石神 夏希 による最近のブログ記事


直前になってしまったのですが、
今週末3/13(土)-14(日)と来週末3/20(土)-21(日)に
脚本で参加させていただいている舞台があります。

中野成樹+フランケンズ『スピードの中身』

今週は、横浜の「三渓園」という日本庭園にて、
来週は、所沢にある、飛行機の博物館にて同じ脚本が上演されます。
・・・結構すごい企画です。

中野成樹+フランケンズ(以下、中フラ)は、大好きな演出家さん+役者さんの集団です。
中野さんには、ペピンの公演のトークゲストとして、たびたびお越しいただいています。

ご存知の方も多いかとは思いますが、
主に、海外戯曲(翻訳劇)を、「誤意訳」という手法で上演されています。
ちなみに今回はドイツ演劇で、大西洋横断飛行をモチーフにした作品です。
というか、ブレヒトです。


「疲れてますが先へ進みます。」
チラシに書かれていて、
それを読むたび、私はどうにも泣きたくなってしまうのです。


というか私は、中フラのお芝居を観ると大抵泣きたくなっています。
すてきに愉快なシーンであればあるほど、やられる。
別に泣かせるつもりはない、というかむしろ泣かれても、中フラの皆さんは困ると思いますが。
客席で泣いてるお客さんも、見かけたことないし。

中フラのお芝居たちは、どうにも、私にとっては切実で、しょうがないのです。
今回も、なぜか客席でひとり泣いている可能性が高いです。
ごめんなさい。


中野成樹+フランケンズ『スピードの中身』
http://www.frankens.net/
作:ブレヒト『折り合うことについてのバーデンでの教育劇』より
演出:中野成樹
誤意訳:石神夏希(ペピン結構設計)
■三渓園公演/横浜 →会場はコチラ
2010年3月13日(土)、14日(日)15:00開演
■航空発祥記念館公演/所沢 →会場はコチラ
2010年3月20日(土)、21日(日)17:00 開演


当日は、私も劇場でお待ちしております。
お時間に余裕のある方はぜひ早めにいらして、
園内・館内もご観覧ください!
(色々と、おもしろいので)

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今日は、春の猫のように、落ち着かない。(盛りという訳ではない)
胸の動悸がおさまらないのは、不整脈のせいで、恋ではない。
あるいは嵐の予感。でも天気予報ではない。

胸の真ん中で、鳥が啼いているような感じがするんだなあ。
終わりが開始の合図であるような、そんな予感。


サヨナラ さめた時よ
あの娘が僕を呼んでいたから
終わりさ もう終わりだよ
今日からは 2人ぼっち

(FISHMANS 『頼りない天使』)


世の中には、美しいことが沢山あって、
誰かが「美しい」とか「美しくない」とか云うのは傲慢以外の何物でもないんだけど、
だから口をつぐんで、静かに見守るのが一番だ。
奇跡が起きていると気づいたときは。

奇跡が起きているせいで、いま不整脈です。
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先日、こちらでお知らせしたとおり、
三田の家」にて次回作『マルチメディア』についての
オープンミーティング的なことを行いました。

ペピンはいつも、お芝居をつくる一番はじめに、
ものすごくたくさんミーティングというか、お喋りをします。
とにかく作品に関連すること、特に「個人的な体験」や「実感」について喋る時間が長く、
この過程が、ペピンの作品づくりには欠かせないものとなっています。
今回は、同じことを、誰でも参加自由な場でやってみよう、
という企画でした。

ペピンおさんどんによる、(作品にも登場する)おにぎりをはじめ、
豚汁、煮卵、きんぴら、などなど手料理を囲みつつ。ワイン傾けつつ。
「マルチメディア」っていう言葉の響きも、この7年で相当変わったなー、等ぼやきつつ。

ペピンの関係者から、ペピンのお芝居を観に来てくれている方、
普段から仲良くしてもらってる、色々面白い活動をしている友人たち、
ペピンを知らないけど「三田の家」にふらっと立ち寄った方まで、
20名弱ながら、色々な人が交わっての楽しい時間になりました。


