は持っていけないし、予算も限られてる。
搭乗時間を知らせるアナウンスが聞こえている。
しかも乗るのは帰国の便ではなくて、次のポイントへの新しい出発という感じなのです。

で、いよいよテイクオフ!ってなったら
実は乗っていたのが鈍行列車でした、てなこともあるかもしれないけれど。
気持ちとしては、ばびゅーんと雲を突き抜けて、
これまでいた場所を俯瞰で見ることになるのだろう、と。

そんな調子の5月は、だから多分すごく忙しくて、
疲れてものもらいにもなるし、だけど次へ持って行きたい宝物が沢山みつかるだろう。
そんな気がしています。

だから5月は好きさ。

.. 05/11
石神 夏希 05/12
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春デート

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私は夏が好きです。多分、名前のせいではなくて
白黒はっきりくっきりしている感じが好きなのです。
夏は日差しが強くて、影が濃くなるし、
まぶしくて暑くて考える前に汗がどんどん出てしまうのもいい。

何が言いたいかというと、春がきらいだという話です。
もう春なんて、もやもやして、胸のあたりに霞がかかって重たくて、むずむずして、
そのくせ桃の花がきれいで、ぼんやり眺めているうちに真綿で首を絞められて
気づいたら息止まっていました。みたいな
はっきりしなくて、「も」行の多い感じが、すごくイヤだ!!!
やりきれない、やる瀬ない。というのは、こういう気分を言うのだろう、と思う。
そりゃ猫も、夜っぴてニャンニャン遣らないではいられないだろう。

泉鏡花の『春昼・春昼後刻』の中で、
この春の苦しい感じについて、非常に的確な描写がありますので
共感する、という方はぜひご読んでみてください。

そして本題なのですが、
今週末、次回公演の出演者さん&スタッフさんとの出会いを目的とした
ワークショップを開催します。
未経験の方も歓迎します。
※出演、公演参加を希望されない方の参加も可能です。

● ● ● ● ●

『昭和が夢見た素敵なサムシングを探しに行くワークショップ』
詳細は、以下のチラシをご覧ください。↓
http://pepin.jp/pepinWS2010.pdf

※予定人数を上回るご応募をいただいたため、締め切らせていただきました。(4/30)
お申し込みいただいた皆さま、どうもありがとうございました!
いっぱいになってしまい、ご参加いただけなかった方、申し訳ありませんでした。
お会いできなくて残念です・・・よろしければ是非また次の機会に、
参加をご検討いただければ幸いです。今後ともよろしくお願いいたします。


【開催概要】
ワークショップでは、チームで行うメニューを中心に上演台本をベースにした
簡単な創作も行います。このWSはいわゆる「オーディション」というより、
「お付き合いを前提としたデート」のようなもの。

1日を一緒に過ごして、お互いをよりよく知り合える時間にしたいと思います。
ちょっとでも「ときめき」を感じた方は、どうぞペピンに会いに来てみてください。

【日時】 2010年5月2日(日) 11時-17時
【会場】 急な坂スタジオ
【料金】 500円

【参加対象】
・2010年8月再演『マルチメディア』(2003年初演)への出演を前提とした参加
※出演を希望しないが、WSに参加したいという方はお申出ください
・役者未経験の方も可/性別・年齢不問

【歓迎します】
平成生まれの方 / 昭和生まれの方 / ペピン結構設計の公演を観たことのある方
横浜で演劇活動をしている方 / 演劇以外のアート、創作活動に携わっている方

【お申込み方法】
宛先:info@pepin.jp
件名を「ペピンワークショップ申込み」として
下記項目を明記の上、宛先までお送りください。
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・お名前 ・年齢 ・所属 ・電話番号 ・メールアドレス
・ペピン作品の観劇経験 ・応募動機(簡単なもので結構です)
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次回は、こまばアゴラ劇場「夏のサミット」参加作品で
2003年に横浜STスポットで上演した『マルチメディア』という作品の再演です。
簡単な公演の紹介がペピンwebでご覧になれます。
(TOP→これまでの公演)
http://pepin.jp/

【初演あらすじ】
寂れた商店街で古い映画館が取り壊され、「マルチメディアランド」が
できることになった。商店街で育った若者たちはこの取り壊しに反対して、
子どもの頃みんなで観た「ドラえもん映画祭」を
自分たちの手で開催しようとする。

