里見 有祐 による最近のブログ記事


3年半ぶりになるペピン結構設計の公演『トンカツであーる』も、
初日開幕まで残すところ一週間ほどとなりました。

キャストスタッフ一同、追い込みという段階でしょうか。
そうあっても、ペピンらしいペースで楽しみながら
皆さんにお届けできればと思います。

先日、そんな稽古場の様子を取材していただくため、
新聞記者さんご来訪頂きました。「絵本の演劇化」といっても
一口に内容が伝わるかどうかいささか不安でしたがそこはプロフェッショナル。
稽古場見学をふまえ密度の濃い取材の上で、こんな記事にしていただきました。

「キャベツとブタ 奇妙な友情」
http://mytown.asahi.com/kanagawa/news.php?k_id=15000151001270003

朝日新聞朝刊・横浜版・第二神奈川欄1/27

そして、全4回というあっという間の公演ですが、初回・2回目の公演終了後には
ポストパフォーマンストークとして、すてきなゲストをお招きします。
まさに、みにきてチョーダイ。

2月4日(木) 19:30開演回
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熊倉敬聡/慶應義塾大学教授
マラルメの〈経済学〉研究後、現代芸術の研究・実践。
3年前より新たな学び/社交力の場「三田の家」を運営。
現在、瞑想の現代的可能性を探究中。
著書に『美学特殊C』、『脱芸術/脱資本主義』など。

2月5日(金) 19:30開演回
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中野成樹/演出家・中野成樹+フランケンズ主宰
1973年東京生まれ。堅苦しいイメージのあった既存の海外戯曲を、
『誤意訳』という手法を用い、原作のストーリーを守りつつも自由に脚色し、
現代にわかりやすく上演する。近年では電車の車両内でのパフフォーマンスや
動物園との共同制作など、演劇の新たな可能性を切り開く。
2009年4月より有明教育芸術短期大学の専任講師。
中野成樹+フランケンズ http://www.frankens.net/

なお、チラシ上にて予定していた2月6日(土)の回につきましては諸般の事情につき、
2月4日(木)に変更となりました。訂正してお詫び申し上げます。

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待望の全員そろい踏みか、と思いきや下田さん痛恨のダウンにつき
見慣れた顔をつき合わせながらも、実務そっちのけでフリートークに花を咲かせました。
相変わらず時間はあっという間にすぎるわけで、終電も近くなってようやく実務の話も。

見ようによっちゃあ、だらだらくっちゃべるだけとも言えますが
一方、そんな時間で養われる素敵なサムシングが作品づくりへの糧、
そして推進力になるだなんて仮説はいかがでしょう。

会話で積み上げられる世界では、ものを言わずとも伝わる空気が生まれたりしますよね。
言葉で語らずとも伝わる状況、言葉で始まり言葉から離れる状況。それって演劇っぽい。

実際、学生時代の頃はメンバー十数人でデニーズやアローム(共に湘南台の喫茶)に大挙して
夕方から終電、ないしはそれ以降までくっちゃべってばかり。稽古なんてほとんどしない。。

まー、それもまた時間が過ぎると共にカタチは変わるかもしれないけれど
この時代での僕らなりのセンスオブワンダーで。

そうそう、先々週はひさしぶりに6年前に上演した「マルチメディア」の映像が出て来たので
有志でみたり。その時になにを思って考えて、な感覚はもう同じじゃないけどちょっぴり興奮。

石神 夏希 07/29
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筆ペンで雲の輪郭を淡く強く書いたような曇天模様、海近くに隣接する国道沿いのドライブスルー。一階建てガラスばりの中堅ファーストフードで、仲間達・顔見知り、であろう人たち総勢20名ぐらいで何か甘いものを食べながら誰かを待っていた。

携帯メールが一通。チョコシチューを持っていくからちょこっとと待っててよ、という意なんだけれども文面は全て感じで構成されている。このあたりから目に映る情報と内容に若干の距離が生まれていた。別シーン、チョコシチューなるもののアップから引きの画、携帯メールの差出人は久しく会わずに最近再開した同級生の仕事場から。部下らしき白衣姿から、よく出来ましたね、なんてたわいもない労いのやりとりが交わされている。ディティールをまじまじと眺めればチョコシチュー、板チョコやカールチョコ、チョコスプレーでできた細工菓子・お菓子の家だった。