今回は、初演(2003)の作品紹介に加え、特別企画をいくつか用意していたのです。

その1。
リクルート住宅総研の島原万丈さんに来ていただき、
ポスト団塊ジュニア考(2005)」という世代考についてお話していただきました。
ポスト団塊ジュニアというのは、団塊ジュニアの次の世代で、(この論考では)
ペピンも含まれる76年~85年生まれくらいの人たち、と定義づけられています。
「マルチメディア」は昭和の終わりに生まれ、20世紀の終わりに成人した世代を
描いたお話だったので、この対象世代はどストライクなのです。

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お話を聞いている最中にも、「ポスト団塊ジュニア」当事者たちから

自分が実感していることや体験談が出てくる一方、
「それ以外」の世代の方からも活発な意見が飛び出して、
プレゼン終了を待たず、気づいたら議論&フリートークになだれこんでしまいました。
大反響。


その2。
自分たちで年表を作ってみよう、という試み。
とってもアナログ&シンプルですが、白壁に直接テープで表を作り
「自分にとっての事件」を書いた付箋で年表を埋めてみる、というものです。
1970年(昭和45年)~2020年(?)までを横軸に、
「大事なこと」~「そんなに大事じゃないこと」を縦軸に、
みんなの記憶を掘り起こしながら、自由にマッピングしてもらいました。

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同年代の人間が多く集まっていたから、当然なのかもしれないですが
やはり思春期の90年代に密集してします。

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そして意外というべきかやっぱりというべきか、興味深かったのは
2010年以降(未来)にほとんど書き込まれていないこと。
わずかながら書かれた事件は、非常に堅実に予測可能なことか
やや悲観的な予測でした。

過去の記憶を掘り起こす作業に、重点が置かれたために
未来まで行き着かなかった、という理由もあると思います、が。
私の感触としては、「未来のビジョンがない」とか「夢がない」という感じは全然しなくて
すごくマジメで、よい意味で現実的な印象でした。
みんな、今ここの先に未来があるって分かってるんだよね。
だから今この日常をちゃんと生き抜かなきゃって思ってるんじゃないかな。


その先に夢がないわけじゃないんだよね。
みんな一生懸命考えてる。立ち止まってはいない。
だけどもっと前へ、前へ、というわけじゃない。
今を楽しむことの先に、また違った「未来」の在りようをみつけようとしている。
そんな気がします。

この年表、最後ははがして、くるくるっと丸めて、ゴミ箱にさようなら。
思い出すのは楽しいけど、記憶も未来も、またどんどん変わっていくから。
・・・かどうかは分からないけど、そんな軽さと、「残らなさ」も心地よかったです。
(と言いつつ写真には撮ってますが)

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今回得たことを踏まえて、これからペピンでも構想を練っていきますが、
今回の参加者の方たちとか、このブログをご覧になっている方と一緒に
色んな「実感」を投げ込んで、一緒に作っていけたらいいなと企んでいるのです。
後日また、こうしたオープンな場を設けたいと思っています。

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「三田の家」の台所から。
ホント、不思議とくつろいじゃう空間。
こういうアトリエがほしいです。

ご参加くださった皆さま、どうもありがとうございました!
よかったらどうぞ8月の舞台まで、今しばらくお付き合いくださいませ。

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(90年代) 

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昨日、『トンカツであーる』満員御礼にて、閉幕いたしました。
ご来場くださった皆さま、また来られなかったけれども応援してくださった皆さま、
こうして公演ができるのも、本当に皆さまのおかげです。
どうもありがとうございました!

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(写真:片桐久文)

このお芝居を作る中で、色々と悩むときもあって、
というか今でも解決せず、あれこれ悩み続けてたりするけど、
それでもやってよかった、やれてよかったなあと思います。

大好きだった長さんの絵本と、こういう形で関われたことが幸せでした。
終演後、会場内のPUBにて、
来てくださった人たちとお酒を飲みながらお喋りできたのが毎日幸せでした。

数々の我儘を聞いてくださったBankART Studio NYKの皆さん、
企画の最初から最後まで何度も相談に乗ってくださった吉祥寺「トムズボックス」土井さん、
原作『キャベツくん』シリーズの使用をご快諾、のみならず公演を応援してくださった文研出版さん、
心から感謝いたします。本当にありがとうございました!


