記憶・記録・風景をもとに生まれた物語です。
魚町商店街・魚町三番街中屋ビル会場を中心に
エレベーターで移動し鑑賞する劇場型作品とは趣向の異なった演劇公演となります。
思えば今年は、仙台・北九州と横浜を離れた活動になりましmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#" xmlns:trackback="http://madskills.com/public/xml/rss/module/trackback/" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/">
ペピン結構設計と三角フラスコはかれこれ7年のお付き合いになる。
双方の公演を観に行き来する仲で、おそらく刺激をし合い、もしかしたら彼らよりも
私たちのほうがあーだらこーだらと、お互いを一喜一憂させる間柄だったのだと思う。
頭のどこかで、いつか一緒に何かやる時があるのだろうと考えてはいたものの、
かれこれ7年。きっとたまに浮かんでは消えながら、彼らのことを想っていたんだろう。
そのくらいのペピンと三角フラスコの距離だった。
あの3月があった。仙台と横浜の距離は電波も脆いようで、直後から制作の森くんと
連絡をとろうとしても話中で途絶えてしまうこともしばしばだった。
横浜で感じる余震の度、仙台のことを考えずにはいられなかった。
だから、4月に行った。
新幹線はまだ復旧せず高速バスで6時間。仙台駅近くのマルエツで落ち合った僕らは、
被害の大きかった臨海部に行くことなくカフェモーツァルトに入り日が暮れるまで
お互いの話をした。家族と離れること、友人と離れること、子どもたちの挙動の変化、
あたり前がなくなった生活を聞けばきくほど距離を感じた。
共感はあれど、環境に培われる状況が全く違いすぎた。
本屋さんに週刊誌が届き始めて嬉しいという話に光を感じた。
ペピンは止まっていた。これまでの発想で作品を制作できるかどうか、そんなもやもや
した感触のまま手探りで歩みを重ねていた夏、三角フラスコさんから声をかけてもらい
今回の合同公演に至った。
メンバーの一人は気仙沼を中心に復興支援に携わっていた。僕らはその時それぞれがn class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;">
仙台市青葉区・喫茶ホルンの南インドカレー。超うまい。
こんにちは。石神です。
冷たい雨、朝から暖かな晴天と続いて
今日はまた雪の降りそうな冷たい空です。
昨日から『ハウ・アー・ユー?』劇場入りしました。
仙台から三角フラスコさんも到着しました。
今週末の土曜日から開幕です。
2月の『お母さんしかいない国』以来となるペピンの新作は『アマゾン』。
密林でも仮面ライダーでもなく、あの本屋さんの方です。
私たちの日常と「願い」についてのお話です。
ちょうど三角フラスコさんからお声がけいただいた頃、
NGO職員として気仙沼で復興支援に当たっていたメンバーが帰ってきました。
ほんとに、彼に「おかえり」というところから作り始めたような感じです。
ペピンにとっては様々な巡り合わせが重なった公演であり
今この機会でなければつくらなかった作品だと思います。
かなり今さらなのですが『お母さんしかいない国』の舞台写真を
こちらで紹介しておこうと思います。(ほんとに今さら...)
次へ行く前の、まとめと、御礼をかねて。
ご来場くださった皆さま、応援して下さった皆さま、
お手伝いしてくださった皆さま。
いつもながら本当にありがとうございます。


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