天皇が死んで「素敵なサムシング」がやってくるまでの、
平成最後の一ヶ月を描いた物語。

● ● ● ● ●

まだ若干の空きがありますので、
ご興味をお持ちの方は、お気軽にご連絡ください。

→応募を締め切らせていただきました。沢山のご応募ありがとうございました。

皆さんとお会いできるのを、心待ちにしております。

早く新緑のまぶしい季節になってほしいものです。

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先日は、『スピードの中身』にお運びいただいた皆さま、どうもありがとうございました!
三渓園(横浜)と、航空発祥記念館(所沢)では、だいぶ違うお芝居になっていて、
全ステージ見ていた私も毎回ほんと楽しかったです。
来てくださった皆さまも、楽しんでいただけようでしたら嬉しいです。


お知らせ続きで、すみません。
今週26日(金)に、BankART Studio NYKで開催される公演で、
アフタートークにゲスト出演(生意気に!)することになりました。
あえて稽古も、もちろん本番も拝見していないのですが
公演webを拝見しても、なんとも胸騒ぎのするお芝居なので、
よかったら、私も居る初日に、ぜひ遊びにいらしてください。

COLLOL
『このままでそのままであのままでかみさま』
2010年3月26日(金)~30日(火)
平日20:00 土日17:00開演 上演時間65分
BankART Studio NYK / NYKホール

昨年2月、「横濱リーディング」という企画でご一緒させていただいた
COLLOL(読み方:ころーる)という劇団さんです。
主宰の田口アヤコさんは「演出家劇作家女優」で、
つまりは作演出をしながら出演もされています。
(あ、私も一応そうですね。そんなお話もするかもしれません)
劇団山の手事情社、指輪ホテルなどを経て、
ご自身のユニットCOLLOLを立ち上げたとのこと。
---
俗でなまなましく
血のかよったあたたかく
色彩ゆたかにかぐわしく
夢みるようにうつくしく

(オフィシャルwebより)
---
そして今回は、旧約聖書の『ヨブ記』を題材にした作品なのだそうです。
実は私も、COLLOLの本公演を拝見するのは初めてなのですが、
ちょっと、なんだか、観るのが怖い気もします。
春の夜、ふわふわと酔ってどこかへ魂が飛んでいきそうな。
そんな気がします。

トークの後は、PUBで一緒に酔っ払いたいです。誰かと。
だから誰か居てください。


COLLOL 『このままでそのままであのままでかみさま』
http://homepage2.nifty.com/taguchiayako/god/

※ちなみにこれはホットニュースなのですが、
今夏、韓国での国際フェスティバルに招聘されることが決まったそうです!
東京でも上演されるそうで、今から楽しみです!

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最近ちょっとブログの更新がにぶいです。
ペピンもついったーを始めたり、
それもペピンのアカウントと自分のアカウントと両方あったりして
アイディアもアイディアのまま瞬発力で出しちゃうサイクルに慣れて、(それはそれでいいのだが)
頭の中が、なんとなく拡散していく傾向にあるような。単に風邪のせいだろうか。

なんですけど、ちょっとそこをぎゅっとして
ブログで書けることを多くしていきたい気分です。
140文字では終わらないことを。ええ。

脚本で参加させていただいている、『スピードの中身』ですが
横浜公演が終わり、今週末は所沢に移動します。
最寄り駅は「航空公園駅」です。

所沢は、「日本の航空発祥の地」なんだそうです。
この歴史にちなんだ「航空発祥記念館」という博物館が会場です。
実際に使用されていた軍用機など、たっっくさんの飛行機が展示されていて、
実際に乗れたり触れたりもします。
飛行機の操縦シミュレーションとかも出来ます。
※ただし、開演時には博物館は終了しているので、遊ぶ場合は早めにご来場を。