次は、8月に『マルチメディア』という公演をする予定です。
悩みつつも、立ち止まらずに。やっていこうと思います。

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冒頭のシーン。ペピンのミーティングは、大体いつもあんな感じです。
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実況中継

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今回の会場である BankART Studio NYK におります。
昨日は雨が雪に変わって、倉庫はかなり冷え込みましたが、
今日は、川面もゆったりゆらめく、よい天気です。

前回『シンデレラ』のときは1Fだったのですが
今回は3Fなので、ずいぶん遠くまで眺められます。
もう、空の隅から少し桃色になってきてます。


ストーブを焚いてお待ちしております。
どうぞ、暖かい格好でお越しください。
http://pepin.jp/stage/tonkatsu/

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前の記事で中澤くんが書いていたとおり、
今回は、長新太さんの絵本を原作にしたお芝居なので、
非常に、プレッシャーを感じてもいるのです。

正直、長さん絵本は、それ自体で完成されていて、
それを舞台の上で再現しようなんて、到底無理な話。
長さんの絵は、それだけですばらしい。
それについて、言葉でとやかく語る必要は無いのです。

それでも演劇にしたいのは何故かって言ったら、
長さんの絵本を読んだときの感動を、誰かと共有したいから、だと思います。

絵本ってやっぱり、読み聞かせするものなんだと思うんです。
お母さんが読んで聞かせて、それを子どもが聞く。
子どもは、思ったことや気づいたこと、疑問なんかを口にして、
お母さんと一緒におしゃべりしながら、読んでいく。
そんなコミュニケーションツール。

長さんの絵本はまさに、そんな「読み聞かせ」に絶好の絵本なのです。

だけど大人になって、ひとりで黙って絵本を読んでいても
読みながら感じたことを共有する人がいない。
(少なくとも私は、長さんの絵本を読んで、ひとり真夜中に悶えている)
絵本は文字がすごく少ないから、下手するとあっという間に読み終わっちゃって
何にも感想が残らなかったりする。

大人がひとりで読むものじゃないんだと思うんです。
読んでもいいけど、そういう風には、作られていない。
それでも、大人が読むべき絵本がある。
大人になってもう一度出会うべき、あるいは大人だからこそわかる絵本がある。

長さんの絵本は、大人が読むべき絵本でもあると思うのです。
だって最高に面白いんだもの!

今回やりたいと思っていることは、
子どもが一生懸命考えたり感じたりしながら読むように、
大人として、真剣に絵本を読むことです。そして、それを誰かと共有すること。
長さんの絵本には、誰かと語りたくなる余白があるんです。
おしゃべりしながら読むことで、どんどん展開して、どんどん面白くなっていく。
ひとりで黙って読んでいるなんて、もったいないよ。

私は子どもの頃の自分の想像力に負けたくないし、
実際に、負けないと思っています。
子どもが読んでも、もちろん楽しいだろうけど、
今私が味わっているこの面白さ、子どもには絶対、わかるまい。

大人だから、子どもみたいに"純粋"なこと(皮肉ですが)ばかり思うわけじゃないし
絵本の世界をありのままに受け容れられないかもしれない。
それでも、そういう"不純な"、"余計な"想像力を含めて、
大人の想像力を肯定したい。

だから今回の舞台は、
「長さんの絵本をお芝居にした」というよりは
「長さんの絵本が大好きな大人が、お芝居を作った」という方が正しいかもしれません。
それでもこれは、私たちにとって、長さんの絵本の世界なのです。
大人といっても、私たちはまだまだ未熟な大人だし、大人にも段階があるだろうから
もしかしたら「長さんの絵本が大好きなアラサー」って言った方がいいかもしれないけど・・・


もしよかったら、お芝居を観る前に、
是非、原作を読んでみていただけると、嬉しいです。
(会場でも、長さんの絵本が買えます!)
そうしたら、絵本を開いておしゃべりするみたいに、
私たちとお客さんの間で、色んな想像が展開して、きっと楽しいと思うのです。

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ペピンブログ、大変ご無沙汰しております。
今年の再設計ペピンは、(例年より)たくさん公演をやる予定です。
2010年も、どうぞよろしくお願いいたします!