書き割りのような場面転換で、地下鉄の連絡通路、先ほどのドライブスルーから帰路を辿っている。ふと、見覚えのある誰かとすれ違い、そのまま改札に入場せず素通り。長い地下道をそのまま直進するが、向かって右に位置していた同じ改札が一周しながらも同じ位置ではなく逆側、向かって左に見えた。あれ、ぐるっと一周したんじゃなかったっけ、俺ぐるぐる。

そのまま、やっとこさくぐった改札には赤い輪っかのマーク。丸の内線か。通過した瞬間に、自分の家。一人暮らしをしている設定、何階建てかの最上階。ドアを開けると玄関/風除室から正面と右手の二面にドアがひとつづつあり、右側のドアを開けた。

長い廊下の奥の奥まで、右手は全面窓となり、採光は十分、最上階らしく広々としたベランダと一体となっていて曇天でも気持ちがいい。廊下の奥には、畳一畳を縦半分に割った程度の狭い2枚折りドアがある。あ、そうかこれは浴室なんだな、というのがフレームに囲われた半透過する樹脂パネルから伺えた。開けるとユニットバスながらもしっかりとした浴槽と洗い場。しかも全自動でお湯は勝手にはってあった。

じゃあ、着替えをとって早速入ろうかと思った途端、振り返って左の景色。先ほどの入り口から廊下を向かって右一面広がっていたベランダ部分が水族館の水槽のようなっていることに気づく。深くて濃い水色。深さ1m超、窓半分位までの水位をもってプール。けれども全然驚きはしない。遠くに、つまりは風呂場から先ほどの出発点/玄関口より物音が聞こえてきた。

ガサゴソとかいうのではなく、ジャバジャバとカシャカシャ。廊下を進みながら玄関に向かうと、男女一組が水に浮かび絶妙なバランスをとってグラビア撮影をしている。人ん家で一体何やってんだよ。と思うも口には出せず、若干の羨望。そこは思うだけでのコミュニケーション。ごめんなさい、なんてテレパスが相手から帰って来たところで、僕もふらふらとバランスを崩してきた。ふらり着衣のまま、廊下から窓をするっとすり抜けたらベランダプールにドボンだ。

あっ!携帯がポケットの中にはいったままだよ。なんて思ってとびあがり即脱出、あわてて浴室へもどりつつ携帯を確認すると水に濡れたもののメール着信ランプが点灯。なんだよかったー、なんて思ったところで目の前には知人が浴室のドアのサッシに腰をかけている。足を組みながら「終電を逃がしたので、今日はどうしても泊めてほしい」と言うが、いやそんな急に言われても困ったもんだな、と携帯をいじりながら新着メールに何が書かれていたのかは謎のままで覚醒した6時58分。

カーテンの隙間から零れる日射しが暑い。今日の天気は快晴。
ちなみに、地下鉄ですれ違ったのはきっと草彅くんだったと思う。
前日の夜はテレビでぷっすまが流れていた。流れるマスメディア。

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初日当日のヨコハマは霧雨、びゅうびゅうと吹く海風にのっかって
連日の陽気からうってかわって、これから何やらドラマが起きるんじゃないか、
なんて、ざわざわとした雲行きの怪しさが漂っていました。

「シンデレラ」チケット情報

4月18日1時時点での残席状況です。

4/18(土)15:00開演回 △ 前売券・若干余裕あり
4/18(土)19:30開演回 ○ お席に余裕があります
4/19(日)15:00開演回 × まもなく前売完売です

前売券販売は、各公演の開演時間10時間前まで受け付けております。
以降は、当日券をお求め下さい。各回10枚程度ご用意しております。
なお、受付は開演40分前、開場は開演20分前となります。

舞台の模様をいくつか写真にてご紹介

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COLUMBA「シンデレラ」
http://columba.pepin.jp/

「コロンバがBankARTで「シンデレラ」物語の起源を探る現代劇」
http://www.hamakei.com/headline/3919/
ヨコハマ経済新聞 4/17

「シンデレラ読み直し公演/横浜の演劇ユニット」
http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryivapr0904320/
神奈川新聞・カナロコ 4/13

なお、一部ウェブニュースにて18日、19日のお昼の回について
15時30分開演と表記されていますが、正しくは15時となります。
ご確認のほど、いま一度お願い申し上げます。 ご来場、心よりお待ちしております。
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小屋入りから3日が過ぎようとしています。たくさんの幸運とアクシデントに囲まれて、徐々にシンデレラ自体の骨格が明らかになってきました。