横浜公演をご覧になった方はお分かりになると思うのですが、
このお芝居を、本物の飛行機がいっぱいある前で観ると、
だいぶドキドキする感じになると思われます。

もう土曜は完売で、日曜のみになってしまったそうですが、
よろしければ是非、遊びにいらしてください。

中野成樹+フランケンズ『スピードの中身』

当日パンフレットに書いたことと重複するけど、今回この作品に携わって考えたこと。

ブレヒトの原作を読んだとき思ったのは、「悲壮な覚悟でボケつづける道化のようだ」ということで
それはまさに「ツッコませる」(批評させる)ということなのだけれど、
誤意訳というのも、「誤」と断っている以上、ある種の「ボケ」だと、私は思っています。
だから「ブレヒト」を「誤意訳」するのは、ボケにツッコむんだけど、そのツッコミもまたボケている、
という状況に似ていると思います。
だから、ブレヒトをやっているというより、どこまでも誤ブレヒトをやっているということにしかならない。
だけど誤ブレヒトであること自体が、すごくブレヒト的なんだと思う。

その「ボケ」は、ものすごく真摯で本気な「ボケ」なんだけれど。
というか、どんな「本気」もそんな風にしか、他人を当事者には出来ないのかもしれないな。

改めて考えてみると、
「誤意訳」と「ブレヒト」の間に自分が挟まれているのが不思議な感じがするけれど、
多分そこには何かしらの文脈があって、というか自分では気づかなくても文脈に含まれていて
それを見極めるのが、いまの自分にとって大事な気がする。
自分のことって、意外とぜんぜん、自分ではわからないものですね。

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所沢で、飛行機たちとともにお待ちしております。

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直前になってしまったのですが、
今週末3/13(土)-14(日)と来週末3/20(土)-21(日)に
脚本で参加させていただいている舞台があります。

中野成樹+フランケンズ『スピードの中身』

今週は、横浜の「三渓園」という日本庭園にて、
来週は、所沢にある、飛行機の博物館にて同じ脚本が上演されます。
・・・結構すごい企画です。

中野成樹+フランケンズ(以下、中フラ)は、大好きな演出家さん+役者さんの集団です。
中野さんには、ペピンの公演のトークゲストとして、たびたびお越しいただいています。

ご存知の方も多いかとは思いますが、
主に、海外戯曲(翻訳劇)を、「誤意訳」という手法で上演されています。
ちなみに今回はドイツ演劇で、大西洋横断飛行をモチーフにした作品です。
というか、ブレヒトです。


「疲れてますが先へ進みます。」
チラシに書かれていて、
それを読むたび、私はどうにも泣きたくなってしまうのです。


というか私は、中フラのお芝居を観ると大抵泣きたくなっています。
すてきに愉快なシーンであればあるほど、やられる。
別に泣かせるつもりはない、というかむしろ泣かれても、中フラの皆さんは困ると思いますが。
客席で泣いてるお客さんも、見かけたことないし。

中フラのお芝居たちは、どうにも、私にとっては切実で、しょうがないのです。
今回も、なぜか客席でひとり泣いている可能性が高いです。
ごめんなさい。


中野成樹+フランケンズ『スピードの中身』
http://www.frankens.net/
作:ブレヒト『折り合うことについてのバーデンでの教育劇』より
演出:中野成樹
誤意訳:石神夏希(ペピン結構設計)
■三渓園公演/横浜 →会場はコチラ
2010年3月13日(土)、14日(日)15:00開演
■航空発祥記念館公演/所沢 →会場はコチラ
2010年3月20日(土)、21日(日)17:00 開演


当日は、私も劇場でお待ちしております。
お時間に余裕のある方はぜひ早めにいらして、
園内・館内もご観覧ください!
(色々と、おもしろいので)

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今日は、春の猫のように、落ち着かない。(盛りという訳ではない)
胸の動悸がおさまらないのは、不整脈のせいで、恋ではない。
あるいは嵐の予感。でも天気予報ではない。

胸の真ん中で、鳥が啼いているような感じがするんだなあ。
終わりが開始の合図であるような、そんな予感。


サヨナラ さめた時よ
あの娘が僕を呼んでいたから
終わりさ もう終わりだよ
今日からは 2人ぼっち

(FISHMANS 『頼りない天使』)


世の中には、美しいことが沢山あって、
誰かが「美しい」とか「美しくない」とか云うのは傲慢以外の何物でもないんだけど、
だから口をつぐんで、静かに見守るのが一番だ。
奇跡が起きていると気づいたときは。

奇跡が起きているせいで、いま不整脈です。
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