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正月の鶴岡八幡宮。
階段の下には、実は人が溢れかえっているのですが、カットしました。
ロープが張ってあって、お参りする人たちを制限しているのです。
左側に見えるのは有名な大銀杏で、もはや化石みたいになってる巨木です。

正月はやることが積もり積もってしまって(自業自得)
ずっとパソコンの前にいたんですが、なんとかお参りだけ済ませました。
青空が、氷みたいな
冬の色でした。

特に冬の、寒い晴れた日には、ザ・フォーク・クルセダーズの
『悲しくてやりきれない』な気持ちになります。
(昨年の話ですが、加藤和彦さんのご冥福を心よりお祈りします)


悲しくて 悲しくて とてもやりきれない
このやるせない もやもやを 誰かに告げようか

( 『悲しくてやりきれない』 >>Youtube


正月早々、湿っぽい話のようで申し訳ないのですが、
私はこの歌は、パズルの最後のピースみたいだと感じます。
(何のパズルだか分かりませんが)
みんな、こういう悲しみの先のことばかり歌ったり喋ったりしていて、
その根っこにある、このもやもやした意味不明の悲しみのことを
本当に語ってくれる人が、少ない気がするのです。

もっと別のことを歌った歌、たとえばラブソングでも、そんな「もやもや」を感じさせることはあります。
でも、何かを通じて「もやもや」を感じることはあっても、「もやもや」を直接指さすことは
「もやもや」そのものを語る機会は、意外と少ないんじゃないかと思います。

私は、生きていたら悲しいことばかりじゃないと思うし、
楽しいことや幸せなことが、悲しいことの何十倍もあった方がいいと思う。
だけど、この「もやもや」はいつも、楽しいことや幸せなことの根底に流れていて
ある晴れた冬の日とかに、世界が広すぎることとか、本当は終わりがないこととかを、
私たちに思い出させるんじゃないかと、思います。

それのせいで、死にたくなっちゃう人もいるのかもしれないけど、
やりきれないって言いながらも前に進むためには、「もやもや」をちゃんと指さして、
「ほら、もやもやだよ」「もやもやだよね」って、誰かと共有したいんです。

雲をつかむような、ってよく言いますが、
つかめない雲をつかみに行くような、そんな勇気と、元気が要るのです。


私の文章も、霞がかってますね。すみません。
早春はそんな季節ですよね。
「もやもや」を指させる人になれたらいいなと思っています。
今年も、そんなブログを書いて、そんなお芝居を作りたいです。
あけましておめでとうございます。

。。 01/09
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石神 夏希 01/18
石神 夏希 01/18
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秋のおたより

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以前にも書いたんですが、時々お寺で働いています。
最近のお仕事日は、ほとんど一日中、落ち葉のお掃除をしています。
先週までは銀杏が王者だったんですが、
今日行ったら、もみじの圧勝でした。

何のことやら分かりませんね。
先週までは、銀杏のじゅうたん状態で大変だったんですが、
昨日の雨でほとんど散ってしまって裸んぼう。
今度はもみじが道を覆うほどに散り敷かれて、これまた大変。
こちらは熊手と竹箒と普通のほうき、三本刀で応戦しましたが、
完敗でした。風が吹くたび散るので、追いつかず。

でもなんだか楽しい仕事です。
自然を相手に、って大げさに言うほどの仕事じゃないけど、
こっちが勝手に自然に無茶な戦いを挑んで、悪戦苦闘しているのが、
我ながらおかしくて笑ってしまいます。