昨日の横浜の天気は大変な豪雨だったんですが、うってかわって快晴な本日。会場の外にふりそそぐ目映いばかりの陽射しと、会場/元倉庫だからこその重厚でぐっと深い暗闇とのコントラストは、とても劇的。足も時間も止まるロケーションから、シンデレラは始まります。

全4回というあっという間の公演ですが、初回・2回目の公演ではポストパフォーマンストークとして、すてきなゲストをお招きします。

4月17日(金) 19:30開演回
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川上洋平さん/ブックピックオーケストラ代表
2003年「ブックピックオーケストラ」結成以来、全ての企画運営に携わり、ウェブからデザイン、ライティング、仕入れまでを担当。2006年末から代表。ブックピックオーケストラは、本のある生活をふやすために、新たな本のあり方を模索し、人と本が出会う素敵な偶然を演出するユニット。2008年10月「ラ・マレア 横浜」にて書店出張、オリジナル商品「文庫本葉書」の販売、栃木県益子STARNETでの古書販売など、活動を展開中
ブックピックオーケストラ http://www.bookpickorchestra.com/


4月18日(土) 15:00開演回
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中野成樹さん/演出家・中野成樹+フランケンズ主宰
1973年東京生まれ。演出家。
欧米演劇マスターピースの日本における上演、
いわるゆる翻訳劇につよくこだわり活動をつづける。
「まったくの海外古典でありつつ、
 まったく日本の現代演劇でもある」ことを目指し、
言葉づかい・所作と身体・物語と空間・音楽の効用などを、
多角的に検証しトータルに演劇を組み上げることを企む。
翻訳劇誤意訳チーム・中野成樹+フランケンズ主宰。
大学生翻訳劇チーム・中野成樹+オオカミ男も主宰。
翻訳劇CG化チーム・中野成樹+ドラキュラ伯爵を準備中。
2009年4月より有明教育芸術短期大学専任講師。
中野成樹+フランケンズ http://frankens.net/

川上さんには、事前に稽古場に訪問してもらいプレトークを、
中野さんには、前回作品「ねもと」にも観劇/トークゲストとしてご参加頂きました。

ご来場のみなさまにはシンデレラ割/チャリ割なんて窓口も設けております。
この週末、お時間の都合とれましたら、ぜひ横浜・馬車道においでください。
・・・・・・・・
シンデレラ割/女性3名様でおこしのお客様に限り、1名様分を無料でご案内いたします。
チャリ割/自転車でご来場頂き、舞台上・所定の位置に駐輪されたお客様につき1500円にてご入場頂けます。
・・・・・・・・

COLUMBA「シンデレラ」
http://columba.pepin.jp/

「シンデレラ読み直し公演/横浜の演劇ユニット」
http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryivapr0904320/

神奈川新聞・カナロコ 4/13

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僕は小学校高学年まで指からレーザービームを出して、街のあらゆる電柱をぶった切ってたな。友達と登下校する時も、ひとりで街を歩くときも、夢と偏見と無能さゆえの万能さでこの世界をすごしていた。思い出されるのは夢のようないいとこどりの記憶がほとんど。


カフェ、の中に仲間とたむろしている。採光がよくとれたガラス窓が全面に広がる店内だが、曇り空、流れ落ちる水滴、通りはにわか雨。でも室内外に開放感があるので息苦しさはなし。名前をつけるならベタに「パラダイスカフェ」だろう。

COLUMBAの次回公演「シンデレラ」の話をしている。やれチラシの地図は誰がつくるのか、とか、やれウェブの写真の透明度の上げ下げ、だとかわちゃわちゃ5・6人で笑いながらやりあっている。

ひとり浮かない顔は劇作家、ホンが上がらない、とつぶやく。いやいや大丈夫だ、問題ない、と励ますのはジントニック片手にボーズ、ピーチフィズを飲み干したシンコ。フロムスチャダラパー。そこからモンダイナイコールが様々なビートに乗せて奏でられる。しまいにゃ、「もーんだーいないさぁー」とライオンキング風にミュージカル調の大団円でシメ。


なんか、楽しい。

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駅前、ハイエースの選挙カー。街頭演説の周りには多くの野次馬が溢れて人ごみ、何やら騒々しく何かを喧伝している。くもり空でグレー、ちょいちょい寒い。大きな国道に歩道橋はかかっていて、周囲にはタワー型の高層ビルが立ち並んでいた。おそらく、ほぼ品川駅・高輪口で決まりだろう。

騒がしい人ごみには、先日の閉館騒ぎがあったホテルのニュアンスも入っていたんだと思う、ヒトが団結の下に何かを動かしてやろうという旧弊な革命思想の風がピュッと吹く。

歩道橋した、だれかの背中のどアップ。紺色の長い毛織物・ロングコート。がっつりうなじは刈り上げて、肌は褐色、鼻の先っちょくらいまでコパトーンの匂いがする。寄りによって、やっとここちらを振り向いた。黒人だった彼は、笑顔から白い歯をこぼし僕に何かを訴えかけた。自分より背は高く、目が合うが見下ろすような表情ではない。言葉にはなりきらないテレパスのような眼力。十年来の友達のようにわかりあえた気がした。

ほぼ、オバマだった。

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はじまりは、明るいながらも全体を覆う雲がまだ晴れきらない空模様。見下ろせば、ゆるやかに曲がった二車線道路に貨物をのせた中型トラックやハイエースが行き交っている。国道や県道にアクセスするための小さな産業道路に小さな小屋があった。

学生時代の殆どは駅からバス通学だった。パチンコ屋やコンビニ、昔ながらの個人商店が入り交じる地方の街中から、丘を切り崩した勾配のあるアップダウンを経て、徐々に林や団地群、大型スーパー、そして空が広がる。田舎とは言い切れない、小規模な農地や住宅地がマーブル状に混ざったニュータウン。その深部にキャンパスがあった。でも、よく授業はサボっていて、僕にとっての通学路は、登校時間でないバスが迂回するローカルや、行程の真ん中あたりでわざわざ途中下車して遅刻する獣道だった。キャベツ畑から富士山をみていた。

ちょうどカーブした道路の真ん中あたりにその小屋はあって、気がつけば鮨屋のような店内、5・6席程度のカウンター側に着席している。一つだけ席が空いているが、以外は縁のある若い演出家たちがいまかいまかと料理を待ち座っている。カウンター越しの料理人は、いままさに5・6口あるコンロで親子丼の玉子を一斉にとじんとする所だ。ふいに玉子のアップ、スローモーションで殻が割れ、白身越しに黄身がこぼれ落ちる、ズドン。

あっという間に彼らの目の前に親子丼は並び、お先に失礼します、と食べはじめる。まだ自分の丼はなく、「そうだよな、ここは(座っている演出家の一人)○○君の実家だもんな」と、納得した気になった途端、店の奥側らしい仄暗い洞窟のような空間に移っていることに気づく。かまぼこ型にしなるアーチ天井、コンクリートの地面にはうっすらと枯山水様式の砂紋が敷かれている。相変わらずカウンターのように一列に並ぶ演出家たちと自分は正座、親子丼は向き合うように目の前に並ぶが変わらず自分に丼椀はない。

僅かな空腹感、そして砂紋の上に正座して感じたのは罪悪感。その瞬間、指で砂をなぞり舐めた。おいしい岩塩だった。「なんだ、塩かよ」と、ため息まじりで予想を裏切られながら、一方で「なぜ自分には親子丼がこないのか」ということに怒りが込み上げたところでブラックアウト。

目覚めて時計をみればアラームもかからず寝坊、遅刻ムードにあわてて飛び起きて身支度。親子丼がでてこない怒りで目覚めたことがなぜだか妙に納得できた朝。

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普段はあまり夢をみない。よっぽど深く寝てるのかもしれないが、最近は(加齢のせいか)若干浅くなりがち。久しぶりに長くまどろんだ。

はじまりは景色を俯瞰したような光景だった。海辺のような浜に僅かに小屋が点在し、浜から眺めた沖合いはナイアガラやイグアスといった大瀑布のような、ざっくりと切り立つ河口が弧を描いて剥き出す。曇り空で迎える夜明け前は、水墨画で書いたようなやや冷たい色合い。その水はどこから湧いてんだよ、がっつり異世界。