葉っぱは山からどんどん落ちてくるので、もちろん銀杏やもみじだけじゃありません。
落ち葉ってよく見ると、びっくりするほどいろんな種類の葉っぱが混じっています。
少し前は、風が吹くたびに山からどんぐりがコツコツ降ってきていました。
当たったら痛いだろうな。

子供の頃、よく山で遊んでいたことを思い出します。
というか、地形のせいで、ちょっと歩くとすぐ山に入ってしまうのですが。
このあたりは、首都圏にしては自然に恵まれている地域だと思います。
でも昔は多かったタヌキが、どっかから入ってきたアライグマに駆逐され、
近頃はハクビシンやイタチが出るようになりました。
昔は晩御飯を食べていると、縁側からタヌキが家の中を覗いていたり、
サンダルを盗んでいったりしたのに、最近はそんなこともなくて、残念です。

そんな秋のおたより。
「散り敷く」って日本の秋って感じの言葉ですね。
虫も減ってきて、そろそろ秋も終わりの気分です。

.. 12/06
石神 夏希 12/09
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だいぶ長いこと、更新が止まっておりました。


僕らは離ればなれ
たまに会っても 話題がない

それぞれふたり 忙しく
汗かいて

(『すばらしい日々』 奥田民生)


ペピンブログもそうなんですけど、
離れているときに、本当にその対象のことを考える、
人間関係だったら相手のことを
仕事とかやらなくてはいけないことだったら、それについて
直接関わっていないときにこそ、実は前に進んでいたり
本気で考えてあげられるってこと、あるなあと、最近よく思います。
離れて初めて、愛情を持って見ることができるというか。

私は稽古場が好きなんですけど、
やっぱり稽古のやり方とか、役者のみんなとやってみたいこととか
思いつくのは、たいてい稽古がないときとか、稽古場に行く予定がないときです。
そのくせ、実際に稽古場にいると、ちょっとだけ稽古がきらいになります。
お芝居の企画は、公演予定を組んでから考えることが多いですが、
そういう準備が始まる以前や、前の公演が終わった直後に
面白いことをみつけることが多いような気がします。
2年間ほど、ペピンをお休みしてCOLUMBAというユニットをやっていたときも、
心の中ではペピンのことをたくさん考えていました。

人間関係でも、たとえば「許す」ってことについて、
それは自分の中の怒りや、相手に傷つけられたという思いを手放すことだと思います。
「忘れる」ことがしばしば癒しにつながるのは、思いを手放せているから。
別に忘れなくても、許すことも可能だと思うけど、難易度高い気がする。
特に、相手が目の前にいるときに許すことは、すごく難しいと思う。

とても冷たい言い方をすると、利害が衝突する関係性から離れること、だと思うけど
それで優しくなれるなら、もう誰とも一緒に居ない方がいいんじゃないかって思ったりして、
特に誰かを傷つけてしまった後なんかは、そんな気持ちで落ち込みます。

そういう点で、キャベツくんとブタヤマさんの関係は不思議だなと思います。
『キャベツくん』シリーズでは、キャベツくんがブタヤマさんに対してすごく寛容で、
(お前を食べる!とか脅されたり、何度も食べられそうになるのに、結局一緒にいる)
そういう意味でのキャベツくんの「許し」は、もはや悟りの領域なんじゃないかと思ったりします。

私はキャベツくんみたいになりたいけど、実際は真逆で
感情的ですぐ熱くなる、猪突猛進タイプで、しかも白黒つけたがる。
思いついたらすぐ実行に移したかったり、「待つ」とか「寝かせる」とかすごく苦手です。
だからもっと、物事から離れて待ってみるとか、忘れるとか、時間を信頼するとか、
そういう姿勢を身に着けたいと、痛感しています。
それは色んなものに対する優しさなんじゃないかと思うのです。
本当は、離ればなれじゃなくても優しくなれるならそれが一番いいけど、
キャベツくんみたいになれたら幸せなのかどうかも、今はまだ分からない。

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写真は、唐突に関係ないのですが、
私のデスクトップのモニターの上で
いつもアチョーしている2人組です。
もともとセットで作られてないので、微妙に姿勢や視線がずれています。
いつもそばにいるのに、お互いを見ていないふたり
てなんかうまいこと言っちゃいました。