点在する小屋の中では、ご縁のある舞踊手がすっと立っていた。あれ、ここら辺はあまり時間軸がなくスライドショーのように浮かんでは消える時間。色は水色とクロの2色分版。そして、もうひとつは教室のような木造の部屋。学習机が並んでいるが、おそらく会話を交わしたであろう同級生ひとりとの画は至近距離だった。色は黄色とクロの2色分版、ペンキを粗く塗ったようなタッチ。場面と場面の節目はなかなか思い出せない。

ああ、書くたびに記憶が遠のいてしまう。朝6時半ふと起床する、これまでの水モチーフはやはりお手洗いだったかと納得。ここで夢は途切れるかー、と思いながらも二度寝チャレンジでは見事に夢物語再開、とても嬉しかった。でも先生と緑の芝程度のモチーフしか思い出せない。相変わらず色合いは褪せている、ややにじんだピンボケ。

この確かに触れたであろうまどろみ。細波のようによせては返し薄れていく眠りの際という感覚はとても心地よく、普遍的な快楽の解釈につながる気がする。毎日をすごす中での時間への意識、過ぎさっていくスピード。ゴムのように伸び縮みする時間の感覚はさまざまで、起伏に富むもしくは富まぬ毎日を如何にポジティブに楽しめるか。「観劇」も仮想体験装置として、そうした姿勢を促す一助になれればいい。多くのコンテンツが散在する時代、楽しむためには楽しむ姿勢づくりが問われる気がする。

ひさしぶりに夢が面白かったものだから、起床はもちろん、出勤も億劫になってしかたなかった。目を瞑り、外部からの干渉もない生理とイメージの世界で拡がる想像力はだいたい想定内で、とりわけ驚くこともなかったけれど、それなりにアイデアや気づきはあって満足。

石神に勧められて、以前から読もうと思いつつも忘れてしまっていた鷲田清一さんの『「待つ」ということ』のことを思い出した。今日の夢の感触とこの本に書いてあることがリンクするような、寝る前に読みたい一冊。

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ブログ?

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手紙かー。僕は書き初めるにあたってブログのことを考えてた。

わりかし自由な職場で、毎朝あらかじめブラウザにブックマークされたブログたちをチェックする。RSSは使っていない。時代遅れかもしれないけれど、それはそれで一個一個ポストを開くような楽しみにもなっている。

大先輩なご高齢キュレーターのブログがある。日常のあれこれを五・六行、ささっと書かれているのだけど諸行無常。わりと毎日の出会いと別れについて語られる、たびに読んでるこちら側が一喜一憂してしまう。今日は泣けた、いや泣いた、今はもういない旧友のお話だった。

ふと我が身を重ねてしまう。周囲の皆々様の顔が僅かばかり頭をよぎり、もし誰かがそうなってしまったらなんて縁起でもないことを考えて身は捩れる、鼻が詰まる。僕は幸か不幸か、ここ20年そのようなシーンにあまり居合わせたことがない。慣れないせいもあるのか、はからずも極度の既視感を感じてイメージは風船のように膨らんだ。

話は変わるがこのブログというもの、読む一方でこうして書き始めてむず痒さを感じてる。
確かにお前はかんたんに複製も記録もしてしまう。携帯からでもほぼ見れるよ、誰にでも読めるよ。便利だよ。けれども、なんというか、その、軽躁に思えてならない。思い浮かばれる様々がカオティックに文字を通して形に残り並ぶ。事実はもちろん、文法や話法の間違いを孕んで散乱する。べつに論理的で響きよい「うつくしい日本語」を求めたいわけでもないが、言葉がインフレーションを起こしてしまうようでむず痒いのかもしれない。無数の言葉の中に、想いを埋めてくれるな、ブログたちよ。自戒もこめる。

書き手がいて、その先に相手がいる。感情を宿して、肉声になる。届く言葉は、そうしたリアリティを帯びた気持ちの表れが強いイメージを聞き手に喚起させる。そう思うとラブレターなんて、正に真剣勝負か。そんな勝負、したことあったかな。どうだったか。

うーん、ブログにむず痒さを感じ、言葉をすこし想ったら、愛やら恋やら考えるようになってしまった。少し気恥ずかしくなってきたのでそれはまたどこかでにする。

そういえば、昔のJRスキーキャンペーンでこんなコピーがあった。
「愛に雪、恋を白」やー、広告的ー。でもどこかいさぎよくて、好きだ。

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