いったん、離れてみたら、なんか変わるかもよ。
私たち誰もセットで作られてないし。
『すばらしい日々』を聴きながら、大人になるということについて思うのです。
もう29歳だけど。


朝も夜も歌いながら 時々はぼんやり考える
君は僕を忘れるから そうすれば もう すぐに 君に会いに行ける

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宮沢賢治が好きです。
ファンといえるほど、詳しいわけではないのですが
中2のときに、夏休みの自由研究で
「『銀河鉄道の夜』の、銀河鉄道のステーションで売っている旅の絵葉書セット」
を作ったくらい(絵は下手でしたが・・・)、彼の物語の世界が好きです。

宮沢賢治のお話は、誰でも読んだことがあると思うのですが、
詩もすばらしいので、誰かに伝えたくなりました。

詩集『春と修羅』に収められた「小岩井農場」という詩で、
岩波文庫の宮沢賢治詩集などにも掲載されてると思います。
もとは、パート1~パート9まである(ただし、5と6は空白)すごく長い詩です。
(>>> 青空文庫

私が一番好きなのは、ベタですけどパート9です。
特に次の一節には、何遍読んでも胸を打たれます。


明るい雨がこんなにたのしくそそぐのに
馬車が行く 馬はぬれて黒い
ひとはくるまに立つて行く
もうけつしてさびしくはない
なんべんさびしくないと云つたとこで
またさびしくなるのはきまつてゐる
けれどもここはこれでいいのだ
すべてさびしさと悲傷とを焚いて
ひとは透明な軌道をすすむ
ラリツクス ラリツクス いよいよ青く
雲はますます縮れてひかり
わたくしはかつきりみちをまがる


中原中也の「別離」という詩を、以前ここで紹介させていただいたことがありますが、
これと似通った覚悟が流れているように思います。
実は、ペピンのサイトに載っている(近々、更新される予定ですが)
「天気の良すぎる今日を、も少し上手に生きるために。」
という言葉は、「別離」を下敷きにしたものです。
(こちらも、岩波文庫の詩集・大岡昇平編に収録されています)

私は、悲しくて寂しくて仕方ないときでも、泣くときは一人がいい。
孤独なときは、誰とも一緒に居たくない。
一人で泣いて、立ち上がって、もう一度出発する。
ハッタリかもしれないけど、寂しいときは、もっと強くなりたいんです。

「孤独」について書いていない詩人なんて、いないと思うけど、
宮沢賢治や中原中也の詩の、この明るさや、強さに憧れるのです。
この詩が私を強くなれるような気持ちにしてくれるのです。

寂しくて強くなりたいときは、ばかみたいだけど
「死んだら、誰に会いたい?」
って、近くにいる人誰でもいいから訊きたい気持ちに駆られます。

私は、親戚家族一同から、死んだ兄の生まれ変わりと言われ続けていたから
自分が、死んだ人の世界からやってきたんだと、なんとなく知っていました。
それに、誰かが死ななければ、自分が生まれてこなかったことも。
でも死んだあとに、会いたい人に会うためには
ちゃんと生きてるうちに会っておかないとダメなんです。
それに、そのうち死ぬんだけど、まだ死んでないから、今は生きるしかないんです。
だから会いたい人になかなか会えなくても、まっすぐ顔を上げて
曲がり角のむこうの「透明な軌道」を進むんです。
寂しくなくなったら、今度こそ会いに行けるから。
会いたい人に会うことを、諦めちゃダメなんです。
だから、ちゃんと強くなって。強くなって、会いたい人に会いに行くんです。

なんか丹波哲郎みたいなことを書いてしまった。無宗教なんですけど。
この詩が、皆さんを励ましてくれることを願います。


そんなわけで、木枯らし紋次郎に続いて、
自分を強くしてくれるものの紹介でした。
会いたい人に会うことを諦めないで、旅を続けてください。続けよう。続けます。

。。 10/20
石神 夏希 10/22
。。 10/23
石神 夏希 10/